人生を成功させ、自己実現させるための最大の武器

 人生を成功させ、自己実現させるための最大の武器は何でしょうか?

 それは“信用”です。

trust

 ”信用できる人”であるというレッテルを貼られることは、

どのような肩書きよりも強いものです。

 これがなくては、大学教授も、社長も、大臣も全く意味がありません。

 ではどうしたら、信用される人になれるでしょうか?

 それは、その人の「語ることば」と「行い」との間に一致

あるときです。

 これこそ人生における強力な力です。

 そのためにはまず、「心構え」が大切です。

horse

 どんな名馬も、手綱なしに調教することは出来ません。

「山中の賊を退治することはやさしいが、心中の賊を退治することは

難しい」と孔子が言う通りです。

 心中の賊とは何でしょうか?

 それが“”、つまりクリスチャンになる前の自己中心の心です。

 この肉に悩み格闘したパウロはこう言っています。

私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、

したくない悪を行なっています
」(ローマ7:19)。

paul

 しかし、パウロはこの肉に勝利する原理を発見しました。

もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。

 しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、

あなたがたは生きるのです
」(ローマ8:13)。


 つまり、聖霊様の導きに心を向け、肉ではなく、瞬間瞬間、

聖霊を選ぶことなのです!

 この聖霊に満たされることこそ人生を成功させ、自己実現させる

ための最大の武器です!

「ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、

よく悟りなさい。

 また、酒に酔ってはいけません。

 そこには放蕩があるからです。

spirit

 御霊に満たされなさい。

 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、

心から歌い、また賛美しなさい。

 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの

名によって父なる神に感謝しなさい。

 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい
」(エペソ5:17~21)


 そして二番目に大切なことは、小さなことをもおろそかにせず、

相手との約束を果たしていくこと
です。

 信用とは積み重ねです!

 即席でできることではありません!

 1つ1つの事柄に対して、相手に誠意をもって対応していくことです。

 その積み重ねによって、相手に信頼され、信用される人と

なるのです^^

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に

不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
」(ルカ16:10)

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なぜ”善悪の知識の木”が園の中央に置かれたのか?

 

 ある高校生は「”善悪の知識の木”が園の中央に置かれたのは神が人間に罠を

 

仕掛けたのだ」と言いました。

 

 彼は「”善悪の知識の木”がなければ人間は罪を犯さなかったのに!」と

 

言いました。

 

 

 そこで、もう一度、主のみことばを確認しましょう。

 

神である【主】は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての

 

木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。・・・

 

 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。

 

 その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:9、17)。

 

 ところで、なぜ主は「善悪の知識の木」を園の中央に置かれたのでしょうか?

 

 

1、アダムの従順の基準

 

 「善悪の知識の木」は第一に従順の基準でした。

 

 神様は「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」(創世記2:16)

 

と仰っておられます。

 

 そして、すべての支配権をもアダムに与えました。

 

 ですから、このような限りない祝福に対して、2:17の命令は本当に取るに

 

足らない務めでした。

 

 神様はアダムをロボットとして造られたのではなく、自由意思のある人間として

 

造られました。

 

 

 ですから、神様はアダムの小さな従順を願われたので、その目印として、

 

善悪の知識の木を置かれたと多くの方々が説明します。

 

 もちろん、その通りです。

 

 しかし、これは消極的な理由です。

 

2、生きるため

 

 では「善悪の知識の木」が園の中央に置かれた積極的な理由は何でしょうか?

 

 人間が”生きるため”です!

 

 では“人間はいったい何によって生きるのでしょうか?”

 

 イエス様は申命記8:3を引用され、こう言われました。

 

 

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことば

 

=レーマで生きる』と書いてある。」と(マタイ4:4)。

 

 そうです。人間が霊的に生きるためにはみことば=レーマが必要なのです。

 

 ギリシャ語において言葉はレーマとロゴスがあります。

 

 ロゴスは“すでに書かれたことば”という意味です。

 

 これに対して、レーマは“その人に聖霊様が個人的に語り掛けられたことば

 

という意味なのです。

 

 ですから、ローマ10:17も、「ことば」にレーマが使われています。

 

ですから、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのことば

 

=レーマを通して実現するのです。」(ローマ10:17)。

 

 信仰が成長するのも、漠然と聖書を読むのではなく、実際、その人に

 

語り掛けられたみことば=レーマに聞き従うことによって成長する

 

ということです。

 

 

 アダムは主から直接、個人的に「善悪の知識の木からは、食べてはならない。

 

その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」とみことば=レーマを

 

いただいていたのです。

 

 ですから、そのみことば=レーマは一番目立つ場所、つまり園の中央に

 

掲げなければいけなったのです。

 

 もし、園の目立たない、分からないところに善悪の知識の木が置かれたなら

 

アダムはみことばを忘れ、ずっと早く堕落してしまったのです。

 

 ですから、アダム=人間が生きるためには、園の中央にみことば=レーマを

 

置かなければならなかったのです!

 

 それは教会の正面に十字架が掲げられていることと同じです!

 

 十字架を見ると、”一瞬にして”主の救いを悟れます

 

 善悪の知識の木も”一瞬にして”主を恐れ、主との契約を悟るためだったのです!

 

 

3,神の主権を侵害しないため

 

 「善悪の知識の木」の存在は神の主権を侵害しないためでした。

 

 

 「善悪の知識の木からは、食べてはならない。

 

 その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:17)。

 

 これには霊的な深い意味があります。

 

 これらを食べたアダムとエバは知らなくてもよい罪と悪に「目が開かれ」た

 

のでした(創世記3:7)。

 

 そこから、恥、恐れ、責任転嫁、呪いと死が人間に入ってきたのです。

 

 しかし、「悪だけではなく、善に対しても目が開かれたのではないか。

 

 これはよいことではないか?」と思われるかもしれません。

 

 けれども、”物事の善と悪を判断し、決めるのは主権者である神様”であり、

 

人間ではないのです。

 

 

 アダム=人間は”何が善で、何が悪であるか?”を主に聞いて、主のみことばに従う

 

べき存在でした。

 

 それなのに、善悪の知識の木からは、食べるということは、“神の位置に立つこと”

 

であり、“神の主権を奪うこと”だったのです。

 

 ですから、エデンの楽園から追放されてしまったのでした。

 

 私たちは神の領域を侵害する悪を行ってはならないのです!

 

 

またイエスは、自分の領分を守らずに自分のいるべき所を捨てた御使いたちを、

 

大いなる日のさばきのために、永遠の鎖につないで暗闇の下に

 

閉じ込められました。」(ユダ6)

 

 

 

もろもろの民の諸族よ【主】に帰せよ。栄光と力を【主】に帰せよ。

 

 8 御名の栄光を【主】に帰せよ。

 

 ささげ物を携えて主の大庭に入れ。

 

 9 聖なる装いをして【主】にひれ伏せ。

 

 全地よ主の御前におののけ。

 

 10 国々の間で言え。

 

『【主】は王である。

 

 まことに世界は堅く据えられ揺るがない。

 

 主は公正をもって諸国の民をさばかれる。』」(詩篇96:7~10)

 

 

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは

 

考えず、7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じように

 

なられました。

 

 人としての姿をもって現れ、8 自らを低くして、死にまで、それも

 

十字架の死にまで従われました。

 

 9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を

 

与えられました。」(ピリピ2:6~9)

 

 

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真に成長する人

 

 「7つの習慣」で著名なスティブン・コヴィー博士と彼の研究チームは


アメリカ独立200周年を記念し、アメリカで出版された”成功”に関する

 

何千種類も文献を研究をしました。

 

完訳 7つの習慣 人格主義の回復 | スティーブン・R.コヴィー, フランクリン・コヴィー・ジャパン |本 | 通販 | Amazon さん

 

 この過程で、彼らは驚くべき事実を発見しました。

 

それは、建国後150年間は、ほとんどすべての資料が、内面的品性を重視している

 

のに対して、最近の50年間は、他人に見せるための外面を強調する

 

世渡り術”を成功要因としているという点でした。

 

 言い換えれば、独立後150年の間に出版された文献は、言行一致、謙遜、勇気、

 

忍耐、勤勉、信用、純粋さ、模範などを強調していました。

 

 

 しかし、近年50年間の文献は、社会的イメージ管理、ファッション、

 

演説のテクニックばかりを取り扱っていたのです。

 

 これは、深刻な体の病気を治す時、精密な診断や処方をせず、対処療法ばかりを

 

するのと同じです。

 

 人類社会の様々な問題は、世界の指導者たちが内面世界ではなく、世渡り術

 

中心とするところから始まっていると、コヴィー博士は指摘しています。

 

 

 ところで、20世紀最大のリバイバリストであるビリー・グラハム牧師は、

 

引退する時、記者から次のように質問されました。

 

「もう一度、新しい人生を送れるとしたら、どのように時間を過ごしますか。」

 

 すると、グラハム師はこう答えました。

 

メッセージをしたり、教えたりする働きを半分に減らして、残りの時間は

 

自分自身を開発して訓練することに費やしたいです。

 

 霊性と知性を育てることに、より努めたいです。

 

 

 この告白は、彼が生涯働く中で、自分の成長がどれほど大切であるかを

 

切実に悟ったことを表しています。

 

 小さな一歩であっても、一足一足、主と共に歩み、日々成長していくこと

 

私たちにとって大切であることを教えられるのではないでしょうか!

 

 

 「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、

 

大きな声で言われた。

 

 『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。


 38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、

 

生ける水の川が流れ出るようになります。」(ヨハネ7:37)

 

 

 

 イエス様は”霊的な渇きを覚えている者”を大声で招かれます。

 

 そして、イエス様を信じる者の心の奥底から豊かな聖霊の川が流れると

 

約束されています!

 

 では、イエス様(わたし)を信じる者とはどんな人でしょうか?

 

 「霊的に渇いている人」のことです。

 

 イエス様を信じる者には必ず霊的な餓え渇きが起こるはずです。

 

 もし霊的な餓え渇きがないなら、霊的な病かも知れません;^^

 

 もしそうであれば、主にその原因を教えていただきましょう!

 

 

 主は私たちがキリストの身丈まで成長することを願って

 

おられます(エペソ4:13)。

 

 

 ですから、使徒ペテロはこう勧めています。

 

だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、
 

 6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
 

 7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
 

 8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主

 

イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者に

 

なることはありません。」(第二ペテロ1:5~8)

 

 

 ”霊的成長を日々願って求める人”こそ”真に成長する人”なのです。

 

「 わたしはあなたの神【主】である。

 

 わたしがあなたをエジプトの地から連れ上った。

 

 あなたの口を大きく開けよ。

 

 わたしがそれを満たそう。」(詩篇81:10)

 

日々、自分の霊的成長を主に求め、一足一足成長しましょう^^

 

 

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喜びにあふれた生き方が不可能を可能とする!

 福音書に「イエスは涙を流された」(ヨハネ11:35)と記され

ています。

 けれども、”イエス様は笑われた”とは記されていません。

 ですから、「イエス様はあまり笑われなかったのではないか?」

という疑問を持つ方もいます。

 しかし、これは大いなる誤解です。

 イエスはひげを伸ばされていたでしょうか?

 聖書にはどこにも書いてありません。

 しかし、ユダヤ人がひげを伸ばしておられないはずがありません。

 そのように、喜びのことばをしばしば語られた主が、どうして

微笑を浮かべなかったことがあるでしょうか。

 笑顔を絶やされなかった主であったがゆえに、敢えて

「イエスはお笑いになった」などと書く必要がなかったのです。

 聖書の中に「喜び」ということばは800回出てくるそうです!

 この”聖霊による喜び”こそがイエス様の力の源でした^^

キムグ

 ところで、1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であり、

カトリック教徒であったキム・グ(金九)は当時、中国で独立運動を

していました。

 その時に、ある青年がキム・グを殺そうと銃をもってやってきた

ところ、独立軍に捕らえられました。

 独立軍はこの青年を処刑する前に、まずキム・グに知らせなければ

ならないと思い、キム・グのもとに走って知らせに行きました。

「あなたを殺しに来た韓国の青年を捕らえました。」

 するとキム・グは立ち上がって、裸足でその青年の所に走って

行きました。

 そして、その青年を抱きしめて、こう言いました。


この異国の地で祖国の同胞に会うことができましたね。

 嬉しいです!

 このキム・グに会いに来てくださったことは、どれ程ありがたい

ことでしょうか!

本当に感謝しています!


キムグ1

 満面の笑みで、抱きしめて頬擦りをするキム・グを、どうして

憎むことができるでしょうか!

 その青年の心のうちに熱い感動が込み上げてきました。

 彼は非常に感激したのです。

 そしてその日以降、彼はキム・グのために命を捧げる人となったのです。

 かつての敵が盟友となりました。

 殺しに来た人が、キム・グのために命を差し出す人となったのです。

 確かに、イエス様は「自分の敵を愛し、迫害する者のために

祈りなさい。
」(マタイ5:44)と命じられました。

 では一体どうしたら、キム・グのように、自分を殺しに来た敵を

愛することができるのでしょうか?

 これは人間の力や努力によっては出来ません。

 神の愛の力です!!

聖霊

 神の聖霊に満たされているから可能になることなのです。

 エペソ5:18~21には次のように命じられています。

御霊に満たされなさい。

 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、

心から歌い、また賛美しなさい。

 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの

名によって父なる神に感謝しなさい。

 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい
」。

賛美

 最大の祈りは賛美です。

 主は賛美のうちに住まわれます(詩篇22:3)。

 ですから、これが主のご臨在、聖霊に満たされる入り口です。

 十分に賛美で満たされると、次は感謝すべきことを感謝します。

 さらに、聖霊様との深い交わりをするには、感謝したくない領域にも

進んで行き、感謝をし始めますが、感情はそれに反発します!

話す

 しかし、私たちの人生は舌によって決まります(ヤコブ3:1~)。

 ですから、信仰をもって感謝したくない領域も感謝し始めます。

 すると、御霊が弱い私たちを助けてくださいます。

 御霊ご自身がいいようもない深いうめきによって、私たちを執り成して

くださるのです(ローマ8:26)。

 その結果、互いに従うという最も難しいことが出来るようになります。

 私たちも聖霊に圧倒的に満たされ、イエス・キリストのような、

まことの愛の人に変えられていきますように^^

従順

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神を味方にするには?

 

フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) - Wikipedia さん

 

 神聖ローマ帝国の皇帝フレデリッヒ2世がサンシス市にいた時、ある日、

 

いつも通りに一杯のチョコレートを飲もうとして、隣の部屋に行きました。

 

 そこでハンカチを忘れたことに気が付き、寝室に行って取ってくると、

 

天上から1匹のクモがチョコレートの中に落ちてしまいました。

 

飲むチョコレート(パウダータイプ)|ロイズ(ROYCE')公式 - チョコレート・お菓子のオンラインショップ さん

 

 それでフレデリッヒ大王はチョコレートをもう1杯持ってくるように、

 

言いました。

 

 その瞬間、一発の銃声が鳴り響きました。

 

 それは料理人が、王を毒殺しようとした計画がバレたと思い、自殺

 

したのです。

 

 他人を害するために謀略をし、計画を謀ることは、どんなに隠れたところで

 

計画を立てたとしても、絶対に成功することが出来ないのです。

 

 

 人間の心をすべてご存じの神様は、悪の計略で他人を苦しめる者を憎まれて、

 

彼が他人にしたように彼をさばかれます。

 

 また悪事を計画し、それを速やかに行う人は、根本的に神に背を向けた人であり、

 

神に敵対する者です。(参考/趙鏞基「日ごとの糧(上)」)

 

 ですから、主はこのように仰います。

 

 

だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように

 

心がけなさい。
 

 18 自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。
 

 19 愛する者たち、自分で復讐してはいけません。

 

 神の怒りにゆだねなさい。

 

 こう書かれているからです。

 

 『復讐はわたしのもの。わたしが報復する。』

 

 主はそう言われます。」(ローマ12:17~19)

 

 

まことに、あなたがたに言います。

 

 向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。
 

 4 ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で

 

一番偉いのです。」(マタイ18:3~4)

 

 

 天国に入る方法は何でしょうか?

 

 向きを変えて、子どものようにへりくだること!

 

 これこそ天国に入る絶対条件であり、神を味方にする方法なのです!

 

 

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とにかく主の御前に出ていく!

 

 アメリカのカーネギー・サンドス氏は60歳の時に数百万ドルの借金を負い、

 

破産してしまいました。

 

 

 このショックで入院しましたが、到底眠ることが出来ませんでした。

 

 彼は辛くて夜通し寝返りばかりを打っていました。

 

 そうしているうちに、翌朝早く讃美歌が聞こえてきました。

 

 風に乗って切れ切れにかすかに聞こえてくるその讃美歌は次のものでした。

 

 

いかに恐るべき ことありとも 御翼のかげは安らかなり。

 

 愛の神は いかなる時にも 頼るわが身を 保護したまわん。」(聖歌336)

 

 

 彼はこの讃美歌を聞き終わらないうちに、ベッドから飛び起きて、

 

声が聞こえるところに向かって、歩いていきました。

 

 そして小さな教会を見つけました。

 

 

 中では一人の年老いた女性が講壇の前に跪いて讃美歌を歌っていました。

 

 サンドス氏はここで慟哭しながら悔い改め、自分の人生を主にゆだねました。

 

 すると、心に平安が訪れました。

 

 彼は破産する前は社長でしたが、今はくず拾いとして新しい人生

 

踏み出しました。

 

 

 のちに彼は、世界に知られる莫大な財産を持つ資産家となりました。

 

 私たちは、ほんの少し腹が立つと、簡単に否定的な言葉を使います。

 

 「死にそうだ!」「もうだめだ。」「疲れた。疲れた。」

 

 しかし、聖書にはこのように記されています。

 

自分の口のことばによって、自分が罠にかかり、自分の口のことばによって、

 

捕らえられたなら、」(箴言6:2)

 

 挫折感に陥って、否定的な言葉を使い、しゃがみこんでいると、その人には

 

いつも挫折する環境ばかりがやってきます。

 

 ですから、私たちは、言葉遣い、聞くこと、見ること、考えること等において

 

心を守らなければなりません。

 

 挫折感を植え付ける存在がいます。

 

 

 それは悪魔なのです!

 

 悪魔は私たちが中途で放棄し、挫折することを待ち受け、絶えず失望させようと

 

試みます。

 

 ですから、いつも次のみことばを心に刻み込みましょう。

 

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」(箴言4:23)

 

 

ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。

 

 …ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、彼は大声で、

 

『ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。』と言った。

 

 …イエスは立ち止まって、…『わたしに何をしてほしいのか。』と尋ねられると、

 

 彼は、『主よ。目が見えるようになることです。』と言った。

 

 イエスが彼に、『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。』

 

と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながら

 

イエスについて行った。」(ルカ18:35~43)

 

 

わたしを呼べ。

 

 そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた

 

大いなることを、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)

 

 

 私たちの第一にすべきことは何でしょうか?

 

 それはどんな時も、とにかく主のみ前に出ていくことなのです!

 

 ひざまずき、ひれ伏し、主にすがることなのです!

 

 

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小説「氷点」を書けた理由

 

 三浦綾子さんは、ある日、小さな店を開いて、商売を始めました。

 

 

 彼女は正直で、親切だったので客はどんどん増え、毎日トラックで品物が

 

入荷しても売り切れてしまうほどでした。

 

 ところが、ある日、夫が家に帰ってきて、心配してこう言いました。

 

「どうしたものかな。

 

 私たちの店のせいで、他の店がつぶれてしまった。

 

パチンコ店の閉店数、2021年は627店舗、今年は前年以上に厳しい見通し - グリーンべると(パチンコ・パチスロ業界メディア) さん

 

 今日、あの向かいの店も閉店してしまったそうだ。」

 

 それを聞いて彼女は、次の日から大量に仕入れていた品物を大幅に減らして

 

何種類かだけを選んで置き、客が品物を買いに来たら、他の店に行くように

 

勧めました。

 

 その結果、時間に余裕が出来、好きだった読書や文章を書くことが十分出来る

 

ようになりました。

 

 

 こうして生まれた小説が、あの有名な「氷点」です。

 

 主婦である三浦綾子さんが損得勘定を捨てて、空いた時間に書いた小説が

 

世界的なベストセラーになったのでした。

 

 

まず神の国と神の義を求めなさい。

 

 そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。


 34 ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。

 

 明日のことは明日が心配します。

 

 苦労はその日その日に十分あります。」(マタイ6:33)

 

 

どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。

 

 人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのでは

 

ないからです。」(ルカ12:15~21)

 

 

金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、

 

愚かで有害な多くの欲望に陥ります。
 

 10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。

 

 ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で

 

自分を刺し貫きました。」(第一テモテ6:9~10)

 

 

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ハンディキャップに打ち勝つ力

 私たちにはそれぞれ抱えているハンディキャッや弱さがあるかも

知れません。

 どのようにしたら、そのハンディキャップや弱さに打ち勝つことが出来る

でしょうか?

 皆さんはノンフィクション映画「Door To Door」をご存知でしょうか?

ドア

 ビル・ポーターという伝説的なセールスマンを主人公とした実話です。

 ビル・ポーターは生まれる時に脳に損傷を受けた、

脳性麻痺の障碍者でした。

 そのために話すことが難しく、片手も動かせませんでした。

 大人になり、何度も就職先を求め、履歴書を出しましたが、

いつも拒絶されてしまいました。

 ある日、訪問販売の社員となるために面接を受けますが、

会社側は、彼がどもる上、体も不自由であることを見て、入社を

断りました。

 しかしビルは「他のセールスマンたちが一番行きたがらない地域を

是非任せてほしい!」と切望し、
会社はどちらにしても同じだ

という思いで、彼に仕事を任せました。

ドア1

 その時からビルは、雨が振ろうと、雪が降ろうと、一日も欠かすことなく

毎日15キロ、8時間以上歩いて、家々を訪問しました。


 腰を曲げ、どもりながら、歪んだ顔で家々のドアをノックすると、

人々は皆驚きました。

 子どもたちは大声を出して逃げ回りました。

 しかし彼は決してあきらめず、ついにはワンキンス社の販売王

となった
のです。

 どうして、このような大きなハンディーキャップがあったにも

かかわらず、ワンキンス社の販売王となれたのでしょうか?

 一番大きな力はお母さんの愛でした。

 何度も落胆し、肩を落としている息子を、お母さんはいつも

抱きしめて、こう言ってくれました。

母の愛

「私の息子よ、できる!

 あなたは誰よりもうまくする!

 私はあなたを信じてる!」と。


 そして、昼には道端のベンチで、お母さんの手作りのお弁当

のふたを開けます。

 すると、サンドイッチには「Patience“忍耐”」という文字

記されていました。

 そのたび毎に、お母さんの愛を思い出し、「お母さんが

私にできると言ったからできる!」

と自分に言い聞かせ
ることが出来たのです!

 彼は信仰をもって忍耐を重ねた結果、その会社の最高販売者に

なったのです。

 彼が数多くの苦しみの中でもあきらめなかったのは、まさに

お母さんの愛」に励まされながら、神様を信じ、夢を

描き続けた
からです!

 このことにより不可能に打ち勝ったのです。

 お母さんはいつも「あなたがしたいということはどんなことでも

できる!
」と言ってくれました。

ビルポーター

 彼の力のルーツはまさに愛にあったのです。

 私たちは皆、どんな苦難にも打ち勝つことが出来ます!

 なぜなら、神様から愛されている子どもだからです!

 私たちに向けられた神様のその大きな愛をいつも覚え、

その愛に頼ることによって、全ての苦しみに圧倒的に勝ち、恐れに

勝ち、勝利することが出来る
のです!

出来る

 この愛を土台として、夢を描き、あきらめずに、“Yes I Can!

私は出来る!”と言い続けることなのです!


 この映画のラストのことばは以下のものです。

見なさい。

 耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。

 あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。

 また、主が彼になさったことの結末を見たのです。

 主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だ

ということです
」(ヤコブ5:11)

ソウルサーファー


わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(へブル13:5)


見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともに

います。
」(マタイ28:20)


永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。

 それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。
」(エレミヤ31:3)


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エデンの園とはどのようなところか?

 

 主は6日間で天地万物を創造され、最後に人間を造られ、「非常に良かった!」と

 

ひどく感嘆されたのでした(創世記1:31)。

 

 

 光も水も大空も海も、また植物や太陽、月、星々も、魚や鳥や動物たちの創造も、

 

すべてアダム=人間のためでした。

 

 では、ご自分が形造った人を置かれたエデンの園はどのような場所だった

 

でしょうか?

 

1、神の愛の現れるところ

 

 エデンの園とは“神の愛の現れるところ”であり、あらゆる面において豊かで、

 

楽しみのある完全な場所でした。

 

 主は「その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木」を

 

生えさせ、そこにアダム=人間を置かれたのです。

 

 また、一つの川がエデンから湧き出て、園を潤し、それは園から分かれて、四つの

 

源流となっていたのです(創世記2:9~10)。

 

 

 この4つの川を通しても、主はご自身の”慈しみと恵み”を表しておられます。

 

 第一の川ピションはハビラの全土を巡り、その地は純金と宝石が採れました。

 

 第二の川の名はギホンで、ギホンとは「突出してくる」という意味です。

 

 主はご自身が造られた人間が万物の上に抜きんでて、万物を支配すること

 

願われたのです。

 

 けれども、人間は今日サタンに騙され、物質の奴隷となってしまいました。

 

 キリストの血の贖いは再び、万物の上に突出した存在へと変えてくださるのです。

 

 第三の川ヒデケル=ティグリスとは”神と出会い交わる”という意味です。

 

 

 主なる神はアダム=人間と永遠に交わり、対話することを願われたのです。

 

 第4の川ユーフラテスは”大きい”という意味です。

 

 神は最初の人アダムが成長し、繫栄し、大きくなることを願われたのです。

 

 まさにエデンの園を通して、神とは「私たちにすべての物を豊かに与えて

 

楽しませてくださる神」であることを、私たちに教えておられるのです

 

(第一テモテ6:17)。

 

 

2, 幕屋や神殿の原型

 

 エデンの園とは“幕屋や神殿の原型”です。

 

 神様はエデンの園の祝福をすべてアダム=人間に与えられ、アダムに園を耕させ、

 

また守らせました(創世記2:15)。

 

 ここで学者によると、「耕す」の原語は“仕える”という意味であり、「守らせる」

 

とは”剣をもってサタンから守らせる”という意味なのです。

 

 つまり、主はアダム=人間を主を礼拝する礼拝者として造られたのです。

 

 つまり、エデンとその園とは”最初の神殿(聖所)”なのです。

 

 

 言い換えると、エデンは神様が“臨在なさる至聖所”園は“その前の庭”です。

 

 学者たちは幕屋や神殿の原型がエデンと園にあることを明らかにしています。

 

 幕屋や神殿に豊かな植物の装飾が施されたのは、そこがエデンの園を反映している

 

からです。

 

 ですから、この大宇宙は神様が臨在なさる神殿であり、太陽や月は宇宙という

 

大神殿の燭台なのです。

 

(参考:http://spring496.blog.fc2.com/blog-entry-115.html)。

 

 

3,すべてのものが生きるところ
 
 エデンの園は”すべてのものが生きるところ”です。

 

 創世記2:10をみると、4つの川が、神様が臨在なさるエデンからまず園を潤し、

 

そこから地の四方に流れ出ていることが分かります。

 

 一方、エゼキエル47章を見ると、神殿からいのちの川が全世界に流れ出て、

 

この川が入る所では、すべてのものが生きる」(47:9)と記されています。

 

 これは終末の完成の幻です。

 

 

 また黙示録22章には、さらに詳しく新天新地の幻が描かれています。

 

 ここを見ると、いのちの川が神と小羊の御座から流れ出ていることが分かります。

 

 また、川の両岸には12種の実をならすいのちの木があり、その木の葉は

 

すべての民を癒します。

 

 これら新天新地の全体は神様の臨在なさる至聖所であり、すべてのものが

 

生きるところなのです。

 

 新天新地は失われたエデンの、もっとはるかに素晴らしい回復であり、

 

完成なのです。

 

 

4,全能の主の贖いを喜ぶ者の住まい

 

 

 現在のエデンの園は、”全能の主の贖いを喜ぶ者の住まい”のことです。

 

 アダム=人間は堕落し、あらゆる面において豊かで、楽しみのある完全な場所“

 

エデンの園”を失ってしまいました。

 

 しかし、この世の闇の支配から、神の子羊の血潮で贖われた民に対して、主は

 

次のように約束されているのです。

 

 

義を追い求める者、【主】を尋ね求める者よ、わたしに聞け。

 

 あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ。

 

 2 あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。

 

 3わたしが彼一人を呼び出し、彼を祝福し、彼を増やしたのだ。まことに、

 

【主】はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、

 

その砂漠を【主】の園のようにする。

 

 そこには楽しみと喜びがあり、感謝と歌声がある。

 

 

 4 わたしの民よ、わたしに心を留めよ。

 

 わたしの国民よ、わたしに耳を傾けよ。

 

 おしえはわたしのもとから出て、わたしが、わたしのさばきを諸国の民の光と

 

定めるからだ。」(イザヤ51:1~4)。

 

 

 その条件は唯一です。

 

 それは、この世の闇の支配の中から、尊い主の血潮によって贖いだされたことを

 

覚え、喜ぶ者全能なる主をあがめる者に与えられる祝福です。

 

 たとえその人の人生が砂漠や廃墟のようにひどく絶望的な人生であっても、主が楽しみと

 

喜びに満ち、感謝の歌声が絶えないエデンの園にしてくださるのです。

 

 ハレルヤ!

 

 

 エデンの園とは以下のところなのです。

 

1、神の愛の現されるところ

 

2、幕屋や神殿の原型

 

3、すべてのものが生きるところ

 

4、全能の主の贖いを喜ぶ者の住まい

 

 

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、

 

今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた

 

喜びに躍っています。


 9 あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。」

 

(第一ペテロ1:8~9)

 

 

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内村鑑三「一日一生」(佐々木満男・国際弁護士)

内村鑑三

 一日は貴い一生である、これを空費してはならない。

 そして有効的にこれを使用するの道は、神の言葉を聴いて

これを始むるにある。

 一日の成敗は朝の心持いかんによって定まる。

 朝起きてまず第一に神の言葉を読みて神に祈る、かくなして

始めし日の戦いは勝利ならざるをえない。

 よし敗北のごとく見ゆるも勝利たるやうたがいなし。

 かかる生涯を終生継続して、一生は成功をもって終るのである。

「一日一笑」(作者不詳)

佐々木満男

 一日は貴い一生である、これを空費してはならない。

 そして有効的にこれを使用するの道は、神の福音を聴いてよく喜び

よく笑うことにある。

 一日の成敗はその人の心持いかんによって定まる。

 朝起きてまず第一に神の言葉を読みて神に祈り、そのあまりにも

豊かな愛と恵みに感謝と賛美をささげる。

 かくして喜び笑顔をもって始めし日の戦いは勝利ならざるをえない。

 よし敗北のごとく見ゆるも真の勝利たるや疑いなし。

 かかる生涯を終生継続して、一生は勝利をもって終るのである。

喜び

「健全な笑い」の土台は「健全な喜び」である。

「健全な喜び」の土台は「健全な意志」である。

「健全な意志」の土台は「健全な霊」である。

「健全な霊」こそが「健全な意志」をもって、いかなる状況に

おいても喜ぶことを選択させる。

 喜びから自ずと笑顔と笑いが生まれてくる。

「健全な霊」の土台は、言うまでもなく、「愛と恵みの源である

父なる神との健全な結びつき(関係)
」である。

イエス様との関係

 父(親)が子どもたちに求めていることは、いつも一緒に生活する

ことである。

 親の愛と恵みの中で子どもたちがいつも喜び、笑顔で笑っている

ことである。

 韓国の学者の調査によると、子どもが一日に笑う回数は平均400回

大人は平均わずか6回という。

 この世は人間の罪から生じるさまざまな悪いニュースで満ちている。

 だから喜ぶことができなくなる。

 笑顔で笑うことができなくなる。

 けれども神の福音は、イエスを信じるすべての人に「救い」と

癒やし」と「解放」を告げ知らせる、人類最大のグッドニュースである。

喜び3

 それを信じて初めて、心の底から喜び、笑うことができる。

 笑いは創造主が人間に与えてくれた大切な能力である。

 笑いは、神経を鎮め、緊張をほぐし、怒りをなだめ、創造性を高め、

愉快な気分にさせてくれる。

 笑いは生活をさわやかにする清涼剤であり人間関係を円満にする

潤滑油である。

 笑いは苦しみを和らげる強力な鎮痛剤である。

 笑いは呼吸機能を強め、エンドルフィンやドーパミン等の

免疫ホルモンを活発に生み出し、NK細胞等の免疫細胞を増やし、

ストレスを軽減し、内臓を刺激して血流をよくする。

喜び1

 いつも心の底から喜んで笑っていれば、どんな病もいやされてしまう。

 どんな問題も解決してしまう。まさに笑いこそは最高の良薬であり、

最高の妙案なのである。

 「一日一笑」を心がければ、笑いが笑いを生み出し、何回でも笑う

ことができるようになる。

 あなたが笑えば相手も笑う。

 相手が笑えばあなたも笑う。

 笑いには循環的な伝染力がある。

 子どものように一日400回は無理としても、「一日百笑」を

目指したい。

 願わくは、「一日千笑」を達成したい。

 笑うことによって、思い煩いを父なる神にゆだねることができる。

 思い煩いが多ければ多いほど、笑っている場合ではない深刻な時こそ、

たくさん笑って神にゆだねなければならない。

喜び

 たくさん笑うための秘訣は、父なる神との交わりを限りなく

深めること
である。

 父なる神との交わりの中で、父はその愛する子どものためにすべてを

益にしてくださることを確信して喜ぶことである。

 妊婦は出産の希望と喜びがあるからこそ、陣痛の苦しみに耐える

ことができる。

 イエスは復活の希望と喜びがあったからこそ、あの十字架の苦しみを

耐えることができた。

天国のイエス様

 私たちは天国への希望と喜びがあるからこそ、この世のどんな試練をも

耐えることができるのである。
(引用:http://www.christiantoday.co.jp/articles/12780/20140211/sasaki-mitsuo.htm)

いつも喜んでいなさい。

 絶えず祈りなさい。

 すべての事について、感謝しなさい。

 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んで

おられることです
」(第一テサロニケ5:16~18)


いつも主にあって喜びなさい。

 もう一度言います。

 喜びなさい。
」(ピリピ4:4)

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