令和7年の今年は2026年という事で昭和で言うと101年に当たる年ですが
今年から丁度半世紀前と言ったら1976年(昭和51年)という事になる。
昭和51年という年は僕にとっては小学校を卒業し中学校に入学した年だった。
還暦も過ぎた今でこそ少年漫画の類は一切読まなくなったが僕がこれまでの人生で
最も数多くの種類の少年漫画の類を読んでいたのが中学生の時だったと思う。
それこそ週刊、月刊、別冊、増刊を問わずチャンピオン、ジャンプ、マガジン、サンデー
更には既に廃刊になったキングまで全ての少年漫画を読み漁っていた。
それらを全て買うわけにはいかないので誰かが買って友達同士で回し読みしたり
貸本屋で借りたり、あるいは書店で立ち読みしたりしてひと通り目を通していた。
僕が中学生になる前後の1976年(昭和51年)の少年漫画事情と言えば
キングが最も人気がなくマガジンとサンデーが3~4位を争っており
チャンピオンとジャンプが覇権を賭けて激しく争ってた時代だった。
調べてみると1978年(昭和53年)以降はジャンプが独走状態にあるらしいが
それでも最盛期には650万部を発行してたジャンプも今では125万部まで落ちてるらしい。
その次がマガジンで44万部、サンデーが17万部でチャンピオンは最下位で
部数未群とされているがおそらく10万部に届くかどうかくらいじゃなかろうか。
当時の少年漫画事情を知らない世代には意外に思うかも知れないが今現在まで続く
日本の4大週刊少年漫画雑誌で我が国で一番最初に200万部を突破したのが
1977年(昭和52年)のチャンピオンだったんですよね~。
個人的にも今思い出しても中学に入学する前後当時はチャンピオンが
最も面白いと思ってたし僕の友人たちもそう思ってたと思う。
「がきデカ」「ドカベン」「ブラックジャック」「750ライダー」「エコエコアザラク」
「マカロニほうれん荘」…日本漫画史に残る傑作がこれほど掲載されてましたからね~。
歴史的ともいえるチャンピオンの躍進を支えたのがカリスマ編集者として知られる
壁村耐三氏であったそうで1972年に壁村氏が編集長に就任した当時チャンピオンの
発行部数は40万部前後だったそうで壁村氏は大胆な改革を断行。
漫画家とたびたび対立し手塚治虫先生に対しても容赦なく連載漫画の
ほとんどを読み切り形式にし王道を行く少年漫画を多数掲載するに至った。
当時既に終わった漫画家とみられていた手塚先生を評価し「ブラック・ジャック」の連載を
後押しして連載を決定し手塚先生を復活させたのは他ならぬ壁村さんだったそうです。
しかしチャンピオンの覇者としての覇権は1年しか持たずチャンピオンが200万部を
突破した翌年1978年(昭和53年)にはジャンプが210万部を売り上げ覇権を奪取。
200に10をプラスするなんて、まるでランボルギーニカウンタックが最高速度
300㎞としたのに対しとフェラーリが意地でBBの最高速度を302㎞と
公表したのに匹敵する争いのような気がしますよ(笑)
ジャンプは才能がある若い漫画家を積極的に売り出し誌面の勢いを作った。
江口寿史、車田正美、高橋よしひろ、小林よしのりさんたち新しい顔を次々入れ
読者アンケートにも力を入れ人気を数字で見て反応の速い作品を押し上げ
弱い作品は入れ替える仕組みが功を奏したとの見方もある。
まあこの時はチャンピオンが発行部数が落ちたと言うよりジャンプが
伸ばしたという事だろうが、その後の両誌の経緯を見るとジャンプは
「ドラゴンボール」や「北斗の拳」「SLAM DUNK」などの大ヒット作を
連発するがチャンピオンに至っては1977年がピークと言われても仕方ない。
まあ何にせよチャンピオンとジャンプが激しく覇権を争いマガジンやサンデーを含め
少年漫画戦国時代を中学生で経験出来たのはラッキーだったと思いますよ。
今でも幼馴染たちと集まった時は当時の少年漫画の話に花が咲きますからね。
ジャンジャン!!



