聖書は高齢者をどう考えるのか?

 

 最近、日本では高齢者は不要であると主張する人々がいます。

 

その根拠は身体的能力、知的な能力の衰え等を考えているからでしょう。

 

 そして高齢者がいなければ、自分たちはもっと良い暮らしが出来ると

 

考えるのです!

 

 しかし、このような考え方は聖書の考え方とは正反対であり、

 

神のみこころと衝突するものではないでしょうか?

 

 ところで、高句麗の時代(紀元前1世紀頃 - 668年)に朴政匠と言う人がいました。

 

高句麗語 - Wikipedia

 

 当時、高麗葬と言って、老人を山に捨てる習慣がありました。

 

 朴政匠にも老婆がいたのですが、死を前にしても息子を思う母の愛に感動して、

 

彼は母を連れ帰り、隠して養いました。

 

 その頃、唐の使臣たちが2頭の馬を連れて、高句麗の朝廷に来ました。

 

 その使臣が言うには、「この馬は大きさも顔つきもまったく同じだ。

 

親馬と子馬とを区別して見なさい。」と言う問題を出しました。

 

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 朴政匠がこの問題で悩んでいるのを見て、老婆が言いました。

 

そんな事、年寄りはみな知っているよ。

 

 そんな時には馬を1日飢えさせて、その後、馬草を食べさせなさい。

 

 先に食べるのが子馬で、子馬に食べさせた後から食べるのが親馬だから。

 

 そこで朴政匠が唐の使臣の前でそうすると、果たしてその通りになりました。

 

 使臣は朴政匠の知恵にしきりに感心し、感服して帰っていきました。

 

 このことを朴政匠は王に話しました。

 

 

 そしてこの時から、この国では高麗葬は廃止され、老人を大切にするように

 

なったのです。

 

 父母と子どもたちとの間にはお互いに不満が多くあります。

 

 しかし、それは愛によって解決できるのです!

 

 

 

あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を

 

恐れなければならない。

 

 わたしは【主】である。」(レビ19:32)

 

 

 

自分の父や母をののしる者、そのともしびは、闇が近づくと

 

消える。」(箴言20:20)

 

 

 

ですから、私たちは落胆しません。

 

たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たに

 

されています。」(第二コリント4:16)

 

 

 

ヤコブの家よ、わたしに聞け。

 

 イスラエルの家のすべての残りの者よ。

 

 胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
 

 4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。

 

 あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。

 

 わたしはそうしてきたのだ。

 

 わたしは運ぶ。背負って救い出す。」(イザヤ46:3~4)

 

 

 このように主の民に対して、主はみことばによって「わたしは背負って救い出す

 

と約束しておられるのです!

 

(参考/趙 鏞基「日ごとの糧(下)」)

 

 

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