自分への否定的な評価をどう考えるか?

 学校の担任の教師が子どもたちにいかに誤った評価を下しているかを示す一覧表というものがあります。

 それは次のようなものです。

トーマス・エジソン

エジソン

「この少年は頭が悪くて何一つ学ぶことができないので、これ以上学校へ来ても無駄である」

アブラハム・リンカーン

リンカーン

「4ヶ月しか学校へ行ってないことを思えば学業成績は優秀、しかし、空想家でよくバカげた質問をする」

アルバート・アインシュタイン

アインシュタイン

「彼はクラスでも特殊な存在。10歳になるのに、ようやく簡単な読み書きが出来るようになったばかりである。

 頭は悪いし、友達とは遊べないし、バカげた空想の世界にいつまでも浸っている。この子に対して、あまり高い成果を求めるべきではない」

エンリコ・カルーソー

エンリコ・カルーソー

「彼は声が良くないから、とても歌手になんかなれない」

ルイ・パスツール

パスツール

「化学の成績が22人中15番では、将来性はあまりないと思える」

アレクセイ・トルストイ

トルストイ

「彼は何も学ばず、学ぶ気もない」

アメリア・イヤハート(女性パイロット先駆者)

アメリヤ・イヤハート

「私は、アメリカのことを大変心配している。この少女は利発で好奇心に満ちてはいるが、考えることは無謀で、関心はもっぱら昆虫や床を這いまわっている虫に向けられている。

 何とかしてこの少女の好奇心の対象を、女の子らしいものへ向けなければならない」

 これらの人々は教師や上司といった、権威ある人間の自分に対する否定的な評価を決して受け入れませんでした。

 もし受け入れていたならば、まったく違う道を辿ったことでしょう。

 しかし、彼らは自分の人生の舵を、自分の手でしっかりと握り続けたのです。

国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-出来る

 なぜなら、私たちは、それぞれ神の最高傑作として造られているからです!

私たちは神の最高傑作であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」(エペソ2:10)

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。」(イザヤ43:7)

 ですから、無価値な人間や無能力の人間など、一人としてこの世に存在していないのです!(参考:安食弘幸「新たな可能性を掘り起こせ」)

わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。」(詩篇42:11)

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  「キリストを知る計り知れない恵み」   

    第二ペテロ1:1~8

 

序)

 皆さんはイエス様とどんな関係にあるでしょうか?最近ある方から聞いたのですけれど、「不思議なクリスチャン」がいるそうです;^^その方は悪いことをしても「大丈夫!神様にごめんなさいと言えば、すべては赦されるから」と答えられたそうです。この方は、残念ながらイエス様をご存じないようです!けれども、私たちはイエス様を知ることの本当の素晴らしさ知らなければならないと思います。今日のメッセージタイトルは「キリストを知る計り知れない恵み」です。

 

1, キリストを知る計り知れない恵み

 皆さん!今日の箇所を見ると、「知る」あるいは「知った」ということばが2節、3節に出てきます。2節では「神と、私たちの主イエスを“知ること”によって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」。3節では「神を、私たちが“知ったこと”により、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。」と記されています。

 

 ところで、この「知る」あるいは「知った」ということばは、“体験的に知る”という意味です。イエス様を“体験的に知る”と、恵みと平安が益々豊かに与えられるのです。主はぶどうの木、私たちは枝です。しっかりこの枝がブドウの木に繋がっているなら、ブドウの木から枝に必要な栄養がどんどん流れ込んでくるのです。それだけではありません。イエス様を体験したならば、イエス様の、神としての御力が、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えてくださったと約束されています。

 

 あのマルコ5章に出てくる長血の女は、12年間も婦人病で悩んでいました。多くの医者からひどい目にあわされて、自分の持っている物をすべて使い果たし、絶望的な状況にありました。しかし、彼女は「イエス様の衣に触れれば、私は救われる!」と言い続けて、イエス様に触れたのです。すると、イエス様から力が流れて来て、その瞬間、彼女の血の源が乾いて、病気が癒されたことを体験したのです。

 

 皆さんにまずお聞きしたいのですが、イエス様に出会う前と後とどのくらい変化したでしょうか?あまり変わっていない方がいるでしょうか?そうだとしたら、どこかに問題があるかも知れません。私はイエス様を体験的に初めて知ったことを忘れることが出来ません。私はかつて生きる意味が分からず、さ迷っていました。「一体、真理はあるのだろうか?本物はどこにあるのだろうか?」と探し続けていたのです。しかし、遂に、神であるイエス様を知ったのです。その時は嬉しくて、嬉しくて、心が喜びで満たされました。空を見ると、イエス様が微笑んでいます。街路樹もスミレもタンポポも皆輝いて見えました。私の目から鱗が落ちたからでした。その感動は今も忘れることは出来ません。イエス様が私の心の内に来てくださり、私の中に神の聖霊の川が流れ込んできたからでした。それは恵みと平安の川でした。

 

 しかし、ペテロはその恵みと平安の川が小川ではなく、大河のようにどんどん水かさを増していくと約束しているのです。それだけではありません。3節にあるように、「キリストの神としての御力がいのちと敬虔をもたらすすべてのものをすでに与えた」というのです。つまり、イエス様を心に迎え入れたならば、キリストが持っておられる「いのちと敬虔をもたらすすべてのもの」が、すでに私たちに与えられているのです。

 

 それは4節で、言い換えられています。それは何でしょうか?神の御性質、神の品性を持つということなのです。つまり、キリストとの交わり、Fellowshipを体験していくならば、どんどんキリストのように変えられていくのです。

 

 では、私たちはなぜキリストのように変えられないのでしょうか?それは4節を見ると、理由が2つあります。➀自分の肉の欲を日々十字架につけていないからです。肉の欲に従っていくと、どんどん世的になり、腐敗していくのです。これではキリストの似姿とは正反対の道に行ってしまいます。言い換えると、御霊に満たされ続けることなのです。②私たちは神ご自身の栄光と栄誉へと導かれているということです。この3節冒頭は「私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神」と訳されていますが、「私たちをご自身の栄光と栄誉へと召してくださった神」とも訳すことが出来る個所なのです。

 

 つまり、主ご自身は栄光と栄誉そのものであられます。そのもとに主は私たちを案内してくださっています。しかし、別の表現をすると、主は、私たちをキリストの花嫁として最高の栄光、最高の栄誉を与えようと、私たちを召し出されたのです。ではそれは、具体的にはどのようなことでしょうか?ピリピ3:21にはこう記されています。「キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」。ハレルヤ!今、私たちはキリストの花嫁として、婚礼の準備をしているのです!その準備とはキリストと同じ姿へと変えられていく方向なのです。そしてやがて全く変えられ、永遠にイエス様と共に生きるのです!

 

2, 輝けるキリストの花嫁へのプロセス

 私たちの未来像はお分かりになったでしょうか?キリストと同じ栄光に輝く体に変えられるのですね^^。そのために、私たちがこの地上において、婚礼の準備をしなければなりません。それが5~7節です。「だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」。

 

 私たちはこの地上で花嫁修業の身であるとお話してきました。そのプロセスがここに記されています。それは信仰から始まり、愛=アガペー、すなわち、犠牲的な愛、無条件の愛に至るプロセスがここに記されています。

 

 ここにも「愛を与えてください。私には愛がありません」と祈られた方々がいるのではないでしょうか?実は、私もそのうちの一人です。しかし、一気に、アガペーという無条件の愛、敵をも愛する愛の人になれるのではないことが分かります。その一つ一つを見ていきたいと思います。

 

➀信仰:クリスチャンがまず持つべきものです。どんなに環境が変わり、変動が激しいとしても、神を信じ続けることです。へブル11:6には「信仰がなくては神に喜ばれることが出来ません」と記されています。信仰こそが私たちクリスチャンの土台であるということです。

 

②徳:これは未信者が「やはりクリスチャンは違うんですね~」と感心するような道徳性を持つことなのです。仕事をしながら、牧師をしている先生がいます。その仕事仲間の中には、人の悪口ばかりを言っていて、嫌われている人がいて、だれも彼を相手にしませんでした。しかし、その先生は意地悪をされても、その人を受け入れ続けた結果、悪口ばかりを言っていた人が仕える人に変えられたそうです。

 

③知識:信仰には徳、徳には知識と記されています。知識がどうして大切でしょうか?特に聖書の知識がなければ、自分の思い込みやこの世の知識に頼らなくなってしまうからです。ですから、聖書を学ぶことによって、人間的な考えではなく、神の御心を知ることが出来るのです。ハレルヤ!

 

④自制:知識には自制を加えなさいと命じられています。「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を立てます」(第一コリント8:1)という有名な言葉があります。いろいろな知識を持ったからと言って、高慢になってはいけません。自制、即ちセルフコントロールは聖霊に満たされていくと、その聖霊の実、フルーツとして与えられるのです。

 

⑤忍耐:一体、忍耐はどのようにしたら、与えられるでしょうか?パウロは「艱難が忍耐を生み出し、忍耐が錬られた品性を生み出す」(ローマ5:3~4)と言っています。艱難、試練というものが忍耐を生み出し、忍耐が錬られた品性、キリストのような人格を生み出すというのです。

 

 私は毎日、ブログをアップしているのですが、最近コメントをくださった方がおられます。その方は子どもの時から苦労され、結婚してから分かったことでしたが、相手がやくざだったのです。ですから何十年も脅され、様々な苦労をされ、最後は病床でのご主人の看病も大変であったそうです。「どうして?私だけ?」と疑問を抱き続けて来たそうです。しかし、最近、その疑問が解けたそうです。それは申命記8:16のみことばです。「あなたを苦しめ、あなたを試し、”ついにはあなたを幸せにする”」。これが神のご計画であるからです。

 

 また、ペテロはその第一の手紙1:7でこう言っています。「試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。」私たちは試練によって、主に試されます。しかし、その時忍耐することがどれほど大きな報いをもたらすでしょうか?それは「火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価」なのです。試練を堪え忍んだ人は「イエス・キリストが現れる再臨のとき、称賛と栄光と誉れを」受けることが定まったいるのです。皆さん!こうなって来ると、主の再臨が楽しみではないですか?子どもがなかなかできず苦しんだ人々、住まいがなく苦しんだ人々、様々な苦しみを堪え忍んだ人々には称賛栄光、誉れが待っているのです!ハレルヤ!

 

⑥敬虔:パウロは「今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。」(Ⅰテモテ4:7-8)と言っています。敬虔は「今のいのちと未来のいのちが約束されている」ものです。敬虔とは何でしょうか?キリストのように主を愛し、みことばを愛し、つまりディボーションしてみことばと深く交わる生活です。そうすると、キリストの似姿になっていくのです。

 

⑦兄弟愛:兄弟愛とはいわゆる友愛です。神の家族、兄弟姉妹を愛するということです。Ⅰヨハネ4:20~21にこう記されてあります。「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目の見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」(Ⅰヨハネ4:20-21)。キリストの最後のただ1つの命令は何でしたか。それは、「互いに愛し合いなさい」ということでした。そして、イエス様はこれを最後の晩餐の席で弟子たちに言われました。

 

 けれども、よくよく弟子たちを考えてみてください。イエス様の十字架の時期がもうすぐそこまで来ているのに、「偉いのは俺様だ!」「いや俺だ!」ともめていたのです。本当に情けない弟子たちでした。兄弟愛においては失格者です。しかし、そんなどうしようもない弟子たちにイエス様は仰いました。「互いに愛しなさい」と。私たちの周りには「クリスチャンとしては問題だ」「あの兄弟にはあそこが足りない。あそこがだめだ」と批判したくなる点があるかも知れません。けれども、イエス様は唯一の命令として、「互いに愛しなさい」と命じられ、自ら、しもべの姿を取られ、弟子たちの足を洗い始められたのでした。私たちはどうでしょう。自らの胸に手を置いて、考えてみましょう。

 

⑧愛(アガペー):敵をも愛する犠牲的な愛、無条件の愛です。今日本では終戦記念日を迎えようとしています。この戦争という行為自体が犠牲的な愛、無条件の愛の真逆のものです。

 

 1919年(大正8年)にひとりのアメリカ人宣教師が日本に来ました。その名前はJ・H・コルベと言いました。しかし、その20年後、1939年(昭和14年)に日本を追われ、フィリピンでの宣教活動をしていました。けれども、その4年後、1943年(昭和18年)、彼は奥さんのシェルマやその他9人の宣教師たちとともに、日本軍に捕えられ、日本刀で首を斬られて殺されてしまいました。

 アメリカにいたコルベ宣教師の2人の娘、マーガレットとアリスにこの知らせが届けられると、彼女たちは悲しみに打ちひしがれてしまいました。やがて悲しみは憎しみに変わり、両親を殺した日本人に対して、いつの日か復讐してやろうと思うようになりました。毎日、悲しみと憎しみの中で、神に祈っていたのですが、ある日、祈りながら、ふと、こんなことを考えていました。「両親は日本の軍人に殺される前に、祈っていたというけれども、一体何について祈っていたのだろうか?」

 

 そのことを考え始めると、両親を日本から追放し、フィリピンで殺した日本人の救いのために違いないと悟ったのです。しかし、そうは言うものの、そう簡単に憎しみが取り去られるものではありません。悶々とした毎日を過ごしているうちに、1つの聖書の御言葉が示されました。「主は、私たちのために御自分の尊い命を捨ててくださった。このことによって、私たちは愛とは何かということが分かった。だから、私たちもほかの人のために喜んで命をささげるべきである。」(ヨハネの手紙第一3:16、現代訳)

 

 マーガレットはこの御言葉通り、日本人に対して愛を示そうと、捕虜収容所のボランティアとして日本人たちの身の回りの世話をします。2週間経ち、3週間と経過しました。やがて日本人全員は次第に心打たれて、「お嬢さん、どうしてそんなに親切にしてくださるのですか」と尋ねました。けれども、彼女の返事はなんと意外なものでした。「私の両親が日本の軍隊によって殺されましたから・・・・」。すると、それを聞いていた日本人の捕虜たちには、さっぱり理解できません。日本の軍人たちは、仇討ちの教えしか考えられなかったからです。そして、捕虜たちは敗戦後、捕虜交換船で日本に帰って来ました。
 

 この人々を出迎えた人々の中に、かつて太平洋戦争勃発の時、真珠湾攻撃の爆撃隊長であった淵田美津雄元海軍大佐がいました。彼はこの不思議な話を捕虜たちから聞きました。そしてしばらくの月日が流れたある日、所用があって渋谷駅に下車すると、一人のアメリカ人が道行く人々にパンフレットを配っていました。それはかつての東京爆撃隊の爆撃手であった、J・デシーザー氏の入信手記でした。彼は捕えられて獄中で虐待されているときに、彼がなぜ人間同士がこうも憎み合わなければならないのかと考え、そしてキリストに出会ったというものでした。

 

 その時、淵田大佐も「聖書を読んでみよう」と思い立ち、さっそく聖書を読んでいるうちに、新約聖書ルカの福音書23章34節、「父よ。彼らを赦したまえ、彼らはそのなす所を知らざればなり」のところに来ました。その時、淵田大佐の頭の中に、コルベ宣教師のお嬢さんの話が頭にひらめき、”敵を赦しうる神の愛”を知ったのでした。そして、斬られる前のコルベ宣教師たちの祈りに思い至ったのです。淵田大佐は目頭がジーンと熱くなるのを覚え、大粒の涙がポロポロと頬を伝いました。その日、淵田大佐はイエス・キリストを救い主として受け入れたのです。その後、淵田大佐は宿敵であったアメリカ軍の元軍曹・デシーザーと手を携えて、日本各地、そして世界へと伝道旅行をする伝道者となったのです。

 

 今日は聖書を通して「キリストを知る計り知れない恵み」を学んできました。それは恵みと平安だけではありません。それはいのちと敬虔をもたらすすべてのものが与えられることであり、今、私たちは完全な愛の人になることを目指して、花嫁修業をしているということでした。この信仰から始まるプロセスを経て、完全な愛の人へと変えられて行こうではありませんか^^

 

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寂しさを感じるとき

あなたへ

 皆さんは寂しさを感じるときがあるでしょうか?

 それはどうしてなのでしょうか?

 ところで、俳優の高倉健さんの最後の主演映画は、「あなたへ」でした。

 富山刑務所で指導教官として働く倉島のところへ、亡くなった妻からの絵手紙が届きます。

 そこには今まで知らされることの無かった“故郷の海に散骨して欲しい”という妻の想いが記されていました。

 その真意を知るために、主人公の倉島は自家用車を改造して、長崎までの一人旅に出ます。

あなたへ1

 その旅は富山から始まり、飛騨高山、京都、瀬戸内、下関、北九州市、そして妻の故郷である長崎県平戸の漁港を目指します。

 旅の途中、折に触れて、妻が元気だったころに語ってくれた言葉が思い出されます。

 そして、もし今生きていたら、多分言ってくれたであろう言葉を思い浮かべながら、心が不思議に癒されていくという映画です。

 窮屈な家庭環境で育った彼は、社交性に乏しく、自分さえ我慢していたらいいんだ、と思って生きていた人です。

 しかし、そんな倉島の生き方や考えを、すっかり変えていったのが彼の妻でした。

 大阪の道具屋筋商店街に来た時、職人の作った大工道具が売られていました。

 職人気質の彼は、買うか買うまいか迷うのですが、妻の声が響きます。

「買えば。」

あなたへ2

 いつも自分を背中から押し、励まし、慰めてくれた妻だったのです!

 倉島は、妻の存在によって、いつの間にか大きく変えられていたということに気がついていくのでした。

 私たちは年々、年を重ねていきます。

 そして、知人や友人ばかりか家族や最愛の人との別れも来ます。

日没

 まさに人生のスタートは日の出のようであっても、ゴールに近づくにつれ、夕暮れの寂しさを体験します。

 しかし、周囲の環境や人間関係がどれほど変わっても、また明け方であっても、夜中であっても、絶えず共にいてくださるお方がいます。

 それが私たちのすべての罪を背負い、十字架で身代わりの罰を受けてくださったイエス様なのです。

 イエス様はこう仰います。

わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(へブル13:5)

ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。

 4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
」(イザヤ46:3-4)

jesus

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:20)

 イエス様は今日も私たち一人ひとりに語りかけておられるのです。

 なぜ、寂しさを感じるのでしょうか?

 絶えず主を意識し、どこにおいても主を認めることをしていないからではないでしょうか?

 「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)

 そして、聖霊に満たされるまで祈ることです^^

御霊に満たされなさい」(エペソ5:18)

(参考:wikipedia、http://biblegospel.org/等)

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佐々木満男「深刻に見える問題を解決する道」(2)

 深刻に見える問題を解決する道はどこにあるのでしょうか?今回は、そのPart2です!

3.笑いは百薬の長

 実は、M弁護士は大変まじめな性格で、若いころ、強度のノイローゼで精神科医に通ったことがあるのです。

ノイローゼ

「あなたは何でも深刻に考えすぎます。いちばん良い治療法は、どんな物事の中にも面白いことを見つけて笑うことです

というのが、医師の処方箋でした。

 Mさんはこれを忠実に実行して、「笑いのプロ」になったのです。

 聖書には、「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は身を枯らす」(箴言十七章二十二節)とあります。

 「笑いは百薬の長」と言われ、「笑う門には福来る」とも言われています。

大笑い

 ノーマン・カズンズ教授はカリフォルニア大学医学部で「笑い」について教えています。

 彼は、「笑いと治癒力」という著作の中で、「よく笑うこと」が重い病気の治癒のために大きな効果があることを強調しています。

 彼自身も四十九歳の時、「回復可能性五百分の一」という難病である膠原病を患いましたが、「よく笑うこと」によって奇跡的にいやされた体験を持っています。

 そして、「五百分の一の奇跡」という本を書きました。

 彼は、「病気は笑いごとではないが、笑いごとであるべきだ」と語っています。

笑っている場合ではない時こそ、実は笑うべきなのだ!」ということができます。

 これを実践したのが、「四十過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言った、あの深刻な顔の肖像で有名なリンカーン大統領だから意外です。

リンカーン大統領

 激戦のつづく南北戦争の最中、リンカーンはよく冗談を言って皆を笑わせました。

 ホワイトハウスで、面白い話をしてもだれも笑わないと、こう言ったそうです。

諸君、どうして笑わないのかね?私は昼夜を問わず恐ろしいほどの緊張の連続にさらされている。

 笑わなければ死んでしまいそうだ。諸君にも、私のようにこの笑いの薬が必要なんだよ
」。

 こうして自分を緊張から解放し、歴史に残る「奴隷解放宣言」を書き上げたのです。

 リンカーンは若いころ、自殺するのではないかと周囲の人から心配されるほどの心の病に苦しんだそうです。

 きっとこの時の体験から、ユーモアの大切さを学んだのでしょう。

4.いつも喜べ

 パウロは、クリスチャンが、「何事も思い煩わないで、いつも喜ぶ」べきであると、強調しています。

 これは、パウロがキリストのために命を懸けるほどの熱烈な福音伝道者となってからも、数多くの思い煩いと苦悩を体験してきたからではないかと思います。

 それらの試練の中で、パウロはますます神に近づき、神に寄り頼むことによって、イエス・キリストとの深い交わりの中に、

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安」(ピリピ四章七節)を得ることができたのです。

平安

 「いつも喜びなさい」と言われても、なかなか喜べるものではありません。

 通常は、喜びは感情のレベルの事柄だからです。

 しかしパウロは、自分の意志によって喜びなさい、「喜べない時こそ、大いに喜ぶべきなのだ!」と言っているのです。(ヤコブ一章二節)

 この秘訣は、「主にあって喜ぶ」(ピリピ四章四節)ことです。

「主にあって」とは、「主との交わりによって」ということです。

 喜べない時こそ、自分の意志によって深く祈り、キリストの語られるみことばをしっかり聞くようにするのです!

 やがて、「神はどんな問題でも解決してくださる」、「イエス・キリストこそがあらゆる問題の解決である」との確信が生み出され、それに伴う喜びが湧いてきます。

 こうして、私たちは問題を笑い飛ばすことができるようになるのです。

 
「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる」(詩篇二十三篇五節)

笑う門には福来る

「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである」(ヨハネ十五章十一節)
(引用:http://vip-club.tv/sasaki/luf.htm)

 皆さん!

 大切なことは、私たちのためにいのちさえ惜しまず、十字架であがないをなしとげてくださった”主にあって喜ぶこと”なのです^^

 私たちも、主を見上げ、主にあって喜びましょう!


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根本的な病から抜け出す!

 皆さん!神様から離れ、悪魔に従ってしまった人間は、その結果、どうなったでしょうか?

 目が開かれ、”恥ずかしいという思い”になりました。そして、”神様を恐れる”ようになり、身を隠しました。

 さらに、”自分の罪を認めない人”になり、”責任転嫁する人”になってしまったのです(創世記3章);^^。

 ですから、「まことに、彼(イエス様)は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。」のです(イザヤ53:4)。

 このどうしようもない私たちの霊的な病いを、イエス様が十字架で担ってくださったのです!

 1950年~60年代、当時、黒人は大学にも入れなかった時代でした。

 この人種差別が激しかった時代に子供達を教育し、教え子たちを全員、大学まで卒業させた人がいます。

国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-マルバ・コリンズ

 黒人女性マルバ・コリンズです。

 女性と黒人は仕事も探すことが出来ない時代に、父親は夢を与えました。

「マルバ、将来、おまえは白人の秘書になる」と。

 彼女はレーガン大統領やブッシュ大統領から「米国教育省の長官になっていただきたい」との要請を受けます。

 しかし、彼女は「いいえ。私は子供たちを愛しています。ですから子供たちに実際に教えてあげたい」という返事をしています。

 彼女の教え子の中には、社長もいれば、国会議員など、そうそうたる人物がいます。

marva collins

 落ちこぼれ、問題児、無断欠席常習者・・彼らを一体どう育てたのでしょうか?

 彼らは言います。

「私たちが悪い事をすれば、マルバ先生は私達に罰を与えました」と。

 しかし、この罰は罰ではありませんでした!

 彼女は、子供たちが良くない事をした時に、例えば「おもちゃを盗みません」という文章の前にAからZまで彼らのアイデンティティを養う肯定的なことばを入れて、何千回も反省文を書かせたのです!

marva collins1

 Aは、Awesome(素晴らしい)

「私はAwesome(素晴らしい)ので、ほかの子供達のおもちゃは盗みません」。

 Bは、Bravery(勇敢)

「私はとても勇敢なので、ほかの子供達のおもちゃは盗みません」。

 Cは、Capability(能力)

「私は能力があるので、ほかの子供のおもちゃは盗みません」。

 そしてZまで。

elementary

 マルバは、子供達の良くない行動を正すだけで終わらずに、同時に常に肯定的なアイデンティティーを持たせてあげました。

 これは、彼らのアイデンティティを肯定的に確立させ、「自分は素晴らしい存在なんだ!」と自覚させる大切な方法であったのです!

 落ちこぼれ、問題児、無断欠席常習者・・・。

 彼らを叱ればよくなるでしょうか?

 いいえ。

 なぜなら、自分のアイデンティティが崩れ、セルフイメージが低くなっているからです。

 悪魔は「お前はダメだ!将来はない!」と悲観させ、投げやりにさせ、子どもたちを益々悪へ悪へと誘います!

jesus loves

 しかし、主は一人ひとりを価値ある素晴らしい存在として造られたのです。

 子どもたちを愛するとは、どんな時も「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)という神の目で、肯定的に評価することを止めないことなのです!

わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ43:25)

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。

16 見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。
」(イザヤ49:15,16)

 私たちの根本的な病は何でしょうか?

「お前はダメだ!将来はない!」と悪魔に思わされ、騙されてしまったことです!

 病んでしまった自分の思いではなく、真実である神のみことばを何度も覚え、自分に言い聞かせましょう^^


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なぜ、吉田松陰は短期間に多くの実を結べたのか?(佐々木満男・国際弁護士)

 幕末の時代、吉田松陰はわずか2年間で、多くの幕末の志士たちを育てました。

 高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文、井上馨、山県有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、吉田稔麿、入江九一、前原一誠・・・。

 その秘訣はどこにあるのでしょうか?

1. ドングリの背比べ

 あなたは一個のドングリを見て何を思いますか?・・・・

 たった一個のドングリですが、いろいろな見方がありますね。

どんぐり

 物事の見方は人によってさまざまです。

 一個のドングリでも肉の眼で見ているようですが、実はあなたの心の目で見ているのです。

 ですから、「肉眼」よりも「心眼」の方がはるかに重要です。

 そうすると、あなたが今抱えている「一つの問題」についてもいろいろな見方があるわけです。

 「大変なことになってしまった。へたをしたら命取りになりかねない」と非常に否定的に見ることもできます。

「つまらない問題だ」としてあえて無視することもできます。

石割桜

「すばらしいチャンスだ。この問題を通してきっといい事が起きるぞ!」と大きく前向きに考えることもできます。

 大切なことは、その問題をどのように見るかは、あなた次第であるということです。

2. 松下村塾の門下生たち

「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」

志を立ててもって万事の源となす

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」(松陰語録)

吉田松陰

 「至誠」(誠意を尽くす)を生涯のモットーとして幕末の時代を生きた吉田松陰は、黒船に密航しようとして逮捕、入獄の憂き目にあいました。

 暗くじめじめとした牢内は暖炉ひとつなく、他の囚人たちは皆、絶望し自暴自棄になっていました。

 しかし、松陰だけは実兄が差し入れてくれた本を毎日2冊、合計6百冊余りを読破し、喜々としていたそうです。


 「入獄」という一つの状況を、「絶望」と見ることもできるし、逆に「希望」と見ることもできるのです。

 学問を研鑽して獄を出た松陰は生家に幽閉されましたが、藩当局の許可を得て叔父の経営していた松下村塾を引き継ぎました。

 入塾希望者は誰も拒まず、商人、足軽、武士、農民の差別もせず、子どもから大人まで年齢も問いませんでした。

昔の農民

 松陰の教育方針はただ一つ。

 「人の長所を見抜いて、それを伸ばすこと」にありました。

 どんな人にも愛情と誠意をもって接しました。

 心から相手を信頼しきって、その人の欠点や失敗を責めずに、常にその動静に目を配ってその人の長所を見出し、それを自覚させて自信を持たせてしまう。

 それを実行した人が吉田松陰です。

 松陰が門弟の指導にあたったのは、再び投獄され首を刎ねられるまでの、わずか2年間でした。

 にもかかわらず、松下村塾の門下生からは、幕末、維新で活躍した多くの志士やトップリーダーたちが輩出しています。

 高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文、井上馨、山県有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、吉田稔麿、入江九一、前原一誠など。


坂本龍馬

 坂本龍馬も久坂らの影響を大きく受けて行動した一人です。

 長州の片田舎の小さな私塾からきわめて短期間にこれほどの逸材が輩出したことは、実に驚くべきことではないでしょうか。

 長州藩とか薩摩藩という小さな枠を超えて、松陰は「欧米の列強の植民地支配から日本を守り、自主独立の国家を作らなければならない」という世界的視野に立つ大きな理想を抱いていました。

 名もない下級武士や商人たちの将来の可能性を見抜いた松陰は、彼らの心に自分の理想を植えつけ、愛情と誠意をもってそれを育てたのです。


3. 神の見方

 筑波の科学万博では、たった一本のトマトの木に一万数千個のトマトが実る様が展示されました。

トマト

 その原点はたった一個のトマトの種です。

 そうすると、一個のドングリを見て、あなたは大きな樫の木を想像することができるのではないでしょうか。

 そうです、あの大きくたくましい樫の木はたった一個のドングリから生みだされるのです。

 それでは、神は一個のドングリをどう見ているのでしょうか。

 どんな可能性を見ているのでしょうか。

 神は一個のドングリの中に樫の木の林を見、樫の木の森を見てはいないでしょうか。

 神はたった一個のドングリにも無限の可能性を見ているのです。

 ましてや神は、あなたの中に無限の可能性を見てはいないでしょうか。


 そうだとすると、あなたも他の人の中に無限の可能性を見るべきではないでしょうか。
(抜粋引用:http://www.bmp.jp/sasaki/043.html)

いつでも祈るべきで、失望してはいけない」(ルカ18:1)

主に不可能なことがあるだろうか。」(創世記18:14)

わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。

13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。

14 わたしはあなたがたに見出される──
」(エレミヤ29:11~14)

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隣国に強敵があるのは幸い?

 隣に敵がいるとしたら、皆さんはどう思われるでしょうか?

 良く知っている中の良いとも出会ったら良いと思われるかもしれません!

 けれども、徳川家康は「隣国に強敵があるのは幸い」と言いました!

 皆さんがよくご存じのように、徳川家康(1543年~1616年 満73歳没)は264年続く徳川幕府を開いた日本の歴史上最も有名な人物の一人です。

徳川家康

 この家康自身が、多くを学び教訓としたのが、武田信玄だと言っています。

1572年12月22日の信玄と戦った三方ヶ原の戦いで多くの武将を失い惨敗した時の姿を肖像画にして、自身の生涯の戒めとした話も有名です。

敗北後の家康

 その後信玄が病没し、引き上げる武田軍を喜ぶ家臣に、こう言って戒めます。

「信玄のような武勇の大将は古今まれである。

自分は若い頃から、彼を見習いたいと思うことが多かった。

信玄こそ、我らの武略の師であると言って良い。

隣国に強敵があるのは幸いである。

なぜなら、こちらは油断怠り無く励み、またかりそめの仕置きにも心を使うゆえに、政治も正しくなり、家も整う。

もし隣国に強敵がなかったら、味方は武力のたしなみ薄く、上下ともに己を高く思って恥じ恐れる心をもたぬため、だんだん弱くなるものである。


信玄のような敵将の死を味方が喜ぶ理はない。」

武田信玄

 事実、武田の家臣を多く自分の元に集め、重臣であった石川数正が豊臣秀吉のもとに出奔するのに合わせて、

徳川の内情が全て秀吉に筒抜けになったことを理由に軍政を武田流に改変します。

 五男信吉を、母が武田遺臣の娘であったため武田姓を継がせ、(後の水戸藩へ繋がります)ここに多くの武田氏の家臣が集められています。

家康の遺訓は、

「人の一生は重荷を負うて遠き道がゆくがごとし、・・・」

で始まりますが、家康の生涯はまさに重荷を負い続けた生涯でした。

2歳 生母於大の方と別れる。

6歳 人質として今川へ送られる途中に織田に奪われ人質になる。(この時信長と知り合ったと言われます。)

8歳 織田、今川の捕虜交換で今川の人質生活が始まる。

18歳(1562年) 今川武将として参戦した桶狭間で今川義元を討たれ、織田信長に敗退。

20歳 織田信長と同盟(清洲同盟)。

見方が原

28歳(1572年) 三方ヶ原で武田信玄に敗退。

35歳(1579年) 信長との同盟維持のため、妻(築山殿)と嫡男(信康)を自害させる。

38歳(1582年) 本能寺の変 京、大阪を遊覧中であり、伊賀越えで命からがら三河に脱出。
40歳(1584年) 小牧・長久手で羽柴秀吉と対戦。

42歳(1586年) 秀吉の妹・朝日姫を正妻として向かえ、秀吉に臣従。

45歳(1589年) 北条旧領の関東へ移封。

54歳(1598年) 豊臣秀吉没

56歳(1600年) 関が原の戦い
(年齢は誕生日の関係で実際は前後していると思います。)

関が原

 家康は、信玄だけでなく、今川義元、織田信長、豊臣秀吉と戦国の一流武将の間で揉まれ、多くを学び、後の江戸幕府の礎を築きました。

 私たちもキリストの力で様々な苦難に打ち勝ち、キリストの似姿へ成長し、キリストの花嫁として変えられていくのです!

私の敵の前にあなたは私のために食卓を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。

6 まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも【主】の家に住まいます。
」(詩篇23:5~6)

 「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

(参考:http://ameblo.jp/1tubunomugi100tubu/theme9-10028509442.html#main)

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「深刻に見える問題を解決する道」(1)

 深刻に見える問題で、頭を抱えてしまうことはないでしょうか?

 しかし、深刻に考えれば考えるほど罠にはまってしまいます;^^

 では、どうしたら、良いのでしょうか?

1.問題を笑い飛ばす

 問題を深刻に悩む代わりに、これを笑い飛ばすことができたら、どんなにいいでしょう。

 まじめな人ほど、問題を深刻にとらえて思い悩んでしまいます。

 するとますます気持ちがふさいで、問題も解決できず、健康を害したり、時には自殺にまで追い込まれることもあります。

落ち込む

 悪い冗談は有害ですが、健全なユーモアは、健康な生活のために非常に大切です。

 健全なバランスを保つためには、まじめな人ほどユーモアを大切にすべきです。

 落語家や漫才師の中にも、意外にまじめな方が多いそうです。

2.時効忘却事件

 Mさんは豪快な弁護士で、毎日、朝から晩まで「ワッハッハッハ!」と大きな声で笑っています。

大笑い

 ある時、知人の弁護士Aさんが真っ青になって訪ねてきました。

 ある大きな事件で相手方と交渉しているうちに、うっかりしてこちらが要求している金銭債権の時効期間が過ぎてしまったというのです。

 裁判になっても、相手が時効を主張すれば、敗訴は明らかです。

「敗訴すれば依頼者が損害を受けるだけでなく、自分の責任も追及されかねない」ということで、深刻に悩んでいました。


laugh

 私は名案を思いつかず、Mさんに相談すると、彼は話を聞いた途端に笑い出しました。

「ワッハッハッハ! これは面白い!弁護士がよくこんな初歩的なミスをしましたね。これは特ダネニュースだ。ワッハッハッハ!」 。

 同席したAさんがあっけにとられていると、Mさんはその場で事件の相手方の弁護士Bさんに電話をして、

 「ワッハッハッハ! 先生、今面白い話を聞いたんですよ。

 弁護士が、係争中の債権の消滅時効を中断するのを忘れたらしいんですよ。

 実にこっけいですね。ワッハッハッハ!」と笑っています。


爆笑の波

 Bさんもつられて 、「ワッハッハッハ! それは面白い。

 そんな弁護士がいるんですね。

 でも、もし自分がそんな立場にたったら笑えませんね」と言ったそうです。

 そこでMさんはすかさず、

「その弁護士というのが、あなたの相手方のA先生なんですよ。

 かわいそうだから時効など主張しないで、正々堂々と実質的な法律論で争ったらいかがですか、ワッハッハッハ!」と笑い飛ばしました。

 Mさんの笑いに押されて、Bさんは自分の依頼者と相談して、時効を主張せずに争うことにしました。

和解

 そして、最終的には裁判にはならずに、両当事者の納得のゆく和解が成立したそうです。
(引用:http://vip-club.tv/sasaki/luf.htm)

神は私に笑いをくださいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう」(創世記21:6)

 主は私たちに笑いを下さるお方です。

 ですから、私たちもそう信じましょう!


 問題に対して深刻にならず、神の賜物として与えられている“”笑うこと“”を実践してみませんか^^

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ4:4)

いつも喜んでいなさい。」(第一テサロニケ5:16)

 この喜びこそが、絶えず祈り、すべてにおいて感謝する入口なのです^^

 そして、深刻に見える問題に光を与え、最高の祝福へと変えてくださる方法なのです^^

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 「主の奇跡が起こる秘訣」       

  使徒13:52~14:7

 

序)

 皆さん!死に直面している人の寿命を延ばすことは、できるでしょうか?ところが、もし笑うことさえできれば、可能なのです^^なぜなら、笑うと、笑いから出てくるエンドルフィンが出て、死にそうになっている人の命を2日延長させることができるからです。これはすでに医学的に証明されています。アメリカのインディアナ州メモリアル病院の研究チームによれば、15秒間、大きく笑うだけでエンドルフィンが出て、免疫細胞を活性化させ、寿命が2日間延長し得るそうです。

 

 笑いは癌を予防するためにも効果的で、各種のウィルスへの抵抗力も高めます。笑いがこれほどまでに良いのに、多くの人が笑わずに生きていきます。子どもたちは一日に400回笑います。しかし大人は15回しか笑いません。アメリカの心理学者ウィリアム・ジェー ムズは「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになる」と言いました。ですから、皆さん!笑いましょう。深刻になるのを止めましょう!リンカーン大統領は激動の人生の中、「笑わないと死んでしまう」と言い、積極的にジョークを飛ばしていたのです^^

 

 今日のメッセージタイトルは「主の奇跡が起こる秘訣」です。皆さん!主の奇跡が起こる秘訣をご存じですか?奇跡とは常識では起こるとは考えられないような、不思議な出来事のことです。それは3つです。1,聖霊の喜びに満たされる!2,諦めずに福音を語り続ける!3、諦めずに祈り続ける!です。

 

1,聖霊の喜びに満たされる!

 14章はイコニオンでの出来事です。パウロとバルナバがユダヤ人会堂で福音を語ると、大勢の人々が信じました。すると、何が起こるのでしょうか?世の君サタンが騒ぎ出します。人々が罪から解放されてクリスチャンになることは、サタンの手の中から人々が奪われることだからです。ですから、猛然と反撃してくるのです。まず人々を扇動し、敵対関係を作ります。そして世の権力を握っているリーダーを通して、迫害するのです。一言で言うならば、脅しです。人々を恐れさせ、恐怖心で人をコントロールし、支配するのです。

 

 最近、統一教会のことがしばしばニュースで伝えられています。統一教会は霊感商法で有名になりました。でも、それなのになぜ無くならないのでしょうか?彼らは人々を脅し、恐怖心で動けなくするからです。まず、彼らは姓名判断をし、その人の未来を占います。そして「このままでは不幸になりますよ」と脅します。そして、この不幸を取り除くためには、印鑑や壺が必要だと言って、買わせます。しかし、印鑑や壺を買っても、何の効果もありません。ですから、それらを買った人々が疑問を抱きます。すると、彼らはこう言います。「あなたの先祖があの世で苦しんでいます。供養しないと不幸が来ます」と。そして、そのために何千万も払わせるのです。また、彼らはこう言います。「これを家族や友人等他の人々に一切言ってはなりません。あなたがそれを他の人に言うとき、すべての効力は消えてしまいます。そしてあなたに不幸が襲い掛かってきます」。これこそ人を恐怖心で縛るサタンの手口なのです!

 

 しかし、サタンのこのような脅しに対して、使徒たちは福音を伝えることを止めたでしょうか?いいえ。彼らは大胆に福音を語り続けました。そして、殺されそうになったら、別の町に逃げ、またそこでも福音を語り続けたのです。ハレルヤ!彼らは本当に大胆でした。全く恐れていないのです!すごいですね^^。

 

 その秘訣が13:52に記されています。「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」。ハレルヤ!皆さん!これを一言で言うと、聖霊による喜びです。

 

 やくざだった右近勝吉さんという方がいます。彼は新宿のヤクザでした。そして警察に捕まっては、母親に「勝吉、悪いことはやめておくれ!」と泣かれる毎日でした。右近さんはパチンコ、映画が好きでしたから、そういうことで遊んで生活が出来て、楽しい人生と思っていました。それに、右近さんが町を通ると、皆さん、率先して道をあけてくださるのです;^^

 

 しかし、ある時、道をあけない人がいました。右近さんは「この野郎!」と思い、顔を見たら外国人でした。その外国人がニコッと笑いました。右近さんは驚きました!その顔の輝いていること!その顔は心からの笑顔でした。右近さんはその宣教師の笑顔につられて、毎週日曜日、礼拝に出席するようになったのです。これがきっかけでクリスチャンになり、今は多くの弱い人々に仕えておられるのです。

 

 その後、やくざだった右近さんに対し、別のやくざが喧嘩を売って来たそうです。しかし、へりくだって、聖霊による喜びに満たされていた右近さんは「あの。皆さんも聖書読まれませんか!」と勧めたそうです。すると、やくざもすっかり諦めて、お手上げだったそうです。ハレルヤ!聖霊による喜びの力なのです。

 

2,諦めずに福音を語り続ける!

 3節を見てください。「それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。」。世の力ある者たちが大勢の人々を動員し、クリスチャンに対する憎しみを掻き立て、険悪な人間関係になっていました。その時に使徒たちはどうしたのですか?「それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った」のです。ハレルヤ!

 

 神様は少し福音を語って、その後、嫌なことがあるからと言って、福音を語ることを止めてしまう人にはしるしと不思議を与えられません。諦めずに、長くその地に滞在し、主によって大胆に語り続けるとき

 

 皆さん!マルコ16:17~18には次のように記されています。「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、18 その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」。

 

 私たちはイエス様を信じる人々ですよね!それなのに、どうして奇跡やしるしが起こらないのですか?それは、何かあると、すぐに諦めて、福音を語らなくなるからです。実際、すぐ前の節にはしるしと奇跡が起こる前に宣教命令が記されています。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」(16:15)。まさに、今日の箇所でも主が言われているのは、“長くその地に滞在し、主によって大胆に語り続けた”使徒たちの模範なのです。諦めないで粘り強く、その地に滞在することです。すると、主が不思議としるしとを起こされるのです。

 

 あの無名の伝道者と言われた方がいます。その人はオーストラリアのシドニー(ジョージストリート)で、40年間、路傍伝道した方です。名前はフランク・ジェナーさん。ジェナーさんは一日も休まずに伝道し続けましたが、彼は一度も「あなたを通してイエス様を信じました」と人々から聞けませんでした。彼は晩年、自身の人生を“実の無い努力であった”と回想しました。しかし、彼に残った時間もわずかになった頃、イギリスのロンドンに住んでいた教会のある牧師が様々な場所で、証を聞くのです。「シドニーの無名の伝道者によって救われました」と。

 

 これはイギリスのロンドンで聞いただけではありません。アメリカのロサンジェルス、オーストラリアのパース、シドニー、イギリスのケズィック・コンベンションやインドに行った時に聞いたのです。その中には、これをきっかけにイエス様を受け入れた沢山の牧師や宣教師がいたのです。それから牧師は3年間の調査を行い、少なくとも146,000人が救われたという事実を知ったのです!ハレルヤ!


 ジェナーさんは伝道してから40年が経ち、何の実も結ばないで天国で主とお会いすることを悲しんでいました。しかし、イギリス人牧師の奇跡のような話を聞いた瞬間、涙を流しながら主に感謝をささげました。その2週間後、彼は喜びながら主のもとに帰って行きました。だれが14万人以上を救いに導くことが出来たでしょうか?シドニーでの40年間継続した伝道の実は、こんなにも素晴らしいものだったのです。

 

3、諦めずに祈り続ける!

 3節に記されている「長く滞在した」という意味は、もちろん福音伝道を止めなかったという意味ですが、それだけではありません。諦めないで祈り続けたということです。

 

 私はイエス様を信じて間もない頃、全日本リバイバルミッションの集会で、田中政男先生と1時間くらい電車の中でお話したことがありました。田中先生は学歴がなく、ご自身は「知恵も知識も学歴も能力もない。」と言われていました。しかし、ヨハネ14:14を信じたと言われました。それはイエス様のみことばです。「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。」。

 

 そこで田中先生はこのみことばを信じて、手あたり次第、イエス様の名前によって大胆にお祈りするようになりました。「おおイエス様!私を用いてください。主イエス様の証し人として日本中に遣わしてください。世界中に出て行って福音を語らせてください。天皇にも総理大臣にも会わせてください。伝道させてください」と。

 

 祈り仲間の兄弟たちがあざ笑って言いました。「そんなバカげたことを祈ったって聞かれるはずがないよ。政男兄弟と祈っていると誇大妄想狂といるみたいだ^^」と。しかし、田中先生は何と天皇、皇后に15回もお会いしたのです!そして、そのうち14回は天皇、皇后に直接間接に福音を伝えられました。また、総理大臣にも2回福音を語られたのです。また語学ができないと言われた田中先生が、40数回も世界の国々に行き、福音を伝えられ、9回もイスラエルの聖地旅行に行かれたのです。なぜでしょうか?みことばを100%信じて祈ったからでした!!

 

 皆さん!人々から誇大妄想狂と言われても、諦めないで大胆に何でも祈り続けるのです。すると、考えられない奇跡が起こるのです。今日のメッセージは「主の奇跡が起こる秘訣」でした。主の奇跡が起こる秘訣は3つでした。1,聖霊の喜びに満たされる!2,諦めずに福音を語り続ける!3、諦めずに祈り続ける!です。お祈りしましょう!

 

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人はなぜ教会に行くようになるのか? 右近勝吉さん その1

 教会とはまったく関係のない人が、どうして自発的に教会に行くようになるのでしょうか?

 強く誘われたわけでもないのに、不思議ではないでしょうか?

 やくざだった右近勝吉さんも、ある時から、非自発的に教会に行きたくなったのでした^^

 右近勝吉さんは満州で生まれ、6歳の時、佐賀県に引き上げて来ました。

 東京へは13歳の時に引っ越して来ました。

 外苑中学に入学した年の春、新宿のヤクザの組に入りました。

やくざ

 そして帝京高校の2年まで組員として働きました。

 代々木、原宿の警察に捕まっては、母親に「勝吉、悪いことはやめておくれ!」と泣かれる毎日でした。

 右近勝吉さんは、アメリカのアル・カポネというギャングに憧れ、「ヤクザの親分で頑張りたい」と思って努力していたのです。

アル・カポネ

 けんか、かつあげ、エロ写真売り、街頭将棋など、、、、。

 新宿の東口が右近さんのテリトリーでした。

 午前中は、各商店にあいさつ回りをし、お金をもらい、午後は、自分の縄張りを歩き回るのです。

 右近さんはパチンコ、映画が好きでしたから、そういうことで遊んで生活が出来て、楽しい人生と思っていました。

 それに、右近さんが町を通ると、皆さん、率先して道をあけてくださるのです;^^

 しかし、ある時、道をあけない人がいました。

 右近さんは「この野郎!」と思い、顔を見たら外国人でした。

 その外国人がニコッと笑いました。

 右近さんは驚きました!

 その顔の輝いていること・・・・・心からの笑顔でした。

 それはダン・マカルパイン宣教師でした。

マカルパイン宣教師

 その笑顔につられて、毎週日曜日、礼拝に出席するようになりました。

 日曜日は一日中、教会にいて、月曜日から土曜日まではヤクザ稼業に精を出していたのです^^

 高校2年の12月25日、渋谷公会堂でhi-b.a(高校生聖書伝道協会)のクリスマス大会がありました。

 右近さんはクラスメイトの中條君から誘われました。

「クリスマス大会で何かプレゼントをくれるぞ」と。

 プレゼントは集会が終わってからくれると思い、右近さんは遅れて行きました(聖書の話は不良にわからないので)。

 その時、説教をしたのはダビデ・マーチン宣教師でしたが、話の最後に千円札を取り出し、「欲しい人にあげます」と言い出したのです。

ダビデ・マーチン宣教師

 右近さんは「お金がクリスマスプレゼントなのか」と思い、話に聞き入りました。

信仰とは出されたものを受け取る、そういうことです、ハイ。イエス様を信ずる人は手を上げてください」との先生の呼びかけに、

 右近さんは「出されたものを受け取るぐらいなら、私もできる」と思い、手を上げました。

 すると、ダビデ・マーチン宣教師は、「今、手を上げた人は、前に出ていらっしゃい」と言われました。

 右近さんは3階の後部席に座っていたのですが、出て行きました。

 出て行くと、先生はお祈りをしてくださいました。

 聖書をいただき、「今日からクリスチャンです」と言われました。

 右近さんは喜んで教会に帰り、牧師先生に「今日イエス様を信じました」と言いましたが、、、

 牧師先生は右近さんに、「右近君が、イエス様を信じたということは信じられない」と言いました。

 右近さんは聖書を見せて、「これは信じた人しかもらえないのだから」と言ったのですけど、聞き入れてもらえませんでした。

 しかし、無理もありません。

 当時、右近さんは、毎週、毎週とっかえひっかえ違う女性を連れて教会に通っていたのですから。

 そして次の年の2月17日に受洗されました。

洗礼

 牧師先生は、まだ信じられなかったのか、右近さんの名前、右近勝吉(うこん・かつよし)を「うきん・かつきち」と呼んで洗礼を授けたので、

 役員さんよりクレームがついて、再度名前を呼び直され、水の中に入れられることになりました。

 その足で、右近さんはヤクザの親分のところに出向き、「今日イエス様を信じましたので、ヤクザをやめます」と言いにいきました。
(参照:「やっぱり生きるって素晴らしい」)

いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 」(第一テサロニケ5:16-18)

あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。

 燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。

 人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
」(マタイ5:14-16)

 キリストにある笑顔が人を惹きつけます!

 何もしなくても、それで人は教会に導かれるのです^^

 キリストにある笑顔こそが暗闇の中の光なのです(ヨハネ1:5)!

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