出産というのは女性にとって大きな転換期です。


じつはこの項、分類に悩みました。出産自体は【カラダ】に関することだけど、それにまつわる選択は【アタマ】が大いに関係するので。


産む? 産める? 産まない? 私たちの「出産」の選択 グラツィア10月号


タイトルに続くリード部分は、「出産リミットまでの間で、自分で考え、決めて、責任を負うべきこと―――」


この記事には色々考えさせられました。


たしかに今は出産に関する選択肢が増えています。



環境問題や社会状況を、見つめて冷静に考えれば考えるほど、出産(ひいては結婚も)をしない人や、遅らせる人が増えるのがわかる気がします。もちろん、それも1つの生き方です。


今の日本では、男性は長時間労働で通勤時間も長く、出産後どれだけあてになるか分からない。さらに昔の大家族の時代と違い実家のヘルプも期待できず、企業や行政からの支援もたりず、子供を産み育てることへのハードルが高すぎです。


生殖医療の発達も、選択肢の幅を広げているものの、高い医療費は自己負担だし、治療が心身にあたえる影響も少なくないと想像します。



ただ個人的には、「育自」という表現すら知らなかった二十歳そこそこの頃から、結婚せずとも子供は欲しいと思っていました。経済力もないくせに、もし子供の授からない身体だったら、養子を迎えようとまで考えていたほどです。


けっして子供好きではない私の、そう考えた理由は、子供の目を通じて世界をもう一度学びなおしてみたい、でした。


子供を産み育てるということには大きな責任が伴い、経済的・時間的に大変なことも多いのは否定できませんが、それを上回るココロのプレゼントをもらえることも事実です。


独身の時には理論・効率中心で動いていた頭でっかちの私でさえ、子供のおかげでスローダウンする勇気をもらい、何気ない日常の大切さ・かけがえのなさを感じることができるようになってきたのだと思います。


また、自分の住む街、国、社会、世界に当事者として関わる意識も強くなりました。


もちろん子供のいない人でも、そういう考え方をする人は大勢いるのですが、私の場合、以前は環境問題や発展途上国のことなどを考える時、アタマ中心だったのが、ココロも使って感じられるようになった、とでも言えばいいのでしょうか。


なので、もし今出産について迷っている方がいたら、ひとこと言わせてもらえれば、アタマで考えるばかりでなく、ココロで感じることも時には必要ですよ・・・。


最後に、この雑誌特集から、勝間和代さんの一言を引用します。


「子育てしながら働くのは、”大リーグボール養成ギブス”をつけて働いているようなものだと思っているんです。子供が成長して、ギブスが取れたら、どれほど力がついていることか!」


とはいえ、自分も、もし10代や20代前半でヨガを始めていれば、今頃はなあ・・・と思うこともしばしばですので、やはり「隣の芝は青い」かつ「やってみなけりゃ判らない」というのが、出産をめぐる議論にもあてはまるのでしょうね。




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