『人は人生のほとんどを想像の中で過ごす。良い居場所にせよ。』

 

私たちは想像する。

誰かに何かを問われても、何か事柄が起きても想像する。

現状や、現状の要因、未来への対策等、様々な状況を想像しては、一喜一憂したりもする。

 

外からの刺激が何もない時でさえ、頭の中で、わざわざ何か探して想像する。

 

現実の世界で、何かをしている時間は、想像の中で過ごしている時間よりはるかに少ない。

 

その、想像の世界は、人によっては、とても居心地の良い場所であるが、

そうでない人に取っては、苦痛な場所である。

 

自分の想像の中が居心地の良い場所でない人々は、

幼少時代の両親とのやり取りに対しての感情の持ち方が大きく影響している場合が多いと言われている。

 

例えば、

両親、もしくは片親から、罵声を浴びせられることが多い環境で育った人々は、

子供の時に、「自分は馬鹿だ。」と思い、悲しい感情を持つことが多い環境で育ったとする。

 

そうすれば、

何十年過ぎても、自分の想像の中の世界で、なお、「自分は馬鹿だから・・・」と、悲しい思いを抱えている場合が多い傾向がある。もしくは、親から発せられた、「馬鹿だ」と言う言葉を世間からのものと、感情がすり替えて、世間に対しての怒りになったりもする。

 

その感情は、

何かにつけて湧いて来て、「自分は馬鹿だから・・・」、「自分は馬鹿と思われているから・・・」と、何かに対しての理由付けになったりもする。

 

しかし、

本来、頭の中の想像の世界は自分だけの世界である。

この場合の、幼少時代の親からの罵声は自分の言葉ではない。

 

でも、

人の心を複雑にしてしまうのは、親からの罵声に対する悲しみや怒りが、まだそこにあることだ。

何度も、その感情を感じる頻度が多ければ多い程、脳の中のその感情への道が太くなり、その感情を刺激しやすくなってしまうことである。

 

そして、

心理学的には、一度出来てしまった、パターン化された思考・感情の経路を変えるのは容易ではないそうだ。

 

しかし、

せっかくならば、自分の世界、想像の中だけは、自分に取って居心地の良い場所。

現実の社会で何があっても、その世界の中は、自分に対しての普遍的な愛に満ち溢れた場所にしたい。

 

確かに、人は忙しい。

この世の中は目まぐるしく変化をして、付いて行くのに必死になってしまう。

自分の感情を押し込んで生活する方が楽かもしれない。

 

しかし、

社会の本質に目を向ければ、一番に私たちが向き合わなければならないのは、自分自身なのだと、私は強く思う。

 

自分だけの世界は、自分に取って掛け替えのない世界だから。

 

そして、

その感情は、人の表情を変え、対応を変えて、連鎖になり世の中が変わると唱えている人達が居るのも程である。

 

人の放つ波動は、他者に影響する。

 

 

 

風の時代に