「問題の泥沼に陥ったときは、どうすればいいのか?」(佐々木満男・国際弁護士)

 ある事件の解決に非常に手間取ったことがあります。

 初めのうちは解決に向かって順調に進んでいたのですが、途中から一転して難航していきました。

何をしても、裏目に出てしまうのです。

激しい攻撃

 ささいな誤解が誤解を生んで、私自身が極悪人にされてしまい、相手側から誹謗と中傷による激しい個人攻撃を受けるようになりました。

 その事件のことがちょっとでも思い浮かぶと、とたんに気持ちが真っ暗になります。

事件の解決のために何度も徹夜で祈りましたが、なかなか気が晴れません。

 このような状態がかなり長い間続きましたが、ついに乗るかそるかの土壇場の事態が訪れました。

 ホテルに泊まり込んで事件のために祈り、解決策を検討しました。

それでも決定的な解決案と平安が得られません。

失望

 「これほど祈ってもだめか!」 失望のうちにホテルをチェックアウトしました。

 でも、「このままでは帰宅できない、なんとかこの陰鬱状態から解放されたい!」と強く願いました。

 その時です。

「問題の泥沼に陥ったときは、意を決して 突き抜けよ!」というヒルティのことばを想い出したのです。

 そこでホテルの近くにある超高層ビルの最上階に昇ってみました。

「どうしても解決の突破口を見つけ、問題を突き抜けたい」と思いました。

地平線

 最上階のコーヒーショップに入り、睡眠不足の疲れた頭と重い心で、濃いコーヒーを飲みながら窓越しに外を眺めました。

かなたに地平線が見える広々とした景色です。

 「天の父は、こんなにもすばらしい大自然を創られたのだ、わぁ、すごいなあ!」

子どものように、創造主の創造の偉大さに心から感動しました。


 しばらく呆然としていると、次第に、「天地万物を造られた全知全能の神に、解決できない問題などは一つもないはずだ!」という確信がよみがえってきました。

 気持ちがどんどん大きくなってきて、事件にこだわって小さく凝り固まっていた心がほぐれてきました。

 何気なく聖書を開くと、イザヤ書41章11節のことばが目に飛び込んできました。

イザヤ41:11

 「見よ、あなたにむかって怒る者はみな、恥じて、あわてふためき、あなたと争う者は滅びて無に帰する

 これは強烈なことばです。

 聖書のことばによって、天の父は私に語りかけて励ましてくださったのです。

 この聖書のことばによって、ついに私は問題の黒雲の中から突き抜けました。

確信

 具体的な解決策は思いつきませんでしたが、「全能の父なる神が、必ず解決してくださる!」という揺るがない平安を持つことができました。

 その時から、情勢が逆転し始めました。

今度は私を攻撃してきた人たちのやることなすことが、ことごとく裏目、裏目に出るのです。

 「私はもうこの問題を突き抜けたのだ!」 という確信がありましたので、自己弁護もせず、いっさい手を出しませんでした。

 そのうち相手側に仲間同士の争いが生じて、攻撃の矛先が私から自分たちに向いて行きました。

謝罪

 最後には、事件そのものが奇跡的に解決してしまいました。

私に対する誤解も解け、相手方の関係者一同が私に謝ってきたのです。
(抜粋引用:
http://www.christiantoday.co.jp/articles/11150/20121001/news.htm)

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」(へブル11:3)

私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。2 私の助けは【主】から来る。天地を造られたお方から。」(詩篇121:1~2)

いつでも祈るべきで、失望してはいけない」(ルカ18:1)

見よ、あなたにむかって怒る者はみな、恥じて、あわてふためき、あなたと争う者は滅びて無に帰する」(イザヤ41:11)

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