霊的に倒れる前兆
イエス様は次のように仰いました。
「あなたがたは空模様を見分けることができるのに、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか?」
今は終わりの時代です!
ですから、時のしるしを見分けている方々も多くおられることと思います。
しかし、自分がサタンに倒される前兆を見分けている人々はそう多くはありません。
ノアは地上に悪が増大する中、主の御声に従いました。
海から遠い所になんと100年かけて箱船を造ったのです!
その結果、大洪水の中で家族8人が救われました。
けれども、その後、安心してしまったノアはぶどう酒で完全に酔っ払い、裸になり、醜態をさらしてしまいました。
数々の戦いに勝利し、イスラエル・ユダ王国を確立させたダビデもその絶頂期に殺人と姦淫によって倒れてしまったのです。
サタンに倒される前兆とはいつでしょうか?
それは「自分は成功者だ!すべてうまく行っている~」と思い、油断するときです!
そのしるしは何でしょうか?
「自分は人々よりもいろいろな面でまさっている。優れている!」と傲慢になっているときなのです!
では、傲慢になっているしるしは何でしょうか?
逆に言うと、他の人を自分よりも低く見るようになっていることです。
人をさばくことです。
パウロはこう言っています。
「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。
さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです」(ローマ2:1)
私たちは人の弱さを見て、心の中で批判します。
「もっと○○であるべきだ!」
「どうして○○ではないのだろうか?」。
でも、同じ問題を持っている人であっても、受け入れられる人もいれば受け入れられない人もいるのはどうしてでしょうか?
もしかすると、そのさばいている対象者は他の人のように見えるのですが、実は過去の自分自身の姿なのではないでしょうか?
自分の潜在意識の中に入り込んでいて、自分では気づかず、忘れてしまった嫌な姿ではないでしょうか?
そのさばいている対象者を「過去の高慢な自分」、「過去の哀れな自分」だと思い直すとき、とりなしの心が与えられます。
そして、悔い改めて、愛せるようになっていくのです!
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である」(レビ記19:18)
「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」(第一コリント12:26~27)
「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
13 あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。
あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
14 ですから、私の愛する者たちよ、偶像礼拝を避けなさい。」(第一コリント10:12)
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「あなたがたは空模様を見分けることができるのに、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか?」
今は終わりの時代です!
ですから、時のしるしを見分けている方々も多くおられることと思います。
しかし、自分がサタンに倒される前兆を見分けている人々はそう多くはありません。
ノアは地上に悪が増大する中、主の御声に従いました。
海から遠い所になんと100年かけて箱船を造ったのです!
その結果、大洪水の中で家族8人が救われました。
けれども、その後、安心してしまったノアはぶどう酒で完全に酔っ払い、裸になり、醜態をさらしてしまいました。
数々の戦いに勝利し、イスラエル・ユダ王国を確立させたダビデもその絶頂期に殺人と姦淫によって倒れてしまったのです。
サタンに倒される前兆とはいつでしょうか?
それは「自分は成功者だ!すべてうまく行っている~」と思い、油断するときです!
そのしるしは何でしょうか?
「自分は人々よりもいろいろな面でまさっている。優れている!」と傲慢になっているときなのです!
では、傲慢になっているしるしは何でしょうか?
逆に言うと、他の人を自分よりも低く見るようになっていることです。
人をさばくことです。
パウロはこう言っています。
「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。
さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです」(ローマ2:1)
私たちは人の弱さを見て、心の中で批判します。
「もっと○○であるべきだ!」
「どうして○○ではないのだろうか?」。
でも、同じ問題を持っている人であっても、受け入れられる人もいれば受け入れられない人もいるのはどうしてでしょうか?
もしかすると、そのさばいている対象者は他の人のように見えるのですが、実は過去の自分自身の姿なのではないでしょうか?
自分の潜在意識の中に入り込んでいて、自分では気づかず、忘れてしまった嫌な姿ではないでしょうか?
そのさばいている対象者を「過去の高慢な自分」、「過去の哀れな自分」だと思い直すとき、とりなしの心が与えられます。
そして、悔い改めて、愛せるようになっていくのです!
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である」(レビ記19:18)
「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」(第一コリント12:26~27)
「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
13 あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。
あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
14 ですから、私の愛する者たちよ、偶像礼拝を避けなさい。」(第一コリント10:12)
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