もっとすぐれた復活?

 私たちは復活を漠然と信じているのではないでしょうか?

 ”もっとすぐれた復活”というものはあるのでしょうか?

コソボ 

 しばらく前、ユーゴスラビアのコソボで1つの事件が起きました。

 アメリカ人宣教師がスパイ容疑で逮捕され、牢獄に入れられて

しまった
のです。

 もちろん、無実の罪ですから、同僚の宣教師たちや本国の仲間たちが、

あらゆる手段を用いて彼の釈放を求めました。

 しかし、その要求は拒絶され続けました。

 その間に、一週間、二週間、三週間と日が経っていきました。

 やがて、アメリカ政府の外交的な努力によって、彼が釈放される

ことになりました。

牢獄

 ところが、釈放される日に、仲間が刑務所まで迎えに行くと、

何と彼は「まだ、ここを出るわけには行かない。

 もう一週間したら迎えに来てくれ
」と言ったのです。

 彼はその刑務所で、そんなに快適な生活を送っていたのでしょうか?

 いいえ。

 そんなはずはありません。

 彼には拷問を受けた痕がありました。

 でも、彼は、そこに留まりたいと言ったのです。

 その理由は次の通りでした。

囚人の救い

ここに入って約一ヶ月になる。

 この間、自分はこの刑務所の囚人たちに福音を語った。

 すると、驚くべきことに、ほとんどの囚人がイエス・キリストを信じた。

 あと3人信じていないが、もう一週間あれば、この3人も救いに導ける。

 だから、あと一週間待って欲しい
」。

 「主よ!あと3人お与えください~!」

 彼は、今でも釈放してもらえるのに、あと3人の救いのために、

自分の特権を放棄したのです。

 信仰の人々について記されているへブル11章にも、不思議なことが

記されています!


女たちは、死んだ身内の者たちをよみがえらせていただきました。

 また、ほかの人たちは、もっとすぐれたよみがえりを得るために、

釈放されることを拒んで拷問を受けました。
」(へブル11:35)

 なぜ拷問を受けることを選んだのでしょうか?

 それは「もっとすぐれたよみがえりを得るため」でした!


 「彼(モーセ)は、キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの

宝にまさる大きな富と考えました。

 それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした。
」(へブル11:26)


あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。

 強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を

求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。

 割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの

模範となりなさい。

 そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない

栄光の冠をいただくことになります。
」(第一ペテロ5:2~4)



賢明な者たちは大空の輝きのように輝き、多くの者を義に導いた者は、

世々限りなく、星のようになる。
」(ダニエル12:3)


 私たちがこの地上で行ったことに対して、主は報いを

用意されているのです!


ですから、私の愛する兄弟たち。

 堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。

 あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを

知っているのですから。
」(第一コリント15:58)


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