賢い人とは頭を使う人?

 私たちは、賢い人とは頭を使う人だと思いがちです。

 けれども聖書はそうは言っていません。

 箴言には以下のみことばがあります。

 「賢い人は辱めを気に留めない。」(12:16)

 「知恵のある者の唇は自分を守る。」(14:3)

 「ことばを控える人は知識を持つ者。霊において冷静な人は英知のある者。」(17:27)

船のかじ

 賢い人、知恵のある人は人のことばに影響されず、舌をよく管理していることが分かります^^

 しかし、私たちはすぐに頭を使い、頭で、知性で物事を考えます。

 けれども、そこには大きな罠があります!人間的な理性で判断し、信仰の働きを妨げてしまうからです!

 ところで、ヤコブは舌を馬のくつわ、船のかじにたとえ、舌が体全体の方向、人生の方向を決めると言いました。

馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。

 また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです
」(ヤコブ3-4)

携帯2

 ある時、個人である事業をやっているクリスチャンの方から、その教会の牧師に電話がかかってきました。

 取引先の社長が何ヶ月たっても代金を支払わないというのです。

 それで「どうしたら良いでしょうか?」という相談の電話でした。

 皆さんだったら、どうお答えになるでしょうか?

 そこで牧師は理性(頭)で判断することをやめ、まず「いやー、それは簡単です!」と肯定的なことばで答えました。

 「難しいですね。出来ないですね~」というと解決できなくなるので、まず口をコントロールし、信仰によって「簡単です!」と言ったのです。

 すると、その方はびっくりしたような声を出して、言われました。

「えっ~、簡単ですか?もう私は電話もしたり、手紙を送ったり、直接会って『何とか支払ってほしい』と何度も頼んでいるのに、全く払ってくれないのですよ~」

 「そうですか?でもそれは主にあって簡単ですよ!」と牧師は再び言いました。

   しかし、その牧師には良い方法や確信はありませんでした!

 ですから、全然方法も思いつかないのですが、まず「主にあって簡単です。大丈夫です!」と宣言したのです。

 なぜなら、イエス様にあっては簡単だからです!

祈り

 そして聖霊様に聞きました。

「聖霊様、一体どうしたら良いですか?」と。

 そして、まずその方から事情を聞きました。

「ではその方はお金もないのに注文してきたんですか?」

 すると、こう言われました。

「いいえ!お金は持っているんですけど、そのお金を自分の趣味に使っているんですよ」。

 「そうですか。その人、家庭ではどうですか?」

「いや~、もう家族から相手にされていないです!」

 「そうですか。わかりました!ではこうしてください。その人を心から愛して、大切にしてください。愛し続けるなら、その人はきっと変わりますから」。

携帯

 約一週間後に電話がかかってきました。

「先生~、いや~全額一気に払ってくれました!いや~本当にびっくりしました!」。

 皆さん、どんなときにも否定的なことばを使わず、全能なる主を信じて、肯定的に宣言していくならば、不思議な形で道は開かれていくのです!

 肯定的、信仰的なことばこそが聖書の言うことば、神様のことばなのです。それを宣言していくことです^

私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)

 理性ではなく、不可能の何1つない神様のみことば(ルカ1:37)に立って、人生の舵である舌を管理していきましょう^^

人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、その唇の収穫で満ち足りる。21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」(箴言18:29~21)

私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です」(ヤコブ3:2)

 「きっとよくなる!きっとよくなる!」「うまくいく!」「大丈夫!」と言い続けましょう!(参考:マルコ5:28)

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