近代日本における歴史の転換点はいつか?
近代日本において、歴史上最大の転換点はいつだったでしょうか?
徳川幕府が倒され、明治維新に変わって行ったその時ではないでしょうか?
この時が日本の近代化の幕開けでした。
しかし、この日本の最大の転換点は、実は一人の人物の、たった一言によって切り開かれていったのです。
その人物とは坂本龍馬です。
彼が言った、たった一言。西郷隆盛に向かって言ったその一言が歴史を変えていったのです。
その一言とは「それでは長州がかわいそうではないか」と言うことばでした。
当時、討幕運動が起こりつつありました。
その中で、長州藩は特にそのために真っ先に立ち上がりました。
たった1つの藩であっても、幕府に立ち向かっていきました。
時代は変わりつつあり、志を1つにしようと多くの諸藩も立ち上がろうとの兆しがありました。
薩摩藩もその1つでした。
もし、この長州藩と薩摩藩が連合して立ち上がるならば、討幕運動は大きな力となることは目に見えていました。
ところが、この長州藩と薩摩藩は仲が悪かったのです。
同じ志を持っていても、相手に対してなかなか歩み寄ろうとしないのです。
自分の藩の体面、メンツを保とうと、自分の方が譲って握手をしようとはしませんでした。
そこで、坂本龍馬は1つのことを計画しました。
長州を代表する桂小五郎と薩摩藩の代表西郷隆盛とを会わせ、手を結ばせようとしたのです。
この2人を代表として、それぞれの藩の代表者が1つの部屋に集まって食事をすることにしたのです。
文字通りお膳は整えられました。
しかし、お互いは黙っていて、何も言わないのです。
お互いプライドが強く、自分から話を切り出すことを恥ずかしいことと考えていました。
譲らないのです。
こうして沈黙のまま1日が過ぎました。
次の日も同じく両方の代表が集まり、ともに食事をしました。
それでもお互いに決して話を切り出さない。
3日目、4日目、5日目・・・・ついに10日目が過ぎました。
桂小五郎は、坂本龍馬に向かって「自分はもう帰る」と言います。
「薩摩とはもう手を組むことはできない」と龍馬に宣言します。
そのとき、それまで黙っていた龍馬が、この時初めて怒りのことばを発したのです。
「桂。お前は何と言う男なのだ!まだお前は長州藩という狭い所から抜け出ることができないのか!」。
桂は憮然として答えます。
「出来ない。自分の方から口を出すことは出来ない。それは屈辱だ」。
そこで龍馬は急いで西郷隆盛のもとに行き、西郷の前に座り込んで言います。
「これでは長州がかわいそうではないか!」。
この一言をのみを言って、西郷をキッとにらみつけたのです。
龍馬は、こうして、西郷を刺すように見つめたまま沈黙し続けました。
そしてついに西郷隆盛が立ち上がり、薩長連合が成立したのです。
歴史はこの夜を境に倒幕へ、倒幕へとなだれを打ったように急速に展開していきました。
坂本龍馬、彼は彗星のごとく現われ、彗星のごとく去っていきました。
この坂本龍馬こそ、日本の歴史を動かすために天が送ってくれた人物だったのです。
なぜ、坂本龍馬は藩という枠に捉われなかったのでしょうか?
彼はもっと大きなところ、世界を、日本の国の未来を見つめていたからでした。
藩に所属していた武士たちはそれぞれ自分の藩に対して大きなプライドを持っていました。
しかし、そのプライド、相手に譲らない態度が歴史の流れを留めていたのです。
彼らは、本当は新しい方向へと進むべきなのに、自分のメンツ、プライドばかりを考えていたのです。
だから、それ以上進めなかったのです。(参考:司馬遼太郎「竜馬が行く」、手束正昭「命の宗教の回復」)
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」(エペソ2:14-15)
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラテヤ2:20)
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近代日本において、歴史上最大の転換点はいつだったでしょうか?
徳川幕府が倒され、明治維新に変わって行ったその時ではないでしょうか?
この時が日本の近代化の幕開けでした。
しかし、この日本の最大の転換点は、実は一人の人物の、たった一言によって切り開かれていったのです。
その人物とは坂本龍馬です。
彼が言った、たった一言。西郷隆盛に向かって言ったその一言が歴史を変えていったのです。
その一言とは「それでは長州がかわいそうではないか」と言うことばでした。
当時、討幕運動が起こりつつありました。
その中で、長州藩は特にそのために真っ先に立ち上がりました。
たった1つの藩であっても、幕府に立ち向かっていきました。
時代は変わりつつあり、志を1つにしようと多くの諸藩も立ち上がろうとの兆しがありました。
薩摩藩もその1つでした。
もし、この長州藩と薩摩藩が連合して立ち上がるならば、討幕運動は大きな力となることは目に見えていました。
ところが、この長州藩と薩摩藩は仲が悪かったのです。
同じ志を持っていても、相手に対してなかなか歩み寄ろうとしないのです。
自分の藩の体面、メンツを保とうと、自分の方が譲って握手をしようとはしませんでした。
そこで、坂本龍馬は1つのことを計画しました。
長州を代表する桂小五郎と薩摩藩の代表西郷隆盛とを会わせ、手を結ばせようとしたのです。
この2人を代表として、それぞれの藩の代表者が1つの部屋に集まって食事をすることにしたのです。
文字通りお膳は整えられました。
しかし、お互いは黙っていて、何も言わないのです。
お互いプライドが強く、自分から話を切り出すことを恥ずかしいことと考えていました。
譲らないのです。
こうして沈黙のまま1日が過ぎました。
次の日も同じく両方の代表が集まり、ともに食事をしました。
それでもお互いに決して話を切り出さない。
3日目、4日目、5日目・・・・ついに10日目が過ぎました。
桂小五郎は、坂本龍馬に向かって「自分はもう帰る」と言います。
「薩摩とはもう手を組むことはできない」と龍馬に宣言します。
そのとき、それまで黙っていた龍馬が、この時初めて怒りのことばを発したのです。
「桂。お前は何と言う男なのだ!まだお前は長州藩という狭い所から抜け出ることができないのか!」。
桂は憮然として答えます。
「出来ない。自分の方から口を出すことは出来ない。それは屈辱だ」。
そこで龍馬は急いで西郷隆盛のもとに行き、西郷の前に座り込んで言います。
「これでは長州がかわいそうではないか!」。
この一言をのみを言って、西郷をキッとにらみつけたのです。
龍馬は、こうして、西郷を刺すように見つめたまま沈黙し続けました。
そしてついに西郷隆盛が立ち上がり、薩長連合が成立したのです。
歴史はこの夜を境に倒幕へ、倒幕へとなだれを打ったように急速に展開していきました。
坂本龍馬、彼は彗星のごとく現われ、彗星のごとく去っていきました。
この坂本龍馬こそ、日本の歴史を動かすために天が送ってくれた人物だったのです。
なぜ、坂本龍馬は藩という枠に捉われなかったのでしょうか?
彼はもっと大きなところ、世界を、日本の国の未来を見つめていたからでした。
藩に所属していた武士たちはそれぞれ自分の藩に対して大きなプライドを持っていました。
しかし、そのプライド、相手に譲らない態度が歴史の流れを留めていたのです。
彼らは、本当は新しい方向へと進むべきなのに、自分のメンツ、プライドばかりを考えていたのです。
だから、それ以上進めなかったのです。(参考:司馬遼太郎「竜馬が行く」、手束正昭「命の宗教の回復」)
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」(エペソ2:14-15)
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラテヤ2:20)
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