2026の今年は1966年(昭和41年)7月に放送が始まったウルトラマン生誕60周年になる。
同年1月に放送が始まり世に怪獣ブームを巻き起こした白黒放送のウルトラQに続く形で
企画されたTBSと円谷プロ制作の特撮テレビドラマでウルトラマンは大人気になった。
ウルトラマンが企画された段階で本作はカラーフィルムで制作する事
怪獣と互角に戦える正義のヒーローをシリーズを通じての主人公にする
ウルトラQのスピンオフとしてウルトラQのレギュラー俳優を1人残す
怪獣事件を専門に扱う公的機関を作るという事がテーマだったらしい。
それらを考慮しながら試行錯誤を繰り返し誕生したのがウルトラマンだった。
当時まだテレビは映画より格下と思われてた時代で映画のような特殊効果技術を
導入したテレビドラマは皆無で前代未聞という事で何もかもが未知数だった。
そこに果敢にチャレンジしたのが特撮の神様と言われた円谷英二さんが育てた
円谷プロや東宝、TBSのスタッフとテレビに活躍の場を求めた若手俳優だった。
ウルトラマンのデザインは当時の日本特撮としてはかなり斬新で宇宙人らしさと
神秘性を感じさせる造形が印象的で後のヒーローデザインにも大きな影響を与えました。
当時はCGがないため街並みや建物を精巧なミニチュアで制作し壊して撮るのだが
円谷英二さんはミニチュアの精密さと撮影技術に強い拘りを持っており同様に
ウルトラマンや怪獣のクォリティーにも拘っていたので美術スタッフは大変だった。
照明機材が強く重い着ぐるみを着た撮影も多かったためウルトラマンの
スーツアクターを務めてた古谷敏さんを始め現場はかなり熱く重労働だったそうだで
特に水中シーンでの撮影では何度も窒息状態になり危険を伴ったらしい。
そうして苦労の末に最高視聴率42.8%を記録するなど国民的ヒーローになったウルトラマンだが
当時の僕はまだ幼少で物心ついたばかりだった事もあり、そんな裏側の事情や経緯など
何も知らなかったし、この作品が如何に画期的だったかって事も考えた事もなかった。
これが当たり前だと思ってた、てか、現代の子供がスマホが当たり前と思ってる感覚だ。
正確に言うと時系列ではウルトラマン初回放送の13日前にマグマ大使の放送が
始まっていたがマグマ大使は実写とアニメの合成だったし特撮ドラマとしての
クオリティーがウルトラマンの方が圧倒的に高いという事は幼心にも感じてた。
あれから60年の歳月が流れたんですね~、3歳だった僕が63歳になるんですからね~
それにしても科学特捜隊のキャップだったムラマツ隊長を演じた小林昭二さんは既に
お亡くなりになったけどハヤタ隊員を演じた黒部進さん、イデ隊員を演じた二瓶正也さん
アラシ隊員を演じた石井伊吉(毒蝮三太夫)さん、フジアキコ隊員を演じた
桜井浩子さんは今でもお元気で定期的にお会いになってるようだ。
ウルトラマン誕生の経緯を詳しく知りたい方は添付したYouTubeの
ドキュメンタリー「ウルトラ革命1966」をご覧になってみてください。
3時間弱もあるドキュメンタリーですが僕は全編観たし凄く興味深かったですよ。
ジャンジャン!!


