カリフォルニア ブルースカイ | PRAINSのブログ

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1979年(昭和54年)にニューヨークでアルバム録音やライブを行い

順風満帆に思えたクールスだが1980年(昭和55年)に転機を迎える。

トリオレコードとの契約が切れたクールスはオファーがあったRVCと

ポリスターを天秤にかけて結局ポリスターに移籍した。

レコード会社を移籍するのはミュージシャンにはよくある事だが

何とこのタイミングでボーカルのピッピさんが脱退する事になったのだ。

 

<佐藤秀光・談>

 

ボーカリストのピッピが突然脱退することになった。

さすがにピッピの脱退はショックだった。

特に俺はピッピと一番仲が良かった。

だから奴が役者の仕事に興味があることも

ソロでやりたい気持ちがあることもわかっていた。

だからピッピの決断も応援したいと思って何も言わずに送り出した。

 

これはヒデミツさんの見解でありピッピさんが昔ご自身の

ブログに書き記した理由は全然違う見解の内容だった。

それぞれの立場で思いは違うのでどちらが正しいのかは

当事者じゃないとわからないし詮索するのはナンセンスだろう。

 

 

<ジェームス藤木・談>

 

5人編成になったクールスがポリスターから最初に出した

アルバムが1980年の「ビック・ディール」

先行シングル「カリフォルニア・ブルースカイ」は

移籍を期にクールスの黒という印象をカリフォルニアの

抜けるような青空みたいに塗り替えたくてイメージした曲。

 

もう1枚の先行シングル「TーBIRD CRUISING」はクールスの

ライブでは必ず演奏される人気のレパートリーになった。

アルバムリリース後にリリースしたシングル

「ラスト・ダンスはCHA・CHAで」はチャチャのリズムを

改めて世に広げようと思ったんだ。

この曲は踊りをメインに捉えてる曲だが

それがメンバーにどこまで伝わったものか・・・(笑)

 

 

個人的にはビック・ディールにも好きな曲はいっぱいある。

まだクールスのスタッフに過ぎなかった横山剣さんが

コーラスで参加してるジェームスさんのファルセットの曲である

「YOU'RE MY SWEATER GIRL(あの娘はセーターガール)」も

好きな曲だしフランクさんの「砂時計のように」も良い曲だ。

 

ビック・ディールが発売になったのは1980年7月だが

僕はその年の2月に高校を退学になりフラフラしてた頃だった。

僕は当時もクールスが好きでアルバム買って聴いてたが

正直に言うと、この頃僕の周りでは急激にクールス離れが進んでた。

 

僕なりの見解で言うと時代が暴走族に伴い急激にヤンキー色が強くなり

ヤンキーの象徴とされた横浜銀蝿がデビューし大人気になった事。

ドゥーワップのシャネルズもデビューし人気になった。

クールスはピッピさんが抜けたしメンバーも歳を重ねた。

あの時代はどんどん新しいカルチャーが出て来た時代で

大ブレイクしても数年で消えるなど流行のサイクルが早かった。

だからこそ刺激的で面白い時代だったとも言えるのだが。

 

 

ビック・ディールのアルバムの中で最も好きな曲は

ジェームスさんが歌う不朽の名曲バラード「CHANCE'S」

あの天下の山下達郎さんが

「この名曲の作詞も作曲もやって しかもこの声ときたもんだ!

自分はジェームス藤木から多大な影響を受けた」

とツイートした曲だ。

 

<ジェームス藤木・談>

 

CHANCE'Sのジェイクの泣きのサックスが実にいい。

この泣きのサックスは日本人プレイヤーには難しい。

フィリピン人のジェイクと俺の波長が音の中で溶け合って

物悲しいソロが奏でられている・・・

 

いや~、あの達郎さんを持って天才と言わしめたジェームスさん

クールスという狭い箱での作家活動じゃなければ

日本を代表する職業作家・シンガーソングライターに

なってたんじゃないかと本気で思いますね。

ジャンジャン!