「私は間違いで生まれて来たに違いない!」その1

 沖縄には現在5千人以上の混血児がいる言われています。

 上原令子さんもまたその5千人の一人の混血児として、アメリカ統治下

の沖縄で生を受けました。

 同世代に生まれて来た大多数のハーフと同様、「私生児」として・・・。

米軍基地

 「令子、あんたもらい子よ!」

 一緒に楽しく遊んでいた一人の子が、突然、何のためらいもなく

令子さんに「教えて」くれました。

 令子さんはびっくりして、ショックで心がはちきれそうになりました。


 いや、もしかしたら心の奥ではすでに感じていたのかもしれません。

 ご両親の顔も、十歳年上の兄弟も全くの日本人で、彼女だけが

赤い髪の毛に堀の深い西洋風な顔立ちをしていたのですから。

上原令子

 でもその友だちの一言はあまりにも悲しいものでした。

 その瞬間、令子さんは自分の「価値」をなくしてしまったのです。

「私はこの家の本当の子どもではない。

 じゃ、愛されていないんだ!」

 まだ5歳の彼女には到底、理性で理解することなど無理でした。

 ただ、何よりも一番大事な家族の愛を失ってしまったような

気がしたのです。

 それからはご両親の愛が信じられなくなり、心の根底では

「やっぱり愛されていないんだ!」と卑屈になっていったのです。

 心の傷はそれだけに収まりませんでした。

 この容姿のために「アメリカー!あいのこ!」といじめられ、

泣きながら家に帰ることもしばしばだったのです。


いじめ
 
 そんなとき彼女を慰めてくれたのは、お父様の店で仕立ての

仕事をして働いていた「お兄ちゃんたち」でした。

 小学校高学年になると、そのいじめはもっと陰険になっていきました。

 彼女はくやしくて、くやしくてたまりませんでした。

こんな顔で生まれてこなかったらいじめられなくてすんだのに!

 彼女はハーフの自分がいやで恥ずかしかったのです。

 しかし、中学になるともっとつらいことが待っていました。

学生服

 それは学校の制服を着、『上原令子』という名札を付け

なければならないことでした。

 それは自分が日本人であるという証明と同時に、“私には父が

いない”という、出来れば秘密にしておきたいことを公表して

歩いているようなものだったからです。


 アメリカ兵との間に出来た令子さんを育てることが出来なかった

お母様は、いとこにあたる上原家に4ヶ月の彼女を養女として

手放しました。

 令子さんは中学生の頃にはその事実を知らされていました。

“望まれて生まれてきたのではない。

 間違いで生まれてきたに違いない!”

 そう思うと、令子さんの自分への価値はますます低くなって

いったのです。


ディスコ

 そんなさみしさを満たすために毎晩、ディスコに入りびたり、

万引きをし、未成年者でタバコを吸い、お酒を飲みました。

 彼女は日本の中学校を卒業した後、前々からの約束どおりご両親に

念願のアメリカンスクールに入学させてもらいました。


 まだ見ぬお父様へのあこがれと、ご自分の半分のルーツへの

興味もあって、どうしても英語をマスターしたいと思っていたからです。

 彼女はその学校で、英語だけではなく、聖書を学ぶことになるとは

夢にも思いませんでした。

 アメリカンスクールには令子さんと同様、心に傷を持つハーフの

「問題児」が多くいました。

 彼女に「仲間」が出来たので悪行がエスカレートし、しまいには

マリファナまで手にするようになっていったのです。


「彼(イエス・キリスト)は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の

地から出る根のように育った。

 彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが

慕うような見ばえもない。


jesus cross

 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。

 人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」
(イザヤ53:2~4)


あなたの重荷を主にゆだねよ。

 主は、あなたのことを心配してくださる。

 主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない
」(詩篇55:22)


神はわれらの避け所、また力。

 苦しむとき、そこにある助け
」(詩篇46:1)

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