「親の愛、計り知れない愛」          

  第二サムエル18:24~33、ローマ5:6

 

序)

 皆さん!今日は母の日です!どうでしょうか?母親の愛を考えると、頭が下がるという方々が沢山おられるのではないでしょうか?ことわざの中に 「親の心子知らず」ということばがありますが、ご存じでしょうか?この意味は、親というものは深い愛情と考えにもとづいて子どものことを思って行動します。けれども、子どもというものはそんな親の心も知らないで、子供は勝手気ままなであることを表しています。皆さんはこれに同意されますか^^?ところで、皆さん!親を敬うことがどのくらい祝福であるかご存じでしょうか?エペソ6:1~3にはこう記されています。「子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。2 『あなたの父と母を敬え。』これは約束を伴う第一の戒めです。3 『そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く』という約束です。」ハレルヤ!祝福される秘訣がここに記されています。ですから、今日は「親の愛、計り知れない愛」というタイトルで、ご一緒に親の愛について考えたいと思います。

 

1,親の愛とは何か?

 韓国に金サンハンという有名な牧師先生がおられます。その先生がカンボジアのプノンペンに行った時、動物園の責任者が園内を案内してくださいました。動物園の中に入り、その長官と一緒に、牛と豚の肉を一杯積んでライオンやトラの檻の前まで行きました。すると、その長官が金先生に、「トラに餌を投げてみてください」と勧めました。金先生はちょっと恐かったのですが、勇気を出して2kgの牛肉をいくつか重ねて、3m以上の鉄条網の向こう側に投げ入れました。すると、トラが飛び上がって、その肉を取りmした。けれども、トラはその餌をその場では食べませんでした。どうしてでしょう?それを4-5ヶ月の4匹の子どものトラのいるところに持っていって、その子ども達の食べるのを、よだれをたらしながら見ていました。この親のトラもお腹が空いていたのです。実際、親のトラは十分に食べていないのか、あばら骨が見えるほど痩せていました。つまり、餌はまず子どもたちが十分食べられるようにして、親はその残りを食べるのです。それを見ていた金先生は驚きました。「獣でも、自分の子どもを愛して、子どもたちが十分食べるのを見守り、それから自分の分を食べるのだ。だから、あんなに痩せていたのか~!」。

 

 金先生はそのとき、自分の子どものころのことを思い出したそうです。かつての田舎は本当に貧しく、子どもたちが十分食べる量がありませんでした。そのとき、いつもお母さんは子どもたちにこう言っていたそうです。「食べなさい。食べなさい。私は一杯食べて、お腹が一杯だから」。子どもは母親のそのことばを疑うことがなく、何も考えずに食べました。けれども、「何で、お母さんは日に日に痩せていくのかなあ」と思っていたそうです。でも、大人になって考えてみると、子どもたちを食べさせるために、「食べなさい。食べなさい。私は一杯食べて、お腹が一杯だから」とお母さんが言っていたことが分かったそうです。そのお母さんの子どもたちに対する犠牲的な愛を考えると、胸が痛くなると言われました。

 

 皆さん!獣でも自分の子どもたちには慈しみと憐れみとを持っています。親は子を育てるとき、子どもを愛し、慈しみ、あらゆる犠牲を払います。子どものために多くの労苦を背負います。そして子どもたちが結婚して、しばらくすると雲が消えてしまうようにいなくなってしまうのです。親の愛とは犠牲的な愛というものです。

 

2,  ダビデに見る親の愛

 皆さん!王様であったダビデのことをご存じでしょうか?王様ダビデには多くの子どもたちがいましたが、子どもたちの人間関係は複雑でした。その中でアブサロムは弟のアムノンをどうしても赦せず、憎み続けました。そして、その憎しみは時間が経っても消えず、益々大きくなっていきました。そして、2年後、遂にアムノンを殺してしまうのです。彼はこのようなことをしたので、エルサレムから逃れ、ゲシュルという所で3年間留まります。けれども、親子が人間的に和解すべきだと考えた将軍のヨアブによって、アブサロムはエルサレムに連れて来られます。けれども、王であり、父親であるダビデは、息子アムノンを殺したアブサロムと会ってはくれませんでした。やっとダビデに会うことが出来ましたが、父親であるダビデとの冷えた関係を回復することが出来ませんでした。それで、息子アブサロムはどうしたでしょうか?自分のために戦車と馬、そして部下50人を手に入れ、王であるダビデのもとに来た人々の心を自分の方に引き寄せます。こうしてダビデはイスラエルの人々の心を盗み、人々を集め、自分は王であると宣言します。そしてイスラエルの人々はダビデの取り巻き以外はアブサロムに付きます。

 

 そこでダビデは家臣とともにエルサレムから逃げます。いわゆる都落ちです。アブサロムは空っぽになったエルサレムの都に入ります。こうして、謀反を起こしたアブサロム軍とダビデ軍との戦いになります。ダビデにはこの戦いの勝利は見えていました。ですから、ダビデは3人の指揮官たちに「息子アブサロムをゆるやかに扱ってくれ」と頼みます。実際、すぐにアブサロム軍の多くが倒され、皆敗走します。アブサロムもラバに乗って逃げたのですが、背が高かったアブサロムは頭が木の枝に引っかかってしまいます。しかし、それを聞いた将軍ヨアブはダビデの願いをまったく無視して、ダビデの息子アブサロムを一突きで殺してしまったのでした。

 

 町の門で、戦いの報告を待っていたダビデのもとに、2人が報告を携え、走って来ます。その時、ダビデは「吉報に違いない」と言います。その一人がダビデに報告します。「主は王様に手向かった者どもを引き渡してくだしました。」。すると、ダビデはこの吉報に耳を傾けたでしょうか?いいえ。戦いの勝利の知らせは分かり切ったことでした。ダビデはただ一つのことを聞いたのです。「若者アブサロムは無事か。」と。もう1人の吉報の報告に対しても、ダビデはやはり同じように聞きました。「若者アブサロムは無事か。」と。この2番目の伝令はアブサロムが死んだという事実を告げました。それを聞いたダビデは身を震わせて泣きます。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ~。」と。ダビデはいつまでも叫び続けていたのです。

 

 親の愛とは何でしょうか?息子であるアブサロムはダビデの別の息子アムノンを殺しました。理由はどうであれ、ダビデは自分の息子の一人を殺したアブサロムを赦すことは出来ませんでした。こうした親子関係のねじれはアブサロムのクーデターとなって現れます。親であるダビデに反旗を翻し、息子であるアブサロムは親であるダビデの敵となり、戦いとなります。けれども、息子アブサロムが戦死した知らせを聞いたダビデは泣き続けます。叫び続けます。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」と。これが親の愛なのです。親はどんなに道を外してしまった子であっても、その子を愛しているのです。自分のいのちさえ惜しまないのです。これが親の愛なのです。

 

3,完全な親の愛

 親の愛とは何でしょうか?その完全なかたちはイエス・キリストの十字架の愛に表れています。それは子どもの代わりに、自分を犠牲にするという愛です。

 

 東京の日暮里に、ひとりのきれいな女の子がいました。けれども彼女の母親は、顔にひどい火傷を負っていて、顔全体が赤く腫れ上がっていました。そのため友だちから、「おまえのかあさんは、お化けだ」と言っていじめられ、毎日泣いて過ごしていました。この女の子はそんな醜い母親が大嫌いでした。それでなにかにつけてお母さんに当たり散らしてばかりいました。けれども、母親は、そんな子のことばにもじっと耐えていました。ある日、少女は家の中で遊んでいるとき、たんすの中から一枚の古ぼけた写真を見つけます。写真には、仲の良さそうな男女の二人のカップルの姿が写っていました。男性のほうはもう亡くなった若き日の父親であると、すぐわかりました。けれども女性のほうは、知らない人です。写真を母のところに持っていって聞いてみました。すると母親は涙ぐみ、しばらく黙っているのです。そしてしばらくして言います。「これはお母さんよ」。「えっ、でも火傷がないじゃないの」

 

 驚く子に、母親は説明し始めました。この女の子がまだ、一歳半の赤ん坊のときのことでした。赤ん坊が、あやまってストーブにぶつかり、その上の熱湯入りのやかんが倒れかけました。それを見た母親は、とっさに手を伸ばし、子を抱き上げて救いました。けれども熱湯は母親の顔に掛かり、母親は大火傷を負ってしまったのです。少女はこれを聞いたとき、大きなショックを受けました。彼女はそれ以来、友だちに何を言われても、もう気にすることはありませんでした。かえって、お母さんを自分の誇りに思うようになりました。自分がこの母の犠牲的な愛によって守られたかを、知ったからです。イエス様が私たちのために十字架上で血を流し、苦しまれ、犠牲になってくださったことは、まさにこのお母さんの姿に現されているのです。もう一度、様々な犠牲を払ってくださった親の愛を考えて来ましょう。そして、私たちの霊の親であられる主の愛を黙想しましょう。

 

 最後に、みことばを読んで、お祈りしましょう。「実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。」

 

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