八神純子さん、渡辺真知子さんらと共に同時期に活躍した
女性シンガーソングライターに庄野真代さんが居る。
庄野真代さんも当時のニューミュージックを代表するアーティストの
一人である事は間違いないのだが彼女のデビューは記憶にない。
この頃にデビューした女性ニューミュージックアーティストの
デビュー曲である渡辺真知子さんの「迷い道」や、八神純子さんの
「想い出は美しすぎて」竹内まりやさんの「戻っておいで・私の時間」は
記憶にあるのだが庄野真代さんのデビュー曲「ジョーの肖像」って曲も
セカンドシングル「ピエロのように」って曲もYouTubeで
聴いてみたが初めて聴くような楽曲だった。
サードシングルはユーミンの「中央フリーウェイ」だったようだが
御本家ユーミンや、ハイファイセットのカバーは
知ってたが庄野真代さんが歌ってたイメージはまったくない。
庄野真代さんの存在を認識したのは1978年(昭和53年)4月に
リリースされた5曲目のシングル「飛んでイスタンブール」だった。
飛んでイスタンブールがリリースされた時僕は中学3年になったばかり。
この時代は日本人の海外旅行が身近になった時代とあって
やたら外国の国名がタイトルに入ってる曲がヒットした。
飛んでイスタンブールは筒美京平さん作曲の曲だが
元々は野口五郎さんに楽曲提供する曲だったらしい。
しかし仕上がり具合から筒美さんは、この曲は野口さんより
女性ヴォーカルの方が合ってると判断しお蔵入りになってたらしい。
飛んでイスタンブールは庄野真代さんの最大のヒット曲になったが
渡辺真知子さんや、八神純子さんと違い職業作家からの
楽曲提供だった事もあり当時僕は庄野真代さんが
シンガーソングライターだというイメージはなかった。
それは事務所の方針でアイドルとしてデビューした
竹内まりやさんにも言えたんですがね。
同年7月には同じ、ちあき哲也&筒美京平コンビの
「モンテカルロに乾杯」がリリースされスマッシュヒット。
見事に二匹目のドジョウを捕まえたという事なんだろう(笑)
飛んでイスタンブール、乾杯モンテカルロとヒット曲を連発した
庄野真代さんですが、この頃僕は庄野真代さんの曲はニューミュージックと
言うよりどちらかと言うと歌謡曲のニュアンスを強く感じていた。
この後しばらく庄野真代さんの活動は影を潜めた感じだった。
その存在を忘れかけてた1980年(昭和55年)に
ブラウン管から僕の琴線に触れる曲が聞こえて来た。
ちょうど僕が高校を退学になる2月の事だった。
それがポーラ化粧品80’春のキャンペーンソングに使用された
「 Hey Lady 優しくなれるかい」という曲だった。
ちなみに同曲は庄野真代さん自身が作詞作曲された曲。
この曲で僕は庄野真代さんがシンガーソングライターだと認識した。
1980年春の化粧品メーカーのCMソングには資生堂が竹内まりやさんの
「不思議なピーチパイ」カネボウが渡辺真知子さんさんの
「唇よ君を熱く語れ」が使用されヒットしたので3人には
名前のイニシャルに由来して「3M」という称号が与えられていた。
そんな経緯もあり個人的に庄野真代さん自身最大のヒット曲
飛んでイスタンブールよりHey Lady 優しくなれるかいの方が
強く印象に残ってるし今でも良い曲だと思いますね。
ジャンジャン!!