どうすれば、世に打ち勝つ者になるのか?
あけましておめでとうございます!
2024年という新しい年が祝福に満ちた年になりますように、イエス様の御名で
祝福いたします!
ところで、皆さんはこのような約束をご存じでしょうか?
「神から生まれた者はみな、世に勝つからです。
私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
5 世に勝つ者とはだれでしょう。
イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(第一ヨハネ5:4~5)
しかし、さらにその先には「私たちは神に属していますが、世全体は
悪い者の支配下にある」と記されています(第一ヨハネ5:19)。
ですから、私たちは世を支配する悪い者に惑わされず、世に打ち勝つ者に
ならなければならないですね^^
では、そのためには一体どうしたらよいのでしょうか?
それは世という敵を知る前に、”自分の生きる目的、使命を知ること”なのです!
1,全世界を救うための神の戦略を知る
アダムによって堕落してしまった私たちを救うために、イエス様が
贖い主として十字架にかかってくださいました。
では、全世界を救うための神の戦略は、どのようなものであったのでしょうか?
1)旧約における神の戦略
それは一人の人アブラハムを選び、アブラハムを通して、全世界の民を救い、
祝福するという戦略でした。
「【主】はアブラムに言われた。
『あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、
わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、
あなたの名を大いなるものとする。
あなたは祝福となりなさい。
3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。
地のすべての部族は、あなたによって祝福される。』」(創世記12:1~3)。
まさに3節にあるように、主はアブラハムを祝福の基とされました。
アブラハムを通して、全世界を祝福するご計画だったのです。
そのために、主はアブラハムを励ましつつ、訓練されました(創世記12~22章)。
そしてひとり子イサクからヤコブが生まれ、ヤコブから生まれた12人の
息子たちが”イスラエル12部族”となり、神の民としてのイスラエル民族と
なるのです。
このイスラエル12民族に対する主のビジョンは彼らを土台とし、”祭司の王国、
聖なる国民”(出エジプト19:4~6)とするためでした。
この神の民イスラエル民族を通して、全世界を祝福しようとされたのです。
しかし、イスラエル民族は偶像礼拝により堕落してしまったのでした。
2)新約における神の戦略
神であるイエスご自身が完全な人となられ、イエス様を通して12弟子を選ばれ、
イエスの御名による権威を与え、12弟子を派遣されました(マタイ10章)。
この12弟子を通してイスラエルの失われた者たちを、そして全世界を救う
ためでした。
彼らは主の御名により悪霊を追い出し、病を癒し、天の御国を宣べ伝えました。
このようにイエス様の3年間の訓練を経た12弟子でしたが、主の十字架の苦難を
前にして逃げ出してしまいました。
聖霊を受けていなかったからでした。
リーダーであるペテロも主の御前に出ることが出来ないほど挫折して
しまいました。
しかし、復活したイエス様が言われた”聖霊を待ち望む約束”を握り、祈り続け、
ついに天からの聖霊を受け、
彼らはまったく180度変えられるのです(使徒1~2章)。
その後の12弟子は世界に出ていき、福音を宣べ伝えながら殉教していきました。
その蒔かれた種が全世界に広がったのです。
2,信仰の旅の全体像を知る
旧約聖書に記されている“出エジプトの旅”は、新約に生きる私たちの良い教訓
であり、ひな型です(第一コリント10:11)。
その信仰の道しるべを記すと、以下のようになります。
「エジプト=この世」
→「紅海を渡る=水のバプテスマ」
→「荒野の旅=肉(クリスチャンになる前の古い自分)との戦い」
→「ヨルダン川=聖霊のバプテスマ(満たし)」
→「信仰によってカナンの地(世の領有地)を奪還」。
イスラエルの民はモーセに導かれ、紅海を渡り、シナイ山で律法をいただき、
約束の地カナンを目指し、進んでいきます。
ところで、民数記13章をみると、イスラエルの12部族の12人のリーダーが
カナンの地の偵察隊として派遣されます。
しかし、偵察隊はイスラエルの残りの民に悪く言いふらします。
「私たちは背の高い者巨人、アナク人を見た。
私たちはまるでバッタのような者で、彼らに食い尽くされてしまうだろう。」
それを聞くと、300万人の民は泣き出し、夜明けまで叫びつつ、
泣き明かしました。
しかし、ヨシュアとカレブは「私たちが巡り歩いた約束の地は素晴らしく
良い地であった。
彼らは私たちの餌食だ。恐れてはならない。」と信仰をもって大胆に勧めました。
このヨシュアとカレブと他の民との決定的な違いは何でしょうか?
彼らが信仰の人であったからでしょうか?
もちろんそうですね。
しかし、決定的な違いは、神のゴール=到達点を知っていたということです。
ヨシュアとカレブは自分たちがなぜ今、荒野の旅をしているのかよく分かって
いたのです。
いつも神の約束のみことばを握り、そのビジョンから目を離しませんでした。
けれども、ほかの民は荒野で試練が来るといつも不平不満を口にし、
つぶやいた上、リーダーであるモーセを苦しめてばかりいました。
その違いは何でしょうか?
彼らは神の目標、ビジョンを見失っていたからです。
その日の生活のことばかり、現実ばかりを考えていたのです。
神のビジョン、生きる目的を見失っていたからです!
ですから、いつも不平不満の人生でした。
私たちは”神ご自身の血によって買い取られた”者たちです(使徒20:28)。
その私たちの目的は何でしょうか?
イエス様の遺言と言える最も重要な使命を果たすことです。
それはマタイ28:18~20です!
「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように
教えなさい。
見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
新約において、獲得すべき約束の地とは“あらゆる国の人々を弟子としなさい。”
という世界宣教命令なのです。
この命令こそイエス様の最大の命令であり、私たちのビジョンなのです!
この命令をいつも忘れず、目の前に置いて生きることこそ約束の地に入る
秘訣なのです。
魂の救いという目標を失うときに、私たちは道に迷い、倒れてしまうのです。
そして、すべては祈りから始まるのです^^
「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。
しかし、みおしえを守る者は幸いである。」(箴言29:18)
「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」
(マルコ16:15)
主よ!私たちにさらに幻を見せてください!
このブログをお読みくださり、ありがとうございます。もし、よろしかったら一日一回クリックしていただけると励まされます^^