神中心の人間になるには?
私たちはともすると、感情に縛られてしまいます。
このことがあるから愛せない、赦せない・・・・・等々。
そして、それは仕方がないことと思い込んでいます;^^
でもそれが幸せな生き方でしょうか^^?
70年前のことです。
1952年、朝鮮戦争に向かうため、イギリスから日本に向かっている
船上で、ある一人の男が若い沢山のイギリス兵たちに向かって、
こう語りかけました。
「あなた方は銃を持って平和をつくろうと韓国に向かっている。
私は聖書を持って日本に向かっている。
戦争は終わったが、日本にはまだ平和が訪れていないからだ。
私は日本人に聖書を教えたいと思っている。
イエス・キリストが平和の君であられるから」
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-スティーブン・メティカフ宣教師](https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/17/praise-the-lord/36/99/j/t01040134_0104013412731963610.jpg?caw=800)
この信念をもって、それから1990年までの38年間、どんな苦労も
いとわず、東北や北海道、千葉などで福音を伝え続けた人物、それが
スティーブン・メティカフ宣教師でした。
彼は一体なぜイギリスの敵国であった日本にやって来たのでしょうか?
メティカフさんは1927年、中国雲南省で生まれました。
父はイギリス人、母はオーストラリア人ですが、二人とも宣教師として、
雲南省の山奥にある少数民族の村で暮らしていました。
しかし、1941年12月8日、日本軍による真珠湾攻撃は事態を決定的な
ものとしました。
![太陽の帝国](https://stat.ameba.jp/user_images/20150808/20/praise-the-lord/d8/54/j/t02200156_0266018913389878018.jpg?caw=800)
翌1942年、メティカフさんが通っていた学校は、生徒も教師も
そっくりそのまま、日本軍の民間人収容所に入れられました。
これが14歳の時でした。
日本兵の中国人に対する振る舞いは残虐なことこの上なく、
メティカフさん自身、首を切り落とされた死体、生きたまま両目を
くりぬかれ、リヤカーに乗せられて引き回されている中国人を
目撃しました。
こうした見るに耐えない光景を目にしているうちに、日本人に対する
憤り、憎しみは膨れあがっていったのです。
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-1エリック・リデル](https://stat.ameba.jp/user_images/20131028/17/praise-the-lord/ef/13/j/t01990254_0199025412730914566.jpg?caw=800)
ところで、メティカフさんがいた収容所には、映画「炎のランナー」の
主人公エリック・リデルがいました。
そして、メティカフさんや友人たちは、リデルが収容所の中で開いていた
バイブルクラスに出席していました。
ある時、そのバイブルクラスで一つの議論が持ち上がりました。
「自分の敵を愛しなさい」というイエスの教えは、ただの理想か
それとも現実的な教えか、という議論です。
少年たちの意見が「それは理想にちがいない。
日本兵を愛することなどできるはずがない」という結論に傾き
始めた時、リデルが口を開きました。
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-ラブ5](https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/17/praise-the-lord/aa/cd/j/t02200182_0247020412731967690.jpg?caw=800)
「僕もそう思っていた。
でも、イエスのそのことばには『迫害する者のために祈りなさい』
(マタイ5:44)という続きがある。
『しかし、わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。』
愛せなくても、祈ることならできるはずだ」
そう教えるリデル自身、毎朝早く起きては日本のために祈っていた
と言います。
敬愛するリデルの勧めに従って、メティカフさんは日本のために
祈り始めました。
リデルは、「憎む時、きみはきみ中心の人間になる。
祈る時、きみは神中心の人間になる」と教えてくれたのです。
しかし、日本と日本人のために祈っても、日本兵の振る舞いは
変わりませんでした。
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-手の中](https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/17/praise-the-lord/a5/9a/j/t02200165_0259019412731967692.jpg?caw=800)
けれども、それを見ているメティカフさんの心の中には
変化が生じていました。
目に映ることは相変わらず受け入れがたいものです。
しかし同時に、「この人たちは、命の価値というものを知らないのだ」
と理解することができるようになりました。
この思いはやがて、宣教師となって日本へ行き、神の愛を伝えたい
という祈りに発展し、宣教師として日本にやって来られたのでした。
リデルの日常的な言動を通して、主がメティカフさんを祈りの人
とし、感情に支配されていたメティカフさんを解放してくださいました。
そして一番行きたくないはずの国である日本で、40年近くも愛を
伝え続ける宣教師となられたのでした!
ハレルヤ!
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-希望5](https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/17/praise-the-lord/8d/ac/j/t01900266_0190026612731967691.jpg?caw=800)
自分の感情ではなく、祈りを出発点とすると、自分の行くべき道が
開かれるのです^^
「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、この地のために、
わたしの前で石垣を築き、破れ口に立つ者を彼らの間に探し求めたが、
見つからなかった。」(エゼキエル22:30)
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない
理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)
「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに
出かけて行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)
「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を
明かされた。
13 そして、夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を
選び、彼らに使徒という名をお与えになった。」(ルカ6:12)
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私たちはともすると、感情に縛られてしまいます。
このことがあるから愛せない、赦せない・・・・・等々。
そして、それは仕方がないことと思い込んでいます;^^
でもそれが幸せな生き方でしょうか^^?
70年前のことです。
1952年、朝鮮戦争に向かうため、イギリスから日本に向かっている
船上で、ある一人の男が若い沢山のイギリス兵たちに向かって、
こう語りかけました。
「あなた方は銃を持って平和をつくろうと韓国に向かっている。
私は聖書を持って日本に向かっている。
戦争は終わったが、日本にはまだ平和が訪れていないからだ。
私は日本人に聖書を教えたいと思っている。
イエス・キリストが平和の君であられるから」
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-スティーブン・メティカフ宣教師](https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/17/praise-the-lord/36/99/j/t01040134_0104013412731963610.jpg?caw=800)
この信念をもって、それから1990年までの38年間、どんな苦労も
いとわず、東北や北海道、千葉などで福音を伝え続けた人物、それが
スティーブン・メティカフ宣教師でした。
彼は一体なぜイギリスの敵国であった日本にやって来たのでしょうか?
メティカフさんは1927年、中国雲南省で生まれました。
父はイギリス人、母はオーストラリア人ですが、二人とも宣教師として、
雲南省の山奥にある少数民族の村で暮らしていました。
しかし、1941年12月8日、日本軍による真珠湾攻撃は事態を決定的な
ものとしました。
![太陽の帝国](https://stat.ameba.jp/user_images/20150808/20/praise-the-lord/d8/54/j/t02200156_0266018913389878018.jpg?caw=800)
翌1942年、メティカフさんが通っていた学校は、生徒も教師も
そっくりそのまま、日本軍の民間人収容所に入れられました。
これが14歳の時でした。
日本兵の中国人に対する振る舞いは残虐なことこの上なく、
メティカフさん自身、首を切り落とされた死体、生きたまま両目を
くりぬかれ、リヤカーに乗せられて引き回されている中国人を
目撃しました。
こうした見るに耐えない光景を目にしているうちに、日本人に対する
憤り、憎しみは膨れあがっていったのです。
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-1エリック・リデル](https://stat.ameba.jp/user_images/20131028/17/praise-the-lord/ef/13/j/t01990254_0199025412730914566.jpg?caw=800)
ところで、メティカフさんがいた収容所には、映画「炎のランナー」の
主人公エリック・リデルがいました。
そして、メティカフさんや友人たちは、リデルが収容所の中で開いていた
バイブルクラスに出席していました。
ある時、そのバイブルクラスで一つの議論が持ち上がりました。
「自分の敵を愛しなさい」というイエスの教えは、ただの理想か
それとも現実的な教えか、という議論です。
少年たちの意見が「それは理想にちがいない。
日本兵を愛することなどできるはずがない」という結論に傾き
始めた時、リデルが口を開きました。
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-ラブ5](https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/17/praise-the-lord/aa/cd/j/t02200182_0247020412731967690.jpg?caw=800)
「僕もそう思っていた。
でも、イエスのそのことばには『迫害する者のために祈りなさい』
(マタイ5:44)という続きがある。
『しかし、わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。』
愛せなくても、祈ることならできるはずだ」
そう教えるリデル自身、毎朝早く起きては日本のために祈っていた
と言います。
敬愛するリデルの勧めに従って、メティカフさんは日本のために
祈り始めました。
リデルは、「憎む時、きみはきみ中心の人間になる。
祈る時、きみは神中心の人間になる」と教えてくれたのです。
しかし、日本と日本人のために祈っても、日本兵の振る舞いは
変わりませんでした。
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-手の中](https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/17/praise-the-lord/a5/9a/j/t02200165_0259019412731967692.jpg?caw=800)
けれども、それを見ているメティカフさんの心の中には
変化が生じていました。
目に映ることは相変わらず受け入れがたいものです。
しかし同時に、「この人たちは、命の価値というものを知らないのだ」
と理解することができるようになりました。
この思いはやがて、宣教師となって日本へ行き、神の愛を伝えたい
という祈りに発展し、宣教師として日本にやって来られたのでした。
リデルの日常的な言動を通して、主がメティカフさんを祈りの人
とし、感情に支配されていたメティカフさんを解放してくださいました。
そして一番行きたくないはずの国である日本で、40年近くも愛を
伝え続ける宣教師となられたのでした!
ハレルヤ!
![国際福音キリスト教会アガペー八王子チャペル-希望5](https://stat.ameba.jp/user_images/20131029/17/praise-the-lord/8d/ac/j/t01900266_0190026612731967691.jpg?caw=800)
自分の感情ではなく、祈りを出発点とすると、自分の行くべき道が
開かれるのです^^
「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、この地のために、
わたしの前で石垣を築き、破れ口に立つ者を彼らの間に探し求めたが、
見つからなかった。」(エゼキエル22:30)
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない
理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)
「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに
出かけて行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)
「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を
明かされた。
13 そして、夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を
選び、彼らに使徒という名をお与えになった。」(ルカ6:12)
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