共同生活の力
皆さんは共同生活されているでしょうか?
日本の多くの神学校では共同生活をするケースが多いと思います。
そしてなぜか、自分と全くタイプの違う神学生と同室になることがあります。
これはとても良い経験です^^
ところで、かつて日本のボクシング界に伝説の名トレーナーがいました。
エディ・タウンゼントという人です。
彼の手によって6人も日本人の世界チャンピオンが生まれました!
彼は自分でよく言っていました。
「私はボクシング以外何もできない人ですが、一つだけ得意なことがあります。
それはしおれた花をしゃんとさせることです。」
試合に負けて心が折れかかったボクサーをメラメラと闘志満々に変える手法を、
彼はよーく心得ていました。
それは一言でいうと”絶対に見限らない”ということなのです。
彼は言いました。
「勝った時にはジムの会長が選手を抱くよ。
でも負けた時には私が抱くんだ。」
負けた時とことん付き合って、勝つボクサーになるためのスピリッツを
吹き込んでいく天才だったのです。
どのようにして彼はそのスピリッツを伝えていったのでしょう。
”一緒に生活することによって”です。
人は誰と生活するかで人格が大きく変わって来るのです。
ところで、皆さんは今、共同生活をされてますか?
一人でお住まいでしょうか?
「見よ、わたし(イエス様)は戸の外に立ってたたいている。
だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに
入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)
クリスチャンであれば、このみことばに従って、ご自身の心の中に
イエス様を受け入れられたのではなかったですか?
つまり、イエス・キリストを信じる者には”イエス様ご自身がその人の心の中に
住んでくださる”のです。
そしてイエス様は内側からその人を聖めていかれるのです。
あなたはイエス様と共同生活をしておられることを、いつも意識されてますか?
イエス様の御声を無視し、主を悲しませていることはありませんか?
どんなことでもイエス様に相談しませんか?
「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
今私が肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自分をお捨てになった、
神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)
「主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』
と言われたからです。」(へブル13:5)
「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。
それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
2 この世と調子を合わせてはいけません。
むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。
そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、
完全であるのかを見分けるようになります。」(ローマ12:1~2)
このブログをお読みくださり、ありがとうございます。もし、よろしかったら一日一回クリックしていただけると励まされます^^