Netflix は最近古い作品をどんどん購入しているようで、ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』1994年も新作としてアップされている。


これ観たのいつだか覚えていないけど、

たぶん私が一人暮らししてたのは、

19歳の途中から22歳の途中の短い期間だったから、その頃だと思う。

もしかしたら高校生の頃だったかも…


彼氏はずっと居た。

割と頻繁に変わっていたし、

あまり間が空くことがなかったけど、

恋はしてなかったと思う。


『恋する惑星』は

・わけわからない

・つまらない

と評される事もある作品で、

アメリカ的なラブコメとかロマンティックなラブストーリーとは掛け離れていて、1990年代の香港のカオスが詰まっている。


クランベリーズの英語の歌詞

All my life is changing everyday 

In every possible way をたぶん広東語で歌っているのだけど、映像の雑多な現実感と、この曲の浮遊感がこの作品の全てかと思う。



恋する感じを知りたくて観たのだけど、

よくわからないと思って見終わった。


主人公は彼女に振られて賞味期限が迫ったパイナップルの缶詰を買い続ける。

彼女の好物だったから。


私は結婚して妊娠した時、

パイナップルの缶詰を食べ続けた。


何故だかよく覚えていないけど、

気持ちを本物にしたかったのかも知れない。


結局恋はしなかった。


いつも相手に請われて始まっても、

恋の感情は味わってないと思う。


今もそれ程興味がないし、

実際のところ、

同年代以降の男性は若干昭和気質の男尊女卑が残っていて、それまで子育てした事ない人と精神年齢的に話が合うとは思えないし、だいたいゲームか漫画程度の知的レベルで、バツがある人ならそれはそれで現実問題は複雑だし、私はもう終わった介護を期待されても無理だし、そもそも清潔感があって健康的で英語でも話せて家事は全てこなせる礼儀正しい不良な人で、何処ででも稼げる自由な仕事に就いている人はこの世界にたぶん存在しない。


あとは私の猫気質で、

好かれると嫌いになるから実質恋は不可能。



『恋する惑星』は相変わらずやっぱりそれ程面白くはない。


そもそもアジアの作品は、

じっと見守るような優しさでもって受け止めないと何も理解出来ない。


ヨーロッパの作品の淡々とした感じとも違う、

ぼんやり眺めながら、間の何処かに自分の感情などが横切ると直ぐに内容を見失う何とも言えない束縛感に耐えるそれ相応の労力が必要だ。


だから、

きっと失恋などして、

1人で映画館でぼんやり観るにはちょうどいいのかも知れない。




その頃観ていた映画は、

気狂いピエロ

トレインスポッティング

ラマン

プリシラ

パルプフィクション

バージンスーサイズ

バッファロー66

青いパパイヤの香り

トゥルーマンショー


なんだかハリウッド大作とは違うよくわからないのばかりだったような気がする。


たぶん自分にピタっとする感情を探していたのか、

自分の感情がよくわかっていない時期だった。


だからね、

シンプルに邦楽聴いて、

ディズニー行って、

恋してデートして、

段階を経て結婚して家庭を持って、

今それなりにおばさんになってる人を凄いなと思ったりする。


因みにヨガはしてた。


お金も何なら今より稼いでいたかも。


だけどそのままその時の自分のままでいたら、

本当に未来がなかったかも知れない。


また一人暮らしになって思う。


自分が鮮やかにあった時期を思い出せるのは、

幸せな家庭を築いてきた後に伴侶を亡くして何もかも失ったようになって、それ以前の自分を思い出せないより幸せな事かも知れない。





私は相変わらずだけど、

実はそれを1番大事にしてるんだなと思ったり。