”アメージング・グレイス”

 

 アメージング・グレイスの作者であるジョン・ニュートンは、奴隷貿易に関わって

 

アフリカとヨーロッパを往復していました。

 

6:1 on X:  "薄れかける私の記憶の中で、二つだけ確かに覚えているものがある。一つは、私が大罪人であること。もう一つは、キリストが偉大な救い主であること。 - ジョン ・ニュートン John Newton(1725~1807 英国 牧師 元奴隷船の船長 アメイジング・グレイスの作詞家 ...

 

 その途中で大嵐に遭い、自分の生き方を深く反省して悔い改め、後には

 

牧師となり、神の恵みを歌う讃美歌も作ったのです。

 

 彼のお母さんは、幼いジョンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャン

 

でしたが、ジョンが7歳の時に亡くなりました。

 

 商船の指揮官であった父はそのすぐ後に後妻を迎えることになり、息子のジョンを

 

寄宿舎付きの学校に預けてしまいました。

 

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 無分別で厳しい教師との出会いは幼いジョンの心を痛めつけ、勉強する気持ちを

 

無残にも踏みにじってしまいました。

 

 ジョンが10歳になった時に学校を飛び出して、父親の船に乗り込んで

 

船乗りとしての人生を始めました。

 

 船員として荒れ狂う人生を送り、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を

 

輸送する奴隷貿易に手を染めるようになりました。

 

 彼が22歳の時、船長として任された船が嵐に遭い、非常に危険な状態に

 

陥りました。

 

 ジョンは他の船員たちと共に、朝の3時から昼の12時までの間、ずっと浸水

 

して来る海水の汲み出しに命がけの作業を挑むことになりました。

 

アメイジング・グレイスをめぐる疑問に答える ジョン・ニュートンは奴隷貿易を悔い改めた? | 鹿追キリスト教会

 

 積み荷の殆どを荒海の中に流してしまうほどでしたが、嵐は去りません。

 

 更に困ったことに、ジョン・ニュートンは泳げない船乗りだったのです。

 

 泳げないジョンにとって、嵐は更なる死の恐怖だったのです。

 

 ジョンはそれ迄の過っていた人生を悔い、改心し、万が一にも助けて

 

頂けるものなら、今後は主イェス・キリストに従う者となるとの決心

 

固めたのでした。

 

 

 彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてでした。

 

 すると船は奇跡的に嵐を脱し、難を逃れました。

 

 彼はこの日をみずからの第二の誕生日と決めました。

 

 その後の6年間も、ジョンは奴隷を運び続けましたが、彼の船に乗った

 

奴隷への待遇は飛躍的に改善されたといわれています。

 

 その後、ジョンは病気を理由に船を降り、勉学を重ねて牧師となりました。

 

12月21日はジョン・ニュートンの召天日 | クリプレ(クリスチャンプレス)

 

 そして「アメイジング・グレイス」を生むのですが、この曲には、黒人奴隷

 

貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それにも関わらず赦しを与えた神の愛に

 

対する感謝が込められているのです。

 

 ジョン・ニュートンの人生だけではなく、私たち一人一人の人生もただ神の

 

恵みに他ならないのではないでしょうか!

 

 

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。

 

 それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
 

 9 行いによるのではありません。

 

 だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8)

 

 

あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、

 

あなたがたを任命しました。

 

 それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、

 

あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えて

 

くださるようになるためです。」(ヨハネ15:16)

 

 

 

ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって

 

強くなりなさい。」(第二テモテ2:1)

 

 

 

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