「祝福を受ける秘訣」           

    ゼカリヤ1:1~6

序)

 バビロンに捕囚とされていた南ユダの民は70年後、ペルシアのクロス王によってBC538年に解放されます。そして、エルサレムに帰還した彼らが真っ先に始めたことは、焼け落ちてしまったエルサレムの神殿を再建することでした。それがエズラ3章において神殿の礎が据えられたことが記されています。しかし、これを妨げる敵の妨害が入ります。そのため15年間、神殿建設工事が中断されています。このような時、預言者ハガイと預言者ゼカリヤが預言することばによって、工事が再開され、神殿の完成に進んで行きます。ですから、このゼカリヤ書はそのような背景の中で語られています。さて、今日のタイトルは「祝福を受ける秘訣」ということです。

 

1,  私たちの生き方と行いによって裁かれるお方

主はどのようなお方でしょうか?6節にあるように、「私たちの生き方と行いによって裁かれるお方」です。主は私たちの肉の目には見えないお方です。民数記13章を見ると、荒野の民は不平不満つぶやきの連続でした。特に、カナンの地を偵察に行った12名のうちヨシュアとカレブを除く10名はそれを嘆き、民全体にその影響を及ぼし、遂にはリーダーであるモーセたちを殺そうとさえしました。その時、主は「あなたがたの言ったそのことば通りあなたにしよう」と仰いました。主はすべてを見ておられ、ご存じでした。つまり、私たちは主の前に生きているにも拘らず、そのことを意識していないのです。これは旧約だけではなく、新約時代の今日も同じです。行いによって裁かれるお方です。では、私たちは大丈夫でしょうか?

 

2,  過去の教訓から学べ

 2節、4節、5節、6節と短い箇所に4回も同じことばが出てきます。それが「あなたがたの先祖」ということばです。2節「【主】はあなたがたの先祖に激しく怒った。」、4節「あなたがたの先祖のようであってはならない。」5節「あなたがたの先祖たちは、今どこにいるのか。」、つまり、先祖が行ったことを教訓とせよ、と言うことです。ですから、6節「わたしのことばと掟は、あなたがたの先祖に追い迫ったではないか。=バビロン捕囚。それで彼らは立ち返って言ったのだ。」→まさに、過去の大きな失敗から学べということを主は言われているのです。

 

 ですから、私たちが自分の過去の失敗から学ぶことは非常に大切です。すべてが上手くいっていると感じている時、自分が結構頑張っていると思っている時、危ないのです。油断しているからです。教団の監督が自分の壁を1つまた1つ超えるために、休まずに主の働きをなし続けていく姿に、息子たちは「そんなにお父さんしなくてもいいのに」と言っていました。けれども、休まずに次々にチャレンジを自分に課していく理由はまさにここにあるのではないでしょうか!つまり、油断して休んでいる時に、悪魔に隙をつかれてしまうという高慢の罠を避けるためであるのです。

 

 もう1つは何でしょうか?第一コリント10章にはこう記されています。「しかし、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。6 これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。7 あなたがたは、彼らのうちのある人たちのように、偶像礼拝者になってはいけません。聖書には『民は、座っては食べたり飲んだりし、立っては戯れた』と書いてあります。8 また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、淫らなことを行うことのないようにしましょう。彼らはそれをして一日に二万三千人が倒れて死にました。9 また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、キリストを試みることのないようにしましょう。彼らは蛇によって滅んでいきました。

 

 10 また、彼らのうちのある人たちがしたように、不平を言ってはいけません。彼らは滅ぼす者によって滅ぼされました。11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。13 あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。14 ですから、私の愛する者たちよ、偶像礼拝を避けなさい。」(5~14)

 

 ですから、聖書全体を学ぶこと、特に、聖書に出てくる人物、神の民の生き方とその行いを知ること、これが私たちにとって大きな教訓となるということです。その点、日本が近代史、現代史を子どもたちに教えないことは大きな悲劇であるということです。ですから、クリスチャンは特に歴史を学ぶべきです。

 

3,  やり直しがきく人生

 「クリスチャンになって本当にありがたいなあ」と思うことは何でしょうか?それはやり直しがきく人生だということです。旧約の民、荒野の民は私たちのサンプルです。この世の基準では罪を犯したら、その罪は決して消えることがありません。けれども的外れである民、偶像礼拝で主を怒らせ、更には激怒させてしまう民であっても、主はすぐにさばかれないでチャンスを下さるのです。どうしたらいいのですか?3節「私に帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る!」。ハレルヤ!主の御前に出て、ひざまずき、悔い改めること。心を変えて、主に立ち返ること、これだけを主は求めておられるのです。ひどい罪を犯してしまったとしても、ただ主の御前に出て、赦しを請い、悔い改めるだけでいいのです。

 

 ルカ15章を見ると、まじめなお兄さんは不真面目な放蕩三昧の弟を赦せず、怒り続けました。しかし、滅茶苦茶な人生を送って来た弟は、父親にとって、放蕩息子でしたが、計り知れない父の愛を受けることが出来たのです。私たちがただすべきこと、それは悔い改めです。悔い改めとは神様の願っておられる基準に戻るということです^^ですから、日々悔い改める人こそ、主の測り知れない祝福を受ける人となるのです。なぜ悔い改めだけでよいのでしょうか?すでに神の子羊であるイエス様がほふられたからです。十字架は私たちが立ち返るために、備えられている恵みなのです。悔い改める時、どんな罪汚れも主の尊い血潮によって雪のようにきよめられるのです!ですから、日々悔い改め、きよめられて、聖なる者とされて行きましょう^^

 

「わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがわたしのことばを知らせよう。」(箴言1::23)。お祈りしましょう!

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