感覚に頼っている?
私たちは神のみわざに期待します。
是非願っていることが起こり、それが継続するように、と。
しかし、神様のしるしが現わされても、それを失ってしまうことが
あるのです。
それはどうしてでしょうか?
ケネス・ヘーゲン牧師も以下のような疑問を持っていました。
「聖霊様の働かれる集会で病人が実際、本当にいやされるのに、
その中で、また病気になってしまう人がいるのはなぜだろうか?」と。
すると、一つのことがわかりました。
それは、なぜかというと、「そのような人は自分の感覚を第一に
しているのだ」と言うのです。
つまり、悪魔はかつての病気だった部分に痛みを与えて、こう言います。
「お前、本当に直ったのか?
お前が直ったと言うその部分は、やはり痛いではないか!
実際、お前は直ったと錯覚しただけだ。
そう思い込んだに過ぎないんだ」と。
こうして人々はすぐ悪魔に騙されてしまいます。
神様のみことばではなく、自分の感覚を信じるからです。
そして、また病の中に戻ってしまうのです。
感情、感覚に頼るのではなく、神様のみことばをいただき、
それをいつも心に刻むことこそ大切なのです!
「しかし、百人隊長は答えて言った。
『主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私には
ありません。
ただ、おことばを下さい。
そうすれば、私のしもべは直ります。』」(マタイ8:8)
「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、
非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、
毎日聖書を調べた。
12 それで彼らのうちの多くの人たちが信じた。
また、ギリシアの貴婦人たち、そして男たちも少なからず
信じた。」(使徒17:11~12)
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、
たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いや
はかりごとを見分けることができます。」(へブル4:12)
「 【主】のことばによって天は造られた。」(詩篇33:6)
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是非願っていることが起こり、それが継続するように、と。
しかし、神様のしるしが現わされても、それを失ってしまうことが
あるのです。
それはどうしてでしょうか?
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「聖霊様の働かれる集会で病人が実際、本当にいやされるのに、
その中で、また病気になってしまう人がいるのはなぜだろうか?」と。
すると、一つのことがわかりました。
それは、なぜかというと、「そのような人は自分の感覚を第一に
しているのだ」と言うのです。
つまり、悪魔はかつての病気だった部分に痛みを与えて、こう言います。
「お前、本当に直ったのか?
お前が直ったと言うその部分は、やはり痛いではないか!
実際、お前は直ったと錯覚しただけだ。
そう思い込んだに過ぎないんだ」と。
こうして人々はすぐ悪魔に騙されてしまいます。
神様のみことばではなく、自分の感覚を信じるからです。
そして、また病の中に戻ってしまうのです。
感情、感覚に頼るのではなく、神様のみことばをいただき、
それをいつも心に刻むことこそ大切なのです!
「しかし、百人隊長は答えて言った。
『主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私には
ありません。
ただ、おことばを下さい。
そうすれば、私のしもべは直ります。』」(マタイ8:8)
「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、
非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、
毎日聖書を調べた。
12 それで彼らのうちの多くの人たちが信じた。
また、ギリシアの貴婦人たち、そして男たちも少なからず
信じた。」(使徒17:11~12)
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、
たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いや
はかりごとを見分けることができます。」(へブル4:12)
「 【主】のことばによって天は造られた。」(詩篇33:6)
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