神の栄光を現わすために何をするべきか?
私たちの人生の目的は何でしょうか?
パウロはこう言っています。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何を
するにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(第一コリント10:31)。
ですから、イザヤもこう言っています。
「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、
わたしがこれを創造した。
これを形造り、また、これを造った。」(イザヤ43:7)
では、どのようにしたら神の栄光を現わすことが出来るのでしょうか?
一人の人物を通して考えてみましょう!
![ムーディ2](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/da/f0/j/t01940259_0194025913331549499.jpg?caw=800)
4歳の時にお父さんと死別し、貧しい家庭で育ち、初等教育をまともに
受けることができない少年がいました。
彼は生計のために靴の販売をしていましたが、その時に伝道され、
信仰を得ました。
それ以降、一生懸命に祈り、御言葉を学び、その時代を代表する
福音伝道者になりました。
ドワイト・ムーディーです!
ドワイト・ムーディーは19世紀アメリカが生んだ世界的伝道者です。
それは彼が「自分の言葉を伝えずに、神様の御言葉を伝えなさい」
というヘンリー・ムーアハウスの忠告を心に刻み、毎日謙遜な思いで
聖書を読み、神様だけを頼ったからでした。
![ムーディ](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/5f/f9/j/t02000323_0200032313331549500.jpg?caw=800)
D.L ムーディーは、神学校を卒業できませんでした!
なぜなら小学校も卒業できなかったからです!
高校ももちろん卒業できず、大学入学は全く考えられませんでした。
彼はただ、神様の召しを受けて、神様の御言葉を昼夜、黙想し、
研究しただけでした。
しかし、その頃、D.L ムーディーほど聖書を深く知っていた人は
いなかったのです。
![ムーディ1](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/f1/77/j/t02200155_0267018813331549501.jpg?caw=800)
そして、彼が牧会したシカゴには多くの人が集まりました。
聖日礼拝に出席しようとするなら、何時間も並んで待たなければ
なりませんでした。
しかし実際にはD.L ムーディーは、世の中の履歴を見れば無、
ゼロです。
ですから、このことは、神様の御言葉がどれほど人を知恵を
与え、聡明にするのか、才能と能力を与えるのか?ということを
私たちに教えているのです。
御言葉がそのように私たちを知恵深く、賢い人にするのです!
![トーレイ](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/71/02/j/t02040247_0204024713331549498.jpg?caw=800)
R.A.トーレイは、こう言いました。
「ムーディーは神学を専攻しませんでしたが、私は断固として、
彼は学者だったと言います。
彼は毎日明け方の4時に起きて、神様の御言葉を深く研究しました。
彼は科学や哲学、文学、当時の流行と流れについてはほとんど
知りませんでした。
しかし人々がそれほどまでにムーディーの説教を聞くために集まって
来た理由は、この世が本当に切に知りたいと願う一冊の本について
よく知っていたからだ。」
私たちが本当に知らなければならない一冊の本、それはまさに
聖書なのです。
![聖書](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/e2/73/j/t02200137_0285017713331549497.jpg?caw=800)
この世の 全てのことを全て忘れてしまっても、御言葉を心に抱いて
いれば、私たちは希望を持って夢見ることができるのです。
「わたし(イエス・キリスト)があなたがたに話してきたことばは、
霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、
たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いや
はかりごとを見分けることができます。
13 神の御前にあらわでない被造物はありません。
神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。
この神に対して、私たちは申し開きをするのです。」(へブル4:12~13)
神のみことばとは”神の目”なのです!
「私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです。
私はあなたのみことばを待ち望んでいます。
私の目は、みことばを慕って絶え入るばかりです」(詩篇119:81~82)
神のみことばを慕い求め、愛していくなら、神の栄光を
現わす器となるのです!
このブログをお読みくださり、ありがとうございます。もし、よろしかったら一日一回クリックしていただけると励まされます^^
![にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ](//philosophy.blogmura.com/christian/img/christian88_31.gif)
にほんブログ村
私たちの人生の目的は何でしょうか?
パウロはこう言っています。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何を
するにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(第一コリント10:31)。
ですから、イザヤもこう言っています。
「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、
わたしがこれを創造した。
これを形造り、また、これを造った。」(イザヤ43:7)
では、どのようにしたら神の栄光を現わすことが出来るのでしょうか?
一人の人物を通して考えてみましょう!
![ムーディ2](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/da/f0/j/t01940259_0194025913331549499.jpg?caw=800)
4歳の時にお父さんと死別し、貧しい家庭で育ち、初等教育をまともに
受けることができない少年がいました。
彼は生計のために靴の販売をしていましたが、その時に伝道され、
信仰を得ました。
それ以降、一生懸命に祈り、御言葉を学び、その時代を代表する
福音伝道者になりました。
ドワイト・ムーディーです!
ドワイト・ムーディーは19世紀アメリカが生んだ世界的伝道者です。
それは彼が「自分の言葉を伝えずに、神様の御言葉を伝えなさい」
というヘンリー・ムーアハウスの忠告を心に刻み、毎日謙遜な思いで
聖書を読み、神様だけを頼ったからでした。
![ムーディ](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/5f/f9/j/t02000323_0200032313331549500.jpg?caw=800)
D.L ムーディーは、神学校を卒業できませんでした!
なぜなら小学校も卒業できなかったからです!
高校ももちろん卒業できず、大学入学は全く考えられませんでした。
彼はただ、神様の召しを受けて、神様の御言葉を昼夜、黙想し、
研究しただけでした。
しかし、その頃、D.L ムーディーほど聖書を深く知っていた人は
いなかったのです。
![ムーディ1](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/f1/77/j/t02200155_0267018813331549501.jpg?caw=800)
そして、彼が牧会したシカゴには多くの人が集まりました。
聖日礼拝に出席しようとするなら、何時間も並んで待たなければ
なりませんでした。
しかし実際にはD.L ムーディーは、世の中の履歴を見れば無、
ゼロです。
ですから、このことは、神様の御言葉がどれほど人を知恵を
与え、聡明にするのか、才能と能力を与えるのか?ということを
私たちに教えているのです。
御言葉がそのように私たちを知恵深く、賢い人にするのです!
![トーレイ](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/71/02/j/t02040247_0204024713331549498.jpg?caw=800)
R.A.トーレイは、こう言いました。
「ムーディーは神学を専攻しませんでしたが、私は断固として、
彼は学者だったと言います。
彼は毎日明け方の4時に起きて、神様の御言葉を深く研究しました。
彼は科学や哲学、文学、当時の流行と流れについてはほとんど
知りませんでした。
しかし人々がそれほどまでにムーディーの説教を聞くために集まって
来た理由は、この世が本当に切に知りたいと願う一冊の本について
よく知っていたからだ。」
私たちが本当に知らなければならない一冊の本、それはまさに
聖書なのです。
![聖書](https://stat.ameba.jp/user_images/20150608/21/praise-the-lord/e2/73/j/t02200137_0285017713331549497.jpg?caw=800)
この世の 全てのことを全て忘れてしまっても、御言葉を心に抱いて
いれば、私たちは希望を持って夢見ることができるのです。
「わたし(イエス・キリスト)があなたがたに話してきたことばは、
霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、
たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いや
はかりごとを見分けることができます。
13 神の御前にあらわでない被造物はありません。
神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。
この神に対して、私たちは申し開きをするのです。」(へブル4:12~13)
神のみことばとは”神の目”なのです!
「私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです。
私はあなたのみことばを待ち望んでいます。
私の目は、みことばを慕って絶え入るばかりです」(詩篇119:81~82)
神のみことばを慕い求め、愛していくなら、神の栄光を
現わす器となるのです!
このブログをお読みくださり、ありがとうございます。もし、よろしかったら一日一回クリックしていただけると励まされます^^
![にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ](http://philosophy.blogmura.com/christian/img/christian88_31.gif)
にほんブログ村