引き続き、
苦しみの元であるクレーシャについて。
第1のクレーシャが、
無知 (アヴィディヤ)。
ここでは、無知から生まれる
残りの4つのクレーシャについてです。
その4つとは、
自我意識
欲望
嫌悪
死への恐怖
です。
・自我意識とは、
見る者と見ることを
同一のものとして認識することである。
(YS 2:6)
・欲望とは快楽に執着するものである。
(YS 2:7)
・記憶された苦しみから起こる煩悩を、嫌悪と呼ぶ。
(YS 2:8)
・死への恐怖は賢者ですら感じるものであり、
存在の存続を願望するために生まれる。
(YS 2:9)
「見るもの」 と 「見られるもの」は
別の言葉でいえば、
「プルシャ」 と 「プラクリティ」
「本当の自己、気づき、アウェアネス」 と 「世の中のそれ以外のものすべて」
「プルシャ」 と 「プラクリティ」については、
別の機会にまとめたいと思います。
が、一言でざっくりまとめれば
すべてのヨーガの実践は、
「見るもの =プルシャ」 へと戻っていくための道といわれています。
クレーシャの3番目と4番目である
欲望と嫌悪とは、
同じことの裏返し。
わたしたちの行動パターンは、
好き/嫌いのどちらかの感情から、
リアクションを取ることがほとんど。
両極の狭間で絶えず揺れている
小船のようなもの。
こういったリアクションは
実は、あまり考えずに、
習慣や癖になってしまっていることも多いです。
では、どうすればよいのか?
まず、自分のパターンに気づくことからです。
たとえば、身体の使い方を例に取りましょう。
ヨガのポーズを練習することで、
自分の無意識の癖に気づくようになります。
また、呼吸であれば、
ふだんの自分の呼吸の仕方を観察することから始めます。
苦しみの元の5番目、
死への恐怖は、
本能に基づくため、脳の奥深いところに根ざすもの。
理性では説明できないものなので、
取り除くのも難しいのでしょう。
苦しみから、幸せへと
どのように自分を変えていったらよいのか、
「ヨーガ・スートラ」 全体に、
その答えはちりばめられています。
どの方法を取るとしても、
自分なりの実践、プラクティスなしには
何の変化もおきない
というのが、「ヨーガ・スートラ」の考え方です。
そして、プラクティスは、マットの上だけでなく
自分の人生全体に及んでくる・・・・
「ヨーガ・スートラ」 を読み込むにしたがい
この思いが強くなってきます。
ヨーガスートラ → INDEX
翻訳は本書による→現代人のためのヨーガ・スートラ (GAIA BOOKS)
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