私たちはどのくらい主の愛を理解しているでしょうか?
私たちはどのくらい主の愛を理解しているでしょうか?
パウロは愛の分からない私たちが、主の愛に目が開かれるように祈っています!
「信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:17~19)
韓国の金サンハン牧師がカンボジアに行ったとき、こんな体験をしたそうです。
動物園を管轄する長官が、金先生を自分の首都プノンペンの動物園に招待してくれました。
動物園の中に入り、その長官と一緒に、牛と豚の肉を一杯積んでライオンやトラの檻の前まで行きました。
すると、その長官が金先生に、「トラに餌を投げてみてください」と勧めました。
金先生はちょっと恐ろしいと思ったのですが、勇気を出して2kgの牛の肉をいくつか重ねて、3m以上の鉄条網の向こう側に投げ入れました。
すると、トラが飛び上がって、その肉を取るのを見ましたが、その餌をその場で食べませんでした。
それを4-5ヶ月の4匹の子供のトラがいるところに持っていって、その子達の食べるのをよだれをたらしながら、見ているのです。
ところが、親のトラは十分に食べていないようで、あばら骨が見えるほど痩せていたのです。
つまり、餌は十分子どもたちが食べられるようにして、親はその残りを食べるのです。
それを見た金先生は驚きました。
「獣でも、自分の子どもを愛して、子どもたちが十分食べるのを見守り、それから自分の分を食べるから、あんなに痩せていたのか!」。
金先生はそのとき、自分の子どものころのことを思い出したそうです。
かつての田舎は本当に貧しく、子どもたちが十分食べる量がありませんでした。
そのとき、いつもお母さんは子どもたちにこう言っていたそうです。
「食べなさい。食べなさい。私は一杯食べたから。お腹が一杯だから」。
子どもとして、母親のそのことばを疑うことがなかったけれど、「何で、お母さんは日に日に痩せていくのかなあ」と思っていたそうです。
でも、後になって考えてみると、子どもたちを食べさせるために、「食べなさい。食べなさい。私は一杯食べたから。お腹が一杯だから」と言ったお母さんの慈しみと憐れみとを考えると、胸が痛くなると言われました。
皆さん!
獣でも自分の子どもたちには慈しみと憐れみとを持っています。
親は子を育てるとき、子どもを愛し、慈しむので、あらゆる犠牲を払います。
子どものために手足が擦り切れるほど労苦します。
そして子どもたちが結婚して、しばらくすると雲が消えてしまうようにいなくなってしまうのです。
獣も自分の子どもにはすべてを尽くし、慈しむのに、まして天の父なる神様が私たちに良くしてくださらないことがあるでしょうか!
「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」(マタイ7:11)
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」(イザヤ49:15~16)
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった。」(第一コリント2:9)
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「信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:17~19)
韓国の金サンハン牧師がカンボジアに行ったとき、こんな体験をしたそうです。
動物園を管轄する長官が、金先生を自分の首都プノンペンの動物園に招待してくれました。
動物園の中に入り、その長官と一緒に、牛と豚の肉を一杯積んでライオンやトラの檻の前まで行きました。
すると、その長官が金先生に、「トラに餌を投げてみてください」と勧めました。
金先生はちょっと恐ろしいと思ったのですが、勇気を出して2kgの牛の肉をいくつか重ねて、3m以上の鉄条網の向こう側に投げ入れました。
すると、トラが飛び上がって、その肉を取るのを見ましたが、その餌をその場で食べませんでした。
それを4-5ヶ月の4匹の子供のトラがいるところに持っていって、その子達の食べるのをよだれをたらしながら、見ているのです。
ところが、親のトラは十分に食べていないようで、あばら骨が見えるほど痩せていたのです。
つまり、餌は十分子どもたちが食べられるようにして、親はその残りを食べるのです。
それを見た金先生は驚きました。
「獣でも、自分の子どもを愛して、子どもたちが十分食べるのを見守り、それから自分の分を食べるから、あんなに痩せていたのか!」。
金先生はそのとき、自分の子どものころのことを思い出したそうです。
かつての田舎は本当に貧しく、子どもたちが十分食べる量がありませんでした。
そのとき、いつもお母さんは子どもたちにこう言っていたそうです。
「食べなさい。食べなさい。私は一杯食べたから。お腹が一杯だから」。
子どもとして、母親のそのことばを疑うことがなかったけれど、「何で、お母さんは日に日に痩せていくのかなあ」と思っていたそうです。
でも、後になって考えてみると、子どもたちを食べさせるために、「食べなさい。食べなさい。私は一杯食べたから。お腹が一杯だから」と言ったお母さんの慈しみと憐れみとを考えると、胸が痛くなると言われました。
皆さん!
獣でも自分の子どもたちには慈しみと憐れみとを持っています。
親は子を育てるとき、子どもを愛し、慈しむので、あらゆる犠牲を払います。
子どものために手足が擦り切れるほど労苦します。
そして子どもたちが結婚して、しばらくすると雲が消えてしまうようにいなくなってしまうのです。
獣も自分の子どもにはすべてを尽くし、慈しむのに、まして天の父なる神様が私たちに良くしてくださらないことがあるでしょうか!
「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」(マタイ7:11)
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」(イザヤ49:15~16)
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった。」(第一コリント2:9)
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