赤いコンバース | PRAINSのブログ

PRAINSのブログ

昭和と趣味と日記のブログ
車・バイク・音楽・映画・ファッション・釣り・ゴルフ・・・
時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
よろしくお願いいたします!

 

僕は中学生の頃から「赤」と言う色が好きで中学生の時に

初めて買ったオーバーオールもチェックのシャツも

スイングトップもアポロキャップも全て赤だった。

高校生の時に初めて買ったブレザーも赤だったが、その頃から

自分のラッキーカラーは赤だと勝手に思い込んでいる。

 

先日還暦を迎えた僕はスタッフから赤いちゃんちゃんこを贈られた。

まあ、ちゃんちゃんこは普段着る事はないが(笑)還暦の誕生日には

大明神様や子供たちから赤いシャツやセーターを貰ったので

それでなくてもインナー、アウターとも赤い服がクローゼットに

沢山あるのに更に赤が増えて赤だらけになってしまった(笑)

 

しかし、よくよく考えたら現在赤い靴がワードロープにない。

あれだけ赤い服があるのだからコーディネートするにも

赤い靴が1足欲しいという事で思案の結果自分への

還暦のお祝いも兼ねて赤いコンバースを買った。

もちろんコンバースはチャックテイラーです。

 

よく覚えてないが赤いコンバースを買うのは

16歳だった高校1年の時以来じゃないかと思う。

これで普段のワードロープがグンと広がりましたね。

 

 

そう言えば赤い靴と言えば幼少期にNHKの「みんなのうた」などで

聞き覚えがある日本の童謡?唱歌?の「あかいくつ」を

昭和人間では知らない人は居ないと思うが僕は小学校の高学年くらいまで

「♪あかいくつ はいてた 女の子 異人さんにつれられて・・・」って

歌詞の「異人」さんを「曾祖父(ひいじいさん)」さんと思ってた。

 

両親を亡くした赤い靴履いてる女の子を曾祖父さんが

横浜の埠頭から連れて田舎に帰る歌だと思ってた(笑)

 

 

赤い靴繋がりで言えば1976年(昭和51年)に太田裕美さんが

リリースした「赤いハイヒール」が思い出深い。

 

前年の1975年(昭和50年)に大ヒットした

「木綿のハンカチーフ」ほどはヒットしなかったが

個人的には良い曲だと思ってた。

当時の太田裕美さんは人気があったが作詞・作曲の

松本隆・筒美京平さんに「これ以上の良い曲は書けない」と

言わしめた曲である。

 

 

個人的に他に赤い靴をモチーフにした曲で思い出深いのは

1983年(昭和58年)に松田聖子さんがリリースした

アルバム「ユートピア」に収録されてる

甲斐よしひろさんが作曲した「赤い靴のバレリーナ」。

聖子ちゃんファンだった僕はこの頃までギリギリ聖子ちゃん聴いてた。

 

てか、やっぱり赤い靴ってどうしても女性のイメージが強いんですね。

ジャンジャン!!