1965年(昭和40年) 1966年(昭和41年) テレビアニメ | PRAINSのブログ

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さて、今年から始めた昭和の時代に放送されたテレビアニメを振り返り

放送開始年ごとにトップ3を選ぶ昭和のテレビアニメシリーズも今回で最終回になります。

最終回の今回は1965年(昭和40年)1966年(昭和41年)に放送が開始された

番組という事になりますが1963年(昭和38年)生まれの僕は当時2~3歳の

幼児という事で当時観た記憶のある番組が半数弱ですね~。

 

調べてみると当時はアメリカ制作のアニメ番組が多く放送されており

アメリカ制作のテレビアニメをノミネートに入れると掲載した倍くらいの数になるので

アメリカ制作のアニメは僕が記憶にある「スーパースリー」以外は外した。

まあスーパースリーを観た記憶は小学生の頃なので再放送だったのは間違いない。

 

てか、こうして2年間のラインナップを見てみると圧倒的に少年を主人公にした

勇敢なヒーロー物の作品が多いと思うし中でも宇宙をテーマにしたものが多い。

当時のアニメは女子より男子をターゲットにした作品が主流だったと思われるし

当時の少年は宇宙というコンテンツに憧れがあったのかも知れませんね~。

 

 

と、いう事で昭和のテレビアニメシリーズ最終回のトップを飾るのは

1965年(昭和40年)10月に放送が始まった手塚治虫先生の代表作の一つで

日本国産初のカラー作品として知られる「ジャングル大帝」を選んだ。

 

「ジャングル大帝」はアフリカのジャングルを舞台に白ライオンの

レオを中心とした一家3代とムーンライトストーンを巡って

争奪戦を演じる人間たちの群像が描かれた大河ドラマだ。

 

「ジャングル大帝」は翌年1966年(昭和41年)9月までの放送だったが

視聴率は20%以上を獲得し内容的にも各賞を受賞する好評を受けた事から

翌月10月には続編となる「新ジャングル大帝 進めレオ」が始まった。

個人的には「ジャングル大帝」から「新ジャングル大帝 進めレオ」に

切り替わったのを覚えてるんで当2作品はリアルタイムで観たと思いますね。

 

 

手塚先生は当作品は大自然と生きものとの絶えることのない闘争と征服と挫折の歴史が

テーマであると述べられてるし、その意図は僕たち子供にも伝わってたと思う。

 

しかし1990年には「黒人差別をなくす会」から本作は黒人描写をめぐって差別だとして

抗議を受ける問題が起きているし1994年に公開されたアメリカのディズニー社が

「ジャングル大帝」と酷似してる「ライオン・キング」というアニメ映画を公開し

ディズニーはジャングル大帝を観てないしパクったわけじゃないと言ってる。

 

もちろん黒人差別はしてはならないと思うが「チビクロサンボ」も

「ジャングルクロベエ」も「シャネルズ」の顔の黒塗りも決して

黒人差別じゃないと今でも思ってるし天下のディズニーが

見え透いた子供騙しの嘘をつく事も残念な事だと思っている。

 

 

昭和のテレビアニメシリーズ最終回の2作品目は1966年(昭和41年)12月から

放送が始まった横山光輝先生原作のアニメ「魔法使いサリー」にした。

 

「魔法使いサリー」はその後に続く東映の人気シリーズである

東映魔女っ娘シリーズの記念すべき第1作であり

日本のテレビアニメ初の少女を主人公とする作品でもある。

 

魔法使いサリーは魔法の国から人間界へやってきた

小学5年生の少女サリーとサリーが魔法使いである事を知らない

同級生たちが繰り広げる愛や友情の物語が描かれている。

 

人間界へとお忍びでやってきた魔法の国の王女サリーは

ひょんな事から人間の女の子よし子とすみれと出会い仲良くなる。

それをきっかけに魔法で家を建てて人間界へ定住し笑いあり

涙ありの様々な人間模様を繰り広げていくというお話だった。

 

 

魔法使いサリーは2年も続く大ヒット作になったが大ヒットした要因の一つに

当時人気があったアメリカのホームドラマ「奥さまは魔女」の影響があった。

魔法使いサリーは放送当初から17話までは白黒放送作品だったが

1967年4月3日放送の第18話からカラー作品になりました。

 

初代アニメ版ではサリーたちの足が円柱に近く足首が細くなく太ももと

足首の太さが同じで凹凸のほとんど見られないデザインの足となっている。

こうしたデザインは当時の漫画などではごく普通に見られた表現だったが

その影響でくびれのない足の事を当時「サリーちゃん足」と呼んでいた(笑)

ちなみに1989年放送の2代目アニメ版では「サリーちゃん足」ではなくなった。

 

魔法使いサリーは横山光輝先生原作の漫画が原作になってるが当作品の連載が

少女漫画「りぼん」で始まった時のタイトルは「魔法使いサニー」だったそうだ。

アニメ化にあたり東映が自動車のサニーを販売していた日産自動車に

許可をもらいに行ったところ家電メーカーソニーが自社製品と似た名前の

商標権を全部押さえていて日産もその許可を受けている事が判明したが

ソニーは許可を出さなかったためサリーという新名称が会議で決められたそうだ。

 

いや~、今になればサニーよりサリーの方がしっくりくるが天下のソニーが

競合相手でもない映画会社のアニメに許可を出さないなんてセコいね~(笑)

 

 

昭和のテレビアニメシリーズ最終回の大トリを飾るのは1965年(昭和40年)8月に

放送が始まった藤子不二雄先生原作の「オバケのQ太郎」にしました。

「オバケのQ太郎」は1971年(昭和46年)にシリーズ2になる「新オバケのQ太郎」

1985年(昭和60年)にもシリーズ3が放送されてますが個人的に

オバケのQ太郎と言えば断然初作に思い入れがありますね。

 

テレビアニメ「オバケのQ太郎」初作は全話白黒放送であったが

原作人気が高まる中での放送開始だったため初回から30%以上の高視聴率を記録し

石川進さんが歌う主題歌はミリオンセラーとなり1966年のレコード大賞童謡賞を受賞した。

「不二家の時間」枠の放送は前番組である円谷プロの特撮ドラマ「ウルトラQ」と合わせて

他局から「恐怖のQQタイム」と呼ばれる人気番組となり「オバQブーム」の一端を担った。

 

 

本作は放送枠移動まで不二家でが一社独占提供のスポンサーに付いたため

「オバケのQ太郎」および次作「パーマン」次々作「怪物くん」では

オープニングとエンディングで不二家のペコちゃんと共演している。

 

ちなみにアメリカ出身のオバケのドロンパはオバケのQ太郎初作から

登場しているがU子とO次郎は1971年の「新オバケのQ太郎」から登場した。

いや~、あの頃のテレビアニメは手塚治虫先生と藤子不二雄先生の作品が

原作のあるアニメでは群を抜いて多いし人気があったイメージですね~。

 

 

と、いう事で昭和のテレビアニメシリーズはこれで終わりという事になりますが

当時のテレビアニメは手描きのセル画とフィルム撮影のアナログ制作が基本であり

現代のデジタル作画とデジタル撮影が標準で色数や効果が格段に豊富になってCGとの

ハイブリッドでカメラワークやアクションもダイナミックになったリアルな映像と違い

手描きならではの線の揺れや色ムラがあって動きは少なめでもレイアウトやポーズで

魅せるスタイルは今では時代性を感じますが個人的にはそこが昭和の味だと思ってる。

 

当シリーズで取り上げた延べ11年の番組がリアルタイムで放送されてた時に

僕の世代は幼児から中学入学時という事でテレビアニメ草創期から全盛期が

テレビアニメ適齢期とリンクした事は今でもラッキーだったと思ってます。

長らくのご清聴ありがとうございました! ジャンジャン!!