礼拝に聖霊様の力強いご臨在がありますように!
皆さんは「礼拝に聖霊様の力強いご臨在がありますように!」と、いつも祈っておられるでしょうか?
これこそリバイバルの大切な道ではないでしょうか?
ある男性が毎週、教会の礼拝に通うクリスチャンの女性と結婚しました。
彼女は忠実なクリスチャンでしたから、毎週、欠かさず教会で礼拝をささげます。
また、十分の一献金や様々な献金もささげます。
それを見たご主人は「そんなことに献金をささげるな!大切なお金をどうでもよいことに使って!」と叱りました。
しかし、奥さんは礼拝に行き、献金をささげることを止めません。
怒ったご主人は奥さんに暴力を振るいます。
更には、信仰を何とか止めさせようと、奥さんの聖書や聖歌を破り捨ててしまったのです。
しかし、そんな迫害者であったご主人に転機が訪れます。
それは初めてキリスト教葬儀に出席した時のことでした。
そこには、悲しみや嘆きが中心の仏式葬儀とはまったく違った清々しさがあったのです。
その時、彼は何とも言えない平安と未来への確かな希望を感じました。
それ以降、ご主人はキリスト教に関心を持つようになり、奥さんの通っている教会の礼拝に数ヶ月間通います。
けれども、そこでは何も感じることが出来ませんでした。
しかし、何とか素晴らしい恵みの体験をしたいので、その教会の牧師先生にお願いしました。
「私は日曜日には仕事があるので、礼拝は月に1,2度しか来れませんが、是非、洗礼を受けさせていただけないでしょうか?」。
すると、「毎週礼拝に来れないのなら、洗礼を授けることは出来ません」と断られてしまったのです。
それで、数箇所の教会を尋ねた後、ある教会では「主日礼拝に来れなくても大丈夫です。是非、聖書の学び会にお出でください!その学び会も礼拝です!」と言われ、参加しました。
何と!その学び会を通して、聖書の素晴らしさを発見したのです。
聖書が楽しくて仕方がないのです^^
すると、それを知った奥様が「聖書を暗唱してみたら・・・」とご主人にアドバイスしました。
そこで、彼は夜明け前に起き、何時間も聖書を読み、また暗唱するようにしました。
すると、聖書を暗唱していたあるとき、目の前に光に包まれたイエス様が現われてくださったのです。
彼はビックリしてそのまま動けなくなってしまいました。
そして、次に口から出たことばは「イエス様!私を赦してください!」でした。
けれども、そう言った後はことばにならず、ただ大声でウォンウォン泣くだけでした。
そのとき、心の底から悔い改めに導かれたのです。
それ以降、ご主人は聖霊に燃やされ、どこでも大胆に証しし、職場の人を洗礼にまで導くようになりました。
また、いつも車の中には暗唱聖句カードを備え、暗唱聖句をすることを怠りません。
ですから、いつもみことばの深い真理を悟り、よき証し人として主に用いられているのです。
もちろん、奥様を非常に大切にするよき夫に変えられたことは言うまでもありません。
ところで、このように難しい迫害者が変えられたきっかけは何でしょうか?
それは一言で言うと“聖霊体験”なのです!
キリスト教葬儀に聖霊様が臨んでくださったのです!
キリスト教葬儀は心からの神への礼拝であるからです!
さらに、このご主人を大きく変え続けたのは礼拝であり、バイブルスタディであり、聖書の暗唱でした!
その時、その場所ごとに聖霊様が臨まれたからです!
私たちも更に主とみことばを慕い求めて、心からの礼拝をささげませんか^^
「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)
「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける」(箴言8:17)
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ4:23)
「心(霊)の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5:3)
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これこそリバイバルの大切な道ではないでしょうか?
ある男性が毎週、教会の礼拝に通うクリスチャンの女性と結婚しました。
彼女は忠実なクリスチャンでしたから、毎週、欠かさず教会で礼拝をささげます。
また、十分の一献金や様々な献金もささげます。
それを見たご主人は「そんなことに献金をささげるな!大切なお金をどうでもよいことに使って!」と叱りました。
しかし、奥さんは礼拝に行き、献金をささげることを止めません。
怒ったご主人は奥さんに暴力を振るいます。
更には、信仰を何とか止めさせようと、奥さんの聖書や聖歌を破り捨ててしまったのです。
しかし、そんな迫害者であったご主人に転機が訪れます。
それは初めてキリスト教葬儀に出席した時のことでした。
そこには、悲しみや嘆きが中心の仏式葬儀とはまったく違った清々しさがあったのです。
その時、彼は何とも言えない平安と未来への確かな希望を感じました。
それ以降、ご主人はキリスト教に関心を持つようになり、奥さんの通っている教会の礼拝に数ヶ月間通います。
けれども、そこでは何も感じることが出来ませんでした。
しかし、何とか素晴らしい恵みの体験をしたいので、その教会の牧師先生にお願いしました。
「私は日曜日には仕事があるので、礼拝は月に1,2度しか来れませんが、是非、洗礼を受けさせていただけないでしょうか?」。
すると、「毎週礼拝に来れないのなら、洗礼を授けることは出来ません」と断られてしまったのです。
それで、数箇所の教会を尋ねた後、ある教会では「主日礼拝に来れなくても大丈夫です。是非、聖書の学び会にお出でください!その学び会も礼拝です!」と言われ、参加しました。
何と!その学び会を通して、聖書の素晴らしさを発見したのです。
聖書が楽しくて仕方がないのです^^
すると、それを知った奥様が「聖書を暗唱してみたら・・・」とご主人にアドバイスしました。
そこで、彼は夜明け前に起き、何時間も聖書を読み、また暗唱するようにしました。
すると、聖書を暗唱していたあるとき、目の前に光に包まれたイエス様が現われてくださったのです。
彼はビックリしてそのまま動けなくなってしまいました。
そして、次に口から出たことばは「イエス様!私を赦してください!」でした。
けれども、そう言った後はことばにならず、ただ大声でウォンウォン泣くだけでした。
そのとき、心の底から悔い改めに導かれたのです。
それ以降、ご主人は聖霊に燃やされ、どこでも大胆に証しし、職場の人を洗礼にまで導くようになりました。
また、いつも車の中には暗唱聖句カードを備え、暗唱聖句をすることを怠りません。
ですから、いつもみことばの深い真理を悟り、よき証し人として主に用いられているのです。
もちろん、奥様を非常に大切にするよき夫に変えられたことは言うまでもありません。
ところで、このように難しい迫害者が変えられたきっかけは何でしょうか?
それは一言で言うと“聖霊体験”なのです!
キリスト教葬儀に聖霊様が臨んでくださったのです!
キリスト教葬儀は心からの神への礼拝であるからです!
さらに、このご主人を大きく変え続けたのは礼拝であり、バイブルスタディであり、聖書の暗唱でした!
その時、その場所ごとに聖霊様が臨まれたからです!
私たちも更に主とみことばを慕い求めて、心からの礼拝をささげませんか^^
「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)
「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける」(箴言8:17)
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ4:23)
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