「私たちはなぜ命を尽くして生きるべきなのか?」   

    ルカ19:11~27、ヨハネ15:16

序)

 パウロは「自分のからだを打ち叩いて服従させます。」(第一コリント9:27)と言っています。皆さんも時々、自分のからだを打ち叩いていますか^^?けれども、一番大切なことは“パウロはなぜ命を尽くして生きたのか?”という根本的な理由です。意味もなく自分に厳しく生きることは虚しいことだからです。ですから、今日は「私たちはなぜ命を尽くして生きるべきなのか?」というタイトルのもと、3つのポイントでご一緒に考えていきましょう!

 

1,  主の永遠の報いが待っている!

 ところで、今日のイエス様のたとえ話はいったい何を教えているのでしょうか?12節でイエス様はこう仰いました。「ある身分の高い人が遠い国に行った。王位を授かって戻って来るためであった。13 彼はしもべを十人呼んで、彼らに十ミナを与え、『私が帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。」。この「ある身分の高い人」とはイエス様のことです。イエス様は十字架と復活の後、昇天されます。そして天のお父様から王位を授かるのです。しかし、天に上られる前に、ご自身のしもべたちにそれぞれ1ミナずつ与えて、それで商売しなさいと命じられたのです。この1ミナとは当時の約100日分の賃金を意味しています。1日分の賃金を1万円だとすると、100日分で100万円ですね。これを一人一人に同じ額、平等に主は与えてくださったのです。

 

 さて、イエス様が王位を授かって帰って来る時が来ました。これはイエス様の再臨のことです。その時、イエス様は金を与えておいたしもべたちを呼び出すように命じられました。イエス様は彼らがどんな商売をしたかを知ろうと思ったのです。最初のしもべが『ご主人様、あなた様の一ミナで十ミナをもうけました。』と言うと、イエス様は『よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』と仰います。次のしもべも『ご主人様、あなた様の一ミナで5ミナをもうけました。』と言います。イエス様は『よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、5つの町を支配する者になりなさい。』と仰います。つまり、それぞれ等しく与えられた1ミナに対して、主は私たちに報い、プレゼントを与えたいと願っておられるのです。

 

 この主の招きに答えて、精一杯答え、節制し、全力で主のために働いた人がいます。先ほど紹介したパウロです。何のためですか?「何とかして、何人かでも救い出す」(第一コリント9:22)ためだったのです。パウロは私たちクリスチャン一人一人を競技場で走るアスリートだと言っています。そして彼は朽ちない冠を受けられるように目標を目指して走りなさいと勧めています。そのためには自分のからだを打ち叩いて服従させますと言っています。

 

 つまり、なぜ命を尽くして生きるべきなのかという理由が、これで分かりましたね!主は私たちを愛され、冠を与えようと待っておられるのです。では、「朽ちない冠」の他にどんな種類の冠があるのでしょうか?ここでは3つだけ挙げます。①栄光の冠(第一ペテロ5:4):神の羊の群れを、心を込めてお世話をした人々に対して与えられる冠です。②義の栄冠(第二テモテ4:8):主を愛し、慕い求めている人に与えられる冠です。③いのちの冠(ヤコブ1:12、黙示録2:10):試練と誘惑に耐え抜いた人、死ぬまで忠実であった人に与えられる冠です。 

 

 パウロはなぜ自分のからだを打ち叩いて服従させたのでしょうか?それは主に喜んでいただき、主の報いを豊かに得るためだったのです。なぜなら、この栄誉は50年や100年の人生を決めるのではなく、1000年、2000年、いや永遠に続く天の御国における私たちの立場を決定するものだからです。

 

2,私たちは必ず実を結ぶように選ばれた!

 イエス様から授かった1ミナを布に包んでしまっておいたしもべがいました。彼はなぜ1ミナをそのまましまっておいたのでしょうか?彼はこう弁明しています。21節「あなた様は預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取られる厳しい方ですから、怖かったのです。」これは奇妙な話です。なぜなら、彼はイエス様のしもべの中の1人でした。イエス様のことを全く知らないノン・クリスチャンではありません。彼はイエス様のしもべとして、十字架も復活も信じていました。そして、イエス様が戻って来られる再臨も知っていたのです。それなのに彼はしばらくすると、自分のために命を捨てられた救い主イエス様のイメージが全く変わってしまいました。彼はイエス様が厳しく、恐ろしい方だと思うように180度変わってしまったのです。なぜでしょうか?それは、サタンの欺きのことばを信じたからでした。

 

 あの創世記3章でエバはサタンの誘惑により、神様に対するイメージをまったく変えられてしまいました。主は「豊かにいくらでも園の実を食べていい」と仰いました。しかし、サタンは全く正反対のことを言いました。「園の木のどれからでも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」。これはサタンの騙しでした。イエス様は「彼の1ミナは銀行に預けておけば利息と一緒に受け取れたのに」と言われます。そして「彼の1ミナを10ミナ持っているしもべに与えなさい」と仰います。

 

 なぜイエス様はそのように冷たく言われたのでしょうか?ヨハネ15:16をご覧ください。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」。ハレルヤ!イエス様が私たち全員を選んでくださった目的は、私たちが外に出て行って、実を結ぶためであるからです。またそのために、イエス様の御名によって祈るなら何でも与えられるという祝福のカギも渡してくださったからです。つまり、私たちが実を結ぶことをイエス様は保証しておられるのです!

 

 それなのに、彼はサタンに騙されて、イエス様の使命を捨ててしまったからです。だから彼は1ミナを取り上げられてしまったのでした。

 

3,与えられた時間を大切に用いる!

 ところで、最初にお話しした通り、1ミナとは当時の100日分の賃金のことです。けれども、賃金のことを考えると、実際はそれぞれ1ミナの人もいれば、5ミナの人もいます。ですから、賃金と言うのはイエス様の比ゆ的な表現と言えるでしょう。そこで皆さんに質問します。クリスチャンであろうと、ノンクリスチャンであろうと、すべての人に平等に、同じだけ与えられているものは何でしょうか?それは”時間”です。すべての人に1日24時間が与えられています。お金持ちには1日が26時間、30時間と言うことはありません。ですから、イエス様が再臨されるとき、イエス様は主のしもべである私たちに、平等に与えられた時間をどのように使ったかを問われるのではないでしょうか。その時、私たちはどのように主に答えられるでしょうか?

 

 アップルの創業者であるスティーブ・ジョブスをご存じの方も多いでしょう。彼は17歳の時、こんな言葉に出会いました。「毎日を人生の最後の日だと思って生きよう。いつかそうなる日が来る!」彼はこのことばに感銘を受けて以来40年近く、毎朝、鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら、今日やるべきことを本当にやるだろうか?」と。そして、彼は言います。「『自分がすぐに死ぬ』という覚悟があれば、人生で重要な決断をするときに、大きな自信となります。なぜなら、ほぼ全てのもの、すなわち、他人からの期待、プライド、失敗や恥をかくことへの恐れなど、そういったものは死に直面すれば吹き飛んでしまうからです。そこに残るものは本当に大切なものだけです。死を覚悟して生きていれば、『何か失うのではないか?』という心配をせずにすみます。」。彼は17歳の時から、そのように毎日を人生最後の日として生きてきたのです。それが彼が実を結んだ背景だったのです!

 

 またロシアの文豪ドストエフスキーを皆さん、ご存じでしょう。彼は若い時、社会主義を追求した結果、逮捕され、死刑囚となりました。死刑が執行されるその日、彼に最期の5分間が与えられました。28年間の若者にとって、最期の5分間は、たとえ短くてもあまりにも大切な時間でした。彼は天を見上げ、「最後の5分間をどのように使おうか?」と悩んだ末に決めました。「私を知っているすべての人々に別れの祈りを2分、今日まで生かしてくださった主に感謝し、隣にいる他の死刑囚たちに一言ずつ、別れの挨拶を2分、残りの1分は、目に見える自然の美しさに、感謝しよう」と。

 

 彼は目から溢れてくる涙を呑みながら家族と友人たちを瞬間、思い出して、別れの挨拶と祈りを捧げるのにすでに2分がたってしまいました。そして自分について振り返ってみようとした時に、「あ~、3分たったらもう自分の人生も終わりだ。」と思ったら、目の前が真っ暗になりました。過ぎ去った28年という年月を大切に出来なかったことが悔しくてたまりませんでした。「あぁ、もう一度人生を生きることができるならば」と悔し涙で一杯になった時に、奇跡が起こりました。死刑の執行中止命令が出たのです。こうして彼のいのちはかろうじて助かったのでした。彼は釈放されたのですが、この死刑執行の直前の最期の5分間を決して忘れませんでした。一生涯、時間の大切さをかみしめて生き、一日一日、瞬間、瞬間を最期の瞬間のように大事にして、最善に生きたのでした。その結果、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』などの名作を発表して、トルストイに並ぶ世界的な文豪となりました。ドストエフスキーは世界の文学者、哲学者、科学者ばかりではなく、多くの一般大衆に今日まで多大な影響を与えているのです。

 

 今日は「私たちはなぜ命を尽くして生きるべきなのか?」というテーマのもと、3つのポイントで語らせていただきました。1,主の永遠の報いが待っている!2,私たちは必ず実を結ぶように選ばれた!3,与えられた時間を大切に用いる!お祈りしましょう!

 

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