悟りのある者
皆さん!
悟りのある者と、悟りのない者への対処が異なることをご存じでしょうか?
北極探検隊の隊長であったジョン・フランクリンは、ある日、雪と氷山の
間で震えながら眠っている一行を見つけました。
彼はそのままの状態で30分もすれば意識を失うことを知っていましたから、
彼らを急いで起こしました。
しかし、彼らはすぐには聞き入れず、こう言いました。
「私たちは凍りませんよ。
少しの間だけ休んでいるだけなんですから。」
こうしてすぐには動こうとはしませんでした。
案の定、30分が過ぎると、彼らは身動きが出来なくなりました。
隊長は仕方なく彼らを叩いて、テントに無理やり戻るようにしました。
彼らは隊長に手荒くされ、やっとテントに入り、一命を取り留めました。
彼らを打った手が彼らを救ったのでした。
知恵があり、聡明な人には誤りがないということではありません。
しかし、このような人は過ちを叱られると、すぐに後れを取り残す
ばかりか、今までよりも更に知識を得て、知恵ある者となるのです。
「嘲る者を打て。
そうすれば、浅はかな者は賢くなる。
悟りのある者を叱責せよ。
そうすれば、彼は知識をわきまえ知ることになる。」(箴言19:25)
「彼らの父祖の神、【主】は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた。
それは、ご自分の民と、ご自分の住まいをあわれまれたからである。
16 ところが、彼らは神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その
預言者たちを笑いものにしたので、ついに【主】の激しい憤りが民に対して
燃え上がり、もはや癒やされることがないまでになった。」(第二歴代誌36:15~16)
「わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、
あなたがわたしのことばを知らせよう。」(箴言1:23)
「しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住み、わざわいを恐れることなく、
安らかである。」(箴言1:33)
悟りのある者とは頑な者ではなく、叱責に心を留め、すぐに悔い改める者
のことなのです。
その人には神の聖霊が注がれ、みことばをいただき、災いから
守られるのです!
(参考/趙 鏞基「日ごとの糧(下)」)
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