桜のシーズンがそろそろ終わる。
満開のある日の夕暮れに、
たまたまだけど子供の頃(3〜6歳くらい)に過ごしていた付近を車で通ってみた。
朧げに記憶している道は変わっていないのだけど、
建物や風景などはすっかり変わっていて、
でも川や公園などの公共施設は昔のまま、
植っていた桜がどれも大木に成長していて、
風でハラハラと舞い散る花びらに、
ピンクや紫やオレンジの空のグラデーションと、
夕景の灯りが相まって、
それはそれはなんとも風情がある光景だった。
だけれど、
私はふと異空間に放り出されたような、
タイムスリップしたかのような気分に陥り、
また何故か通行人の方々も前にも見たことがあるような不思議な感覚を覚え、
暫し記憶の中と現在の風景と、
過去の自分と今の自分を繋げるものがよくわからなくなった。
自分って何?
自分って誰?
のような小さな自己認識崩壊体験を起こしたのであった。
(認知症ってこんな感じ?)
(私ったらタイムリーパーだった??)
近いうちに脳内ギャップの修正をしに、
自分の足で歩いて見ようと思う。
子供の頃の風景って印象的な夢の中によく出て来るのだけど、なんとも言えない気分を残すもので、自分の中を整理するのには追体験で歩くのがきっと良さそう。
そういえばアメリカは
「Love Story 」にみんな夢中。
https://en.wikipedia.org/wiki/Love_Story_(2026_TV_series)
John F Kennedy の息子Jr.と1990年代当時、
Calvin Kleinで働いていたCarolyn Bessetteの恋物語。
私は知ってた。
なんて素敵な素敵過ぎるNYの人達と思っていて、
それが突然飛行機事故で儚くもこの世からいなくなってしまったのも当時衝撃だった。
あまりにも素敵で、
世間の注目が集まり過ぎて、
それを避けるかのように自分で操縦していたセスナ機が悪天候で湖に墜落した。
今ご存命なら確実にアメリカ大統領夫妻になっていたはずの人達で、
もしダイアナ妃が生きていたらと、
イギリス人がいつまでも惜しんでいるように、
アメリカの人も皆似た思いでいるのだと思う。
1990年代って私にとっては10代後半歳から20代前半までの人生が凝縮していた時間が詰まっている。
その頃の感覚は今も当たり前にあるのだけど、
時間はもう30年も経っているのね。
その頃のファッションも音楽も、
今なお新鮮で洗練されているのだけれど、
でもどこかノスタルジックで、
そのギャップに少し呆然とする。
Lenny KravitzのIt ain’t over till it’s overは1000回も2000回も、きっともっと聞いている筈。
何度もライブに行ったし、働いていた服屋でいつもかかっていたし、タイトルからして良すぎて本当に名曲過ぎる。
90年代の自分の感性のまま、
今になった。
自分の未来の予想なんて何もしていなかった。
予想出来るような、
夢を本気で見ていられるような環境ではなかった。
先のことを思うと進めなくなるから、
見ないでただひたすら目の前のことを頑張る日々だった。
新年度で新入社員が職場に入り、
中堅社員が移動でシャッフルされて、
パートやアルバイトが淡々と日々の業務をこなし、
それが企業のシステムなのを理解すると共に、
本当に1990年代から今の今まで失われた30年なんだろうなとも思う。
タイムレスなものは自然なり、
もっと昔から伝わる生き方の知恵だったりするのだと思うけど、仕事やライフスタイル、価値観などの後から誰かの都合のために後付けされたようなものは、自分が本当に感じる事や社会全体の流れとのギャップに気付いてアップデートしていかないとね。
自分を動かせるのは自分だけだから。




