こんにちは

 

春分、どう過ごされましたか?




 

日本だって祝日になっているくらいだから、

本来は何か結構大切な儀式や祀りなどが行われていたはず。

 

春は五穀豊穣を、

秋は収穫の感謝を、

そして先祖の霊に祈りを捧げる。

 

世界中共通の意識のベースにあるもののルーツが、

実は古代日本にあったんですよという話で、

界隈は賑わっています。

 

ネイティブの方々(マヤ、ワイタハ、ホピ、ウイチョルなど)

にさまざまなお話とグランディングの重要性を教わってきた10〜15年前、

気功や體術などをヨガと並行して習っていた20年前、

音や波動、目に見えない領域について学んできたのが10年前から現在に至るまで、

歴史について改めて興味を持って捉えているここ2〜3年、

私は「行動アサナ」と呼んでいます。

 

アサナってヨガのいわゆるポーズのことを言うのですが、

結局は行動すること、

その中に快適さや安定感を求めていくこと、

そして自分自身を深く知っていくこと、

です。

 

そして自分自身を深く知っていくことの過程には、

自分の闇や毒を扱うという課題が含まれます。

 

そ・れ・が、

みんなできない、

やらない、

やりたがらない、

むしろそれらを避けて生きることがハッピーだと思っているように思います。

 

 

「私はイライラとかしない」と言う穏やかな方がいらっしゃいます。

でも自分の毒や闇を扱えないんですね。

だからいつも不安定。

 

「頭で考えすぎるのをやめたい」と言う思考重視方の方がいらっしゃいます。

でも自分の感情や直感に意識を向けていないんですね。

だから行動ができない。

 

行動の原動力のほとんどはマイナス要因からだと思います。

 

お腹が空いた

何食べよう

カレーかな

ここで

①食べに行く

②買いに行く

③ウーバーする

④自分で作る

などの選択肢がいくつか分かれると思うのですが、

①②③はその行動をした後だいたいジャッジが入ります。

美味しかった

好みのものと違った

高かった

配達遅かった

店が混んでた

なんやかんや...

④の場合、

材料揃える、

レシピ見る、

米を炊く、

材料切って煮込んで皿に盛って食べて片付けてゴミ捨てて、

って行動が多岐に増えます。

 

その行動をしている間、

頭はそれをよりよくするために使われますよね?

にんじんと玉ねぎすりおろしたらとろみが出るかな、

余っているほうれん草も加えようかな、

チーズ乗せて焼いて次の日はカレードリアにしようかな、

材料混ぜやすいようにシリコンのヘラが欲しいな、

部屋がカレーの匂いになったから換気してアロマ炊くかな、

ゴミ捨ても片付けも本当に嫌い面倒やりたくない、

毎日こんなこと繰り返して馬鹿みたい、

でも、

このカレー今度誰かに作ってあげたい、

夏になったらキャンプかバーベキューしたいから誰か誘おう、

どうせならナンも作ってみる?

などなどです。

 

そして赤字のところにフォーカスが取られてしまって、

そこがグルグルと強まってしまう。

そういう時に私はこれを考えたいのか?

これを考えることでどんな良いことがあるのだ?

と違う角度の思考にスイッチできると良いのですが、

それがみなさん苦手ですよね。

 

これらが面倒になると、

自分の思考が定まる感覚から遠のいてしまうのでは?

 

いきなり誰か誘ってカレー作ってナンも焼いてって発想にはならないですもん。

相当エネルギー要りますよね。

 

ヨガのアサナの練習自体、

様々な角度から自分を俯瞰するという体験です。

 




コロナ以降、

行動が苦手というか、

なるべく低燃費な感じでライフスタイルを回しているのは、

余計なストレスを感じたくないからであって、

でもそれだとどんどん自分を見えない檻に閉じ込めてしまうのだと思う。

 

ストレスを感じた時に人は自分の毒や闇を見ることになる。

でもそれを上手く扱えるようにもなってくる。

そういう人は安心感や安定感があって会話も楽しい。

 

緊張しやすい人はそれと逆。

 

以前より多くなったと思う。

 

 

春分点の時、

私は溜まった毒出しをしていました。

自分のものはいくらでも処理できるけど、

他人からのものは溜まるとキツい。

 

それは見事だった。

 

シューマン共振という地球の周波数の倍音で奏でられる純正律のピアノで、

正しい音というのは見えない領域を整えるのに魔法のような効果を発揮する。

音の振動で物質を変えたりエネルギーの値を変化させたりって、

多分古代ではもっと上手く使えていたはずだと確信している。

 

 

今のドレミファソラシドは、

数字的に1オクターブを12分割したもので、

平均律と言う。

平均律でチューニングされた音は、

微妙に不協和音を響かせる。

それは間違いもなくちゃんとマニュアルで対応されている時のような、

でも何も響かず感謝も起きない、みたいな感覚。

純正律の音は響きが全て新しい創造となって、

間違いも狂いも生じない。

 

街の中では全ての音が耳障りでうるさく感じるのに対し、

自然の中では鳥の声も木々のざわめきも水の流れも自分の足音も心地良いのと同じかも。

 

AIボイスでキャップ被ってマスクして、

エクササイズ動画上げている人たちは楽しいなら別に良いが、

インストラクターになりたいの?

自分の努力を褒めて欲しいの?

それは自分のアイディアではないよね?

教えてもらったことならまず感謝したら良いのでは?

もっと響くこと考えてと思う。

 

 



 

行動アサナ、

自分を快適に、

本当に幸せにすることにエネルギーを使おうね。