命がけで愛する愛
新約聖書が書かれた時代のギリシャ語において、愛は4種類あります。
アガペー:最も多く聖書に登場する言葉。神の愛、無条件の愛、見返りを
求めない愛、価値のあるなしに関わらず愛する愛。
ストルゲー:親の子に対する愛や、子の親に対する愛。
フィリア:友愛、友情。友人関係の愛。
エロース:価値あるもの(美、富等)を愛する愛。男女の情愛。
ところで、今日はのフィリアの素晴らしい歴史的ストーリーです。
青年ピテアスは、暴君タイオニシウスの機嫌を損ねて牢に入れられて
しまいます。
彼はただ死刑を待つばかりの身となりました。
しかし、彼は死ぬ前に故郷の両親に一目会いたいと願いました。
それさえできれば、必ず戻ってきて死刑を受けると言って懇願しました。
けれども、王は聞いてくれませんでした。
その時、彼の友人デモンが、自分を身代わりにして、ピテアスの願いを
聞き届けてくれるよう王に申し出ました。
王は命をかけてお互いに信頼している彼らの友情(フィリア)に感動し、
許可しました。
ところが約束の日時になってもピテアスが戻ってきません。
デモンはついに死刑場まで連れて来られました。
死刑が執行されようとしたその時、ピテアスが息を切らして
駆けつけました。
彼は戻ってくると途中、嵐で苦労したことを話しました。
この光景を見守っていた王は、この命がけで愛する愛に大変感激して、
ピテアスを釈放しました。
そればかりか、二人の友情(フィリア)を誉め、賞を取らせました。
真実な友人を持っている人は大変幸福な人です。
(参考:趙 鏞基「日ごとの糧(下)」)
パウロはローマ12:15でこう言っています。
「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに
泣きなさい。」
ソロモンの箴言18:17ではこう記されています。
「友はどんなときにも愛するもの。
兄弟は苦難を分け合うために生まれる。」
信頼できる親密な友がいる人は何と幸せでしょうか(箴言18:24)。
素晴らしいことです^^
けれども、イエス様が”ご自分の友”と呼ぶ人がいます。
それは、イエス様が命じる戒めを行う人です。
言い換えれば、命がけで愛する愛の人です。
イエス様はこう仰いました(ヨハネ15:12~15)。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、
これがわたしの戒めです。
13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛は
だれも持っていません。
14 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。
しもべなら主人が何をするのか知らないからです。
わたしはあなたがたを友と呼びました。
父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。」
私たちはイエス様の友になっているでしょうか?
イエス様の友としていただけますように!
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