「私は間違いで生まれて来たに違いない!」その1

 沖縄には現在5千人以上の混血児がいる言われています。

 上原令子さんもまたその5千人の一人の混血児として、アメリカ統治下の沖縄で生を受けました。

 同世代に生まれて来た大多数のハーフと同様、「私生児」として・・・。

米軍基地

 「令子、あんたもらい子よ!」一緒に楽しく遊んでいた一人の子が、突然、何のためらいもなく令子さんに「教えて」くれました。

 令子さんはびっくりして、ショックで心がはちきれそうになりました。


 いや、もしかしたら心の奥ではすでに感じていたのかもしれません。

 ご両親の顔も、十歳年上の兄弟も全くの日本人で、彼女だけが赤い髪の毛に堀の深い西洋風な顔立ちをしていたのですから。

上原令子

 でもその友だちの一言はあまりにも悲しいものでした。

 その瞬間、令子さんは自分の「価値」をなくしてしまったのです。

「私はこの家の本当の子どもではない。じゃ、愛されていないんだ!」

 まだ5歳の彼女には到底、理性で理解することなど無理でした。

 ただ、何よりも一番大事な家族の愛を失ってしまったような気がしたのです。

 それからはご両親の愛が信じられなくなり、心の根底では「やっぱり愛されていないんだ!」と卑屈になっていったのです。

 心の傷はそれだけに収まりませんでした。

 この容姿のために「アメリカー!あいのこ!」といじめられ、泣きながら家に帰ることもしばしばだったのです。


いじめ
 
 そんなとき彼女を慰めてくれたのは、お父様の店で仕立ての仕事をして働いていた「お兄ちゃんたち」でした。

 小学校高学年になると、そのいじめはもっと陰険になっていきました。

 彼女はくやしくて、くやしくてたまりませんでした。

こんな顔で生まれてこなかったらいじめられなくてすんだのに!

 彼女はハーフの自分がいやで恥ずかしかったのです。

 しかし、中学になるともっとつらいことが待っていました。

学生服

 それは学校の制服を着、『上原令子』という名札を付けなければならないことでした。

 それは自分が日本人であるという証明と同時に、“私には父がいない”という、出来れば秘密にしておきたいことを公表して歩いているようなものだったからです。


 アメリカ兵との間に出来た令子さんを育てることが出来なかったお母様は、いとこにあたる上原家に4ヶ月の彼女を養女として手放しました。

 令子さんは中学生の頃にはその事実を知らされていました。

“望まれて生まれてきたのではない。間違いで生まれてきたに違いない!”

 そう思うと、令子さんの自分への価値はますます低くなっていったのです。


ディスコ

 そんなさみしさを満たすために毎晩、ディスコに入りびたり、万引きをし、未成年者でタバコを吸い、お酒を飲みました。

 彼女は日本の中学校を卒業した後、前々からの約束どおりご両親に念願のアメリカンスクールに入学させてもらいました。


 まだ見ぬお父様へのあこがれと、ご自分の半分のルーツへの興味もあって、どうしても英語をマスターしたいと思っていたからです。

 彼女はその学校で、英語だけではなく、聖書を学ぶことになるとは夢にも思いませんでした。

 アメリカンスクールには令子さんと同様、心に傷を持つハーフの「問題児」が多くいました。

 彼女に「仲間」が出来たので悪行がエスカレートし、しまいにはマリファナまで手にするようになっていったのです。

「彼(イエス・キリスト)は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。


jesus cross

 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」(イザヤ53:2~4)

あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」(詩篇55:22)

神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」(詩篇46:1)

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致命的な失敗はあるか?(万代恒雄牧師)

多くの人々は失敗を悪いことと思い、それを避けようとします。

けれども、人を愛さずに終わるより、失恋することの方がよいのではないでしょうか?

なぜなら、そのことを通して、多くのことを学べるからです。

実は失敗こそ最高の教師なのです。

万代師

すでに天に召された万代恒雄先生には痛恨の出来事がありました。

それは離婚です。

牧師という職業にとって、これは致命的な失敗と思われました。

シングル

結婚10年後、2人の子どもたちを残したまま奥様が去ってしまわれたのです。

他の様々な牧師先生たちの目には、それは悪であり、牧師としては致命的な失敗だと映ったことでしょう。

実際、万代先生も失敗だと認めておられます。

しかし、万代先生はそこから多くの教訓を得たのです。それは以下のことでした。

1、 牧師という人格的に価値観の高い職業を選んでいても、現実の自分は、偉くもなんともない失敗する人間だということ。

説教

2、 教会での自分の説教は、信者に対してではなくて、自分にすべきものだということ。

3、 仕事そのものの中では、成功も手ごたえがあるほどやっているのだという実感、それに加えて、努力し続けている限り、敗北もないのだし、これで、何もかもだめになったと考えない限り、これは決定的なものではないこと。

4、 失敗で恐怖にとらわれて、挑戦も冒険もしないほうが恥ずかしいことだし、自分の人生の目標はまだ終了していないのだということ。

5、 今、失敗したからといって、これが続くと考えるのがおかしいのだということ。

 その後の万代先生はどうだったでしょうか?

まことの救い

1986年にから、放送伝道を開始して、後に朝日放送系14局ネットで“まことの救い”でメッセージを続けられ、それは万代栄嗣牧師に受け継がれ、今日まで継続しています。

海外宣教

また、ケニア、タンザニア、インドネシアなど世界26ヶ国を巡回して伝道されました。

1981年にノイローゼ治療のために松山ヒューマンクリニックを、また1983年には可能性開発研修センターを開設されました。

さらに1985年アメリカのインターナショナル・ユニバーシティーより哲学博士の学位を得られました。

 万代先生は言われます。

私はどん底からやり始めてみました。ですから、私は逃げませんでした。私の人生の成功、失敗は、私のテーマであることに気づいたのです」(参考:万代恒雄「輝き人生のデザイン」)

 みことばは以下のように私たちを励ましてくださっています!

主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。・・・主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる」(詩篇34:7、18)

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(第一ペテロ5:6~7)

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永遠のいのちを持つ者の生き方(羽鳥明牧師)

羽鳥明

 太平洋放送協会名誉会長であられる羽鳥明先生のお母様は晩年、腎臓ガンを患っておられました。

 しかも、いつ召されてもおかしくないような末期ガンでした。

 ですから、羽鳥先生の奥様が付きっ切りで看病されていました。

 しかし、ベルリンでの世界伝道会議が近づいてきます。

 この会議で、羽鳥先生は大切な役割をすることになっていました。

mother

 けれども、羽鳥先生は「母親がこのような危ない状態ではベルリンには行くまい」と決心しておられたのです。

 しかし、お母様が言うのです。

「いや、おまえ、行かなきゃいけませんよ、おまえ、行かなきゃいけませんよ」。

 そのように口を酸っぱくするほど言われたので、羽鳥先生は後ろ髪を引かれる思いで、「お母さん、じゃあ行って来ます」と言いました。

 すると、お母様は病院のベッドで「ばんざい」と仰いました。


 こうして羽鳥先生を送り出してくださったのです。

世界伝道会議

 そして、ベルリンで伝道会議が行われた真ん中頃のときに、夜中に奥様から電話がかかって来ました。

「あなた、お母さんが召されました。昇天しました」。


 それを聞いて羽鳥先生も奥様も言葉が詰まってしばらく沈黙されていました。

 その時、奥様がこう仰いました。

jesus

「でもねえあなた、お母さん、召されるときに、『ああ、イエス様が見える、ハレルヤ!』と言って本当に平和のうちにイエス様のところに帰って行きました」。

 羽鳥先生はそのことばを聞いて、ポロポロポロポロと涙を流しながらも、心の中からいい知れない喜びを感じたのです。

 羽鳥先生のお母様は、イエス様から永遠のいのちをいただいていました。

 もちろん、羽鳥先生ご夫妻もそうです。

 ですから、末期ガン、危篤に近い状態であっても、お母様は「ばんざい」と言って、息子である羽鳥先生を海外に送り出すことが出来たのです。

reunion in heaven

 また、羽鳥先生も後ろ髪を引かれる心はあったものの、たとい召されても、天国で再会できるとの希望と確信をもってベルリンに出発することが出来ました。

 このように永遠のいのちを持つ者は世にとらわれず、天を仰ぐ、大胆な生き方が出来るのです!(参照:羽鳥明「本当の愛」)

また私は、天からこう言っている声を聞いた。『書きしるせ。《今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。》』御霊も言われる。

reunion in heaven1

『しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。』」(黙示14:13)

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)

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お金に代えられない報酬(チャック・タイラー)

 お金があれば、何でも買うことができます。

豪邸

 好きなものを食べ、最新のファンションをまとい、豪邸を建てることも出来ます。

 けれども、お金に代えられない、それ以上の報酬があります。

 タイラーさんが今、最も力を入れているのは、耳の聞こえない人々のための人口耳を作る事です。


髪の毛

 それを作るためには、髪の毛の4分の一ほどの太さの線を溶接しなければなりません。

 タイラーさんの会社は、その難しい技術の特許を持っているのですが、人口耳が広く作られるように、この特許を無償で提供しているのです。


 彼は言います。

「私はお金に代えられない報酬を受けている。私が開発した技術で、今まで耳の聞こえなかった子どもたちが初めて自分の耳で音を聞いたり、

 美しい音楽を聞く時に、どういう反応をするか、あなたがたは想像できるでしょうか?」


 彼は人口耳の開発者として子どもの耳に初めてそれを入れます。

 そして音を聞かせ、子どもたちの反応を見ます。

 すると、子どもたちは最初ビックリします。

人口耳

 次に、あまりに感激して泣き出すのです。

 それを彼は何度も何度も見てきました。

 タイラーさんは言います。

これこそお金に返られない報酬なのです!

 困っている人、弱さの中にいる人々のために奉仕する生き方・・・・。

 そこに最高の幸せ、報いが待っているのです!


jesus helps me

このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、

 私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。
」(使徒20:35)

「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。

 あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイ25:40)

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快楽〈幸福〈祝福〈?

 人間にとって、快楽、幸福、祝福は非常に大きな喜びだと、一般的に考えられています。

 これらはどのようなものでしょうか?

ご馳走

1、 快楽とは肉体的なもので、感覚がしびれるような快感を体験する喜びです。

 飲食、スポーツ、性愛の行為等の喜びのことです。

象

2、幸福とは人間関係がスムースに行くことから来る喜びのことです.

 夫婦関係、親子関係、会社での人間関係等が上手くいっている喜びです。

受験

3、祝福とは幸福よりも大きな事が起こったとき使います。

 結婚、子どもの誕生、受験合格等の希望が実現する時の特別な喜びのことです。

 しかし、困難、試練、苦しみ、病気等が来ると、快楽、幸福、祝福のフィーリングは
吹っ飛んでしまいます。

 なぜなら、それはよい環境、よい状況のもとでのみ成り立っているからです。

 けれども、これらを乗り越えて存在できるものがあります。

主にある喜び

 それは・・・・

4、「主にある喜び」(ピリピ4:4)です。

 ですから、この「主にある喜び」は医者から末期がんの宣告を受けても消えません。

 これはクリスチャンのみに与えられる霊的な能力なのです。

 パウロはローマの獄中にありながらも、ピリピ教会の人々に対し「主にあって喜び
なさい。もう一度言います。喜びなさい。」と励まし、勧めることが出来ました。

 この喜びはどんな環境や状況になっても変わりません。

 たとい、死に直面していても変わらないのです(ピリピ2:17)!

 聖霊によって与えられた喜びであるからです。

 喜びがあれば、祈れます。そして感謝が出来ます
(第一テサロニケ5:16~18)。

サタン

 悪魔はいつも、私たちからこの喜びを奪い取ろうと必死です。

 パウロは次のように警告しています。

「どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。」(ピリピ3:2)

 ですから、私たちはいつも心を守り、自分の人生の中心、心の王座に毎日、聖霊様を歓迎し、聖霊様の御声に聞き従って歩みましょう!


見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 」(箴言4:23)

聖霊

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ4:4)

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どうしたら人は救われるのか?

 日本にはクリスチャンは1%しかいないと言われます。

 しかし、「もし宗教を信じるなら、あなたはどの宗教を選びますか?」という調査が以前なされましたが、その結果、「もし信じるならキリスト教」という方が4分の1、つまり25%いたのです^^ 

 ところで、一体どうしたら人は救われるのでしょうか?

 それはまず、”クリスチャンが魅力的に思われること"を通してです^^
藤巻師

 ホーリネス教団の牧師であり、長年、神学校で教鞭をとって来られた藤巻充先生の19歳の時のことです。

 学校に、名前を「トライブル」という外人の先生がおられました。

 あだ名は「ミスター・トラブル」。

にらむ

 なぜ「トラブル」かというと、とても神経質な先生で、机のきしむ音がしただけでも、「じっと」にらめつけるほどだったからです。

 しかし、19歳の藤巻青年の行き詰った時、この先生が親身になって相談に乗ってくださったのです。

 トライブル先生は「自分は信徒だけれど、近くの教会に神父様がおられるから、そこに相談に行きなさい」と勧めてくださいました。

 そのことが藤巻青年には大きな感動でした。

 なぜなら、「あの先生はトラブルだ!」と思い、嫌っていた先生です。

 そう思われていたことをトライブル先生も知らないはずがありません。

カウンセリング

 しかし、それにもかかわらず、トライブル先生は藤巻青年が自分に頼って来た時、真剣に話を聞いてくれたのです。

 そればかりか、トライブル先生は「それでは自分が藤巻君を導いてあげよう!」という上からの目線ではなく、「どうしたら最善をなせるだろうか!」と心から若い青年に仕える姿勢だったからです。

 その生き方が19歳の藤巻青年を捕らえました。


 藤巻先生は当時、「人間はどんな人も下心があり、不純なところがある」と思っていました。

 しかし、トライブル先生は全く異なっていて、ただひたすら相手のために愛をもって尽くされたのです。

 こうして、藤巻先生はキリスト教に惹かれるようになり、ついにクリスチャンとなり、牧師となられました。

 そして、今日まで沢山の本を書かれ、多くの主の働きをなして来られたのです。
(参考:藤巻充「聖書は語る」)

マタイ5:14

あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」(レビ記19:18)

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。 」(マタイ7:12)

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人生を成功させ、自己実現させるための最大の武器

 人生を成功させ、自己実現させるための最大の武器は何でしょうか?

 それは“信用”です。

trust

 信用できる人であるというレッテルを貼られることは、どのような肩書きよりも強いものです。

 これがなくては、大学教授も、社長も、大臣も全く意味がありません。

 ではどうしたら、信用される人になれるでしょうか?

 それは、その人の「語ることば」と「行い」との間に一致を見せることが出来るときです。


 これこそ人生における強力な力です。

 そのためにはまず、「心構え」が大切です。

horse

 どんな名馬も、手綱なしに調教することは出来ません。

「山中の賊を退治することはやさしいが、心中の賊を退治することは難しい」と孔子が言う通りです。

 心中の賊とは何でしょうか?

 それが“肉”、つまりクリスチャンになる前の自己中心の心です。

 この肉に悩み格闘したパウロはこう言っています。

「私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています」(ローマ7:19)。


paul

 しかし、パウロはこの肉に勝利する原理を発見しました。

「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」(ローマ8:13)。

 つまり、聖霊様の導きに心を向け、肉ではなく、瞬間瞬間、聖霊を選ぶことなのです!

 この聖霊に満たされることこそ人生を成功させ、自己実現させるための最大の武器です!


「ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。

spirit

 御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。

 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい」(エペソ5:17~21)

 そして二番目に大切なことは、小さなことをおろそかにせず、相手との約束を果たしていくことです。

 信用とは積み重ねです!即席でできることではありません!

 1つ1つの事柄に対して、相手に誠意をもって対応していきましょう^^

 その積み重ねによって、相手に信頼され、信用される人となるのです^^

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10)


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按手の祈りによる難病治療

 イエス様を信じて8ヶ月になった、ある有名な医学博士がいます。

 この医学博士はイエス様を信じる前は人間の手段と方法で患者を癒し、癒すことの出来ない患者は大きな病院に送っていました。

グッドバイ

 しかし、イエス様を信じて聖霊様の恵みを体験してからは、自分が癒すことの出来ない患者が来ても、診察台に寝かせて按手の祈りをするようになりました。

 そして、人間的には癒すことの出来なかった人を、父なる神様が癒してくださった3人の人の例を話したのです。

 最初の人は舌が抜けてしまった状態が癒されたのでした。

動物の舌

 彼はこの患者が運ばれてきた時、大変焦ったそうです。

 なぜならば彼の20年間の外科医としての生活の中で、舌が抜けたという症例は初めて見たからです。

 ですから、彼はその患者をどのように治療したらいいか分からなかったのです。

 仕方がないので、まず診療室の彼の前の椅子に座らせて、こう祈ったそうです。

父なる神様、私は舌の抜けた人を初めて見ました。私にはどのように治療したらいいか全く見当もつきません。どうか父なる神様、癒してください。

 そして他の患者の治療が終わるまで別の部屋で待たせました。

 30分ほどして彼がその患者の様子を見に行ってみると、舌は元の位置に戻っていたそうです。

苦しみ

 2番目の人は、1週間以上、下血をしている患者でした。

 一般的にはそのような場合はすぐに設備の整った大きな総合病院に送って検査し、おそらく長期間の治療が必要だと思われるケースでした。

 ところが、この患者はクリスチャンでした。そこでこの医者はこう言いました。

 「あなたはすでに大量の出血をしているので危険な状態です。もし私がイエス様を信じていなかったなら、すぐにでもよその病院に行くように言って、帰ってもらうところです。

 けれども、私はイエス様を信じていますから、その前に最善の努力をしてみます。あなたは父なる神に反逆して、罪を犯してこのようになったのではありませんか。思い当たることがあれば悔い改めなさい。

悔い改め

 そういった後、按手の祈りをして治療していると、突然口から「あなたは3日経ったら完全に癒される。」という言葉が飛び出しました。

 彼自身、それを聞いてびっくりして、心の中で「これは大変なことになったぞ、もし3日後に癒されなかったらどうしようか。私の信仰も揺れ動くし、あの人の信仰も大丈夫かな」と思いました。

 そして、そう言ってしまったことを後悔して心配したそうです。

 ところが3日経つと、その患者は完全に癒されていたそうです。

 3番目の人は、膝に関節炎のような病気を患っている患者でしたが、大きな病院で調べてみても関節炎でもなく、皮膚病でもないということで、何か原因さえはっきりしないのです。

 医者は「おそらく医学ではこの病気は癒すことが出来ないだろう」と考えたので、患者を座らせて祈ったそうです。

Prayer

 「父なる神様、この病気は私が癒すことが出来ません。なぜなら、何の病気かも分からないからです。ですから、父なる神よ。私はあなたに祈ります。どうしたらいいか教えてください。

 そして5日間治療を受けるように言いました。

 5日の間、彼は患者が来るたびに祈って治療しました。

 すると、5日目に完全に癒された
そうです。

 そしてこの医師はこう言いました。

「最近はどうなっているのか全く分かりません。本業が副業になり、副業が本業になりました。患者さんが来たら、まずイエス様を伝えて祈ってあげます。

 治療は付け加えてします。私は今や、真実に人を癒すためには医師の技術や薬だけでは出来ないということを知りました。

 霊魂が救われて聖霊様の助けを受けながら、手術もし、投薬もするときに癒されることを悟りました。」(参照:チョー・ヨンギ師「人生の道」)

 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:5)

創世記2:7

 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ33:3)

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異端は聖書を勝手に解釈し、人々を惑わす!

 異端とは何でしょうか?

 正当な教理、信仰から外れていることです。

 キリスト教の異端はエホバの証人も統一協会(世界平和統一家庭連合)もイエス様の十字架による救いを否定します。
 
 なぜでしょうか?それは聖書個々の箇所を聖書全体から見ようとしないからです!

 統一原理(統一教会の教典)は少し難しい箇所である、以下の創世記15章を、聖書に反して解釈します!

 ここで、主はアブラハムと不思議な方法で契約を結ばれました。

 主は牝牛、雌やぎ、雄牛、そして、山鳩のひなを持って来なさいと言われたのです。

創世記15

 アブラハムは鳥以外をすべて真二つに切り裂き、その半分ずつを互いに向かい合わせにしたのです。

 しかし、「ただし、鳥は切り裂かなかった」(創世記15:10)と記されています。

 鳥はレビ記1:17にあるように、翼を裂き切らず、切り離してはならないことが律法の規定でした。

 この箇所を、何と驚くことに、統一原理は「アブラハムの失敗」と捉えるのです!!

 この失敗をしたので、救い主メサイヤが来ることが出来る条件が遠のいてしまったと、とんでもない解釈をするのです!

 このように、異端とは聖書全体の理解がないので、聖書の部分的なところを私的に解釈し、大きな過ちを犯し、人々の救いの妨げをしているのです!


 ところで、いけにえの間を「燃えているたいまつが通った」が通った意味は何でしょうか?

 これは当時の契約の仕方だったのです!

 エレミヤ34:18以降を見ると、2つに断ち切られた、いけにえの間を通ることは、敵の手に渡されて、いのちを失うことを意味していました。

エレミヤ34

 つまり、征服された王がそこを通らなければならなかったのです。

 ですから、これは命がけの契約でした。

 しかし、ここ(創世記15:17)で不思議なことが起こっています。

「さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた」(創世記15:17)

 「かまど」と「たいまつ」は神のご臨在を現しています。

 本来、全く弱い立場にあるアブラハムが2つに断ち切られたものの間を通るべきです!

 しかし、そうではなく、主なる神様ご自身が通られたのです。

 つまり、その意味は、この契約が破られた時、その全責任を主ご自身が取られることでした。

 どんな形で、主はその責任をお取りになったのでしょうか?

十字架

 それがあのカルバリの丘での出来事です!

 主なる神であられるイエス・キリストご自身が、契約に背き、罪を犯した私たちの身代わりとして、木にかけられ、呪われたものとなってくださったのです!

 本来の契約とはAとBとの関係です!

 しかし、失敗し、罪を犯してしまう罪人=アブラハムがその責めを負うのではなく、どんなことがあってもその責めを主が負ってくださるということです!

 このまったく考えられないほどの愛の契約、それが主と私たちとの契約なのです!!

 なぜでしょうか?

 みことばは今日も私たちに訴えています!

「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。

Fire

 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。

 わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。

 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

 だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。・・・・わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ43:2~4、25)

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小さな祈りの大きな答え!
 
 チョー・ヨンギ先生はアメリカのCBSテレビの理事長であるパット・ロバートソン牧師が運営しているリーゼント大学でセミナーを導いたことがありました。

 その時、チョー先生は学校の近くのホテルに泊まっていました。

ホテル

 そこには黒人のベル・ボーイがいました。

 年齢は44~5歳、大変物静かな男性で、時々見せる笑顔が輝いている人でした。

ボーイ・ブラック

 ある日、チョー先生はそのボーイに、今日は一人で静かに食事したいから、ベトナム料理の店に案内してくれるよう頼みました。

 本当はホテルの隣にベトナム料理のレストランがあったのに、彼はそれを知らずに車を高速道路に乗り入れました。

 仕方なくチョー先生はタイ料理のレストランに行って、彼と食事をすることにしました。

タイレストラン

 すると、私がそう言った途端に彼は涙を流してこう言うのです。

牧師様、こんな奇跡があるでしょうか。私の様な者があなたのような偉大な、有名な牧師様と一緒に食事できるなんて。

 信じられません。実は2年前に私は先生の本を読んで大変感動して、こう祈ったことがありました。


祈り

父なる神様、このチョー・ヨンギ先生と一度会って食事でもすることができませんでしょうか。お願いします。

 でもそう祈りながらも、まさか私のような無名の黒人が、どうして先生のような人と食事ができるはずがあるだろうかと、たいして期待はしていませんでした。

 ところが今日、父なる神様がその祈りに答えてくださいました。」

 チョー先生はそれを聞いて心に深い感動を覚えました。

チョー・ヨンギ師

 誰にも会わないようにと考えていたチョー先生を、(父なる神様は)道を誤らせて、ともに食事をするようになさったからです。

 私たちの主はこのような小さな祈りにも耳を傾け、答えてくださるお方なのです!


目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(第一コリント2:9)

あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう」(詩篇81:10)


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