聖書のどこに神が「三位一体」だと記されていますか?

ものみの塔

 訪問伝道を活発にするキリスト教の異端に「エホバの証人

(ものみの塔)」というグループがあります。

 彼らは相手がクリスチャンであると知ると、この質問をしています。

「聖書のどこに神が三位一体であると書かれていますか?」

「聖書の中には神は唯一だと書かれているではないですか?」

 たとえば、『唯一の神以外には神は存在しないことを知っています』(第一コリント8:4)、

『私たちには唯一の神がおられるだけで・・・』(第一コリント8:6)

 「もし、父、子、聖霊がそれぞれ神であるならば、神が3人に

なってしまうのではないですか?」
 
 皆さんは「エホバの証人」のこの問いかけに対して、どのように

お答えになるでしょうか?

三位一体

 確かに、聖書の中に「三位一体」ということばは出てきません。

 しかし、明らかに、イエス・キリストは神だと記されているのです。

「このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられるです。

アーメン」(ローマ9:5)

「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり

私たちの救い主であるキリスト・イエス」(テトス2:13)

「御子については、こう言われます。

神よ

 あなたの御座は世々限りなく・・・」(ヘブル1:8~9)

主イエスの、神としての御力」(第二ペテロ1:3)

「私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストの

うちにいるのです。

 この方こそ、まことの神、永遠のいのち
です」(第一ヨハネ5:20)

 他にも、ヨハネ1:1、14、18、20:28があります。

三位一体1

 また、聖霊に関しては次の箇所で神であることが明らかです。

「そこで、ペテロがこう言った。

『アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて

地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。

・・・あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』」(使徒5:3~4)。

 三位一体に関して旧約聖書を調べてみると、主なる神はエロヒムと

複数形となっていますが、動詞は単数なのです。

 また、神ご自身は「われわれ」と複数で表現されています。

創世記2:7

 しかし、「神は仰せられた。

 『さあ人を造ろう。

 われわれのかたちとして、われわれに似せて』」(創世記1:26)

「神である主は仰せられた。

『見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るように

なった』」(創世記3:22)

「私は、『だれを遣わそう。

 だれが、われわれのために行くだろう』と言っておられる

主の声を聞いた」(イザヤ6:8)

「島々よ。わたしの前で静まれ。

 諸国の民よ。新しい力を得よ。

 近寄って、今、語れ。

 われわれは、こぞって、さばきの座に近づこう」(イザヤ41:1)

 他にも英語の聖書を見ると、創世記11:7、イザヤ1:18に

われわれ」を示す単語が使われています。

 このことは新約聖書においても同様です。

マタイ28章

 イエス様は水のバプテスマを「父、子、聖霊の御名によって」授ける

ように命じられましたが、この「御名」ということばは複数形ではなく、

単数形で記されています(マタイ28:19~20)。

 それは父、子、聖霊が本質において1つであるからです。

 他にも三位一体を証しする箇所は「わたしと父とは1つです

(ヨハネ10:30)等多くありますが、大切なことは何でしょうか?

 それは父、子、聖霊は神の3つの部分なのではなく、唯一なる神の

うちにある3つの「人格的な区別」
であるということなのです。

 私たちは様々な異端に惑わされず、ますます主を知ろうと、主を

求めていきませんか?

ホセア

私たちは、知ろう。

 主を知ることを切に追い求めよう。

 主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに

来、後の雨のように、地を潤される
」(ホセア6:3)


その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、

あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです
」(ヨハネ17:3)

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