ボニーM | PRAINSのブログ

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1970年代終わり頃から1980年代初めにかけては

ディスコの定番となる曲が数多く生まれた時代でもあった。

 

そんな時代にディスコミュージックの世界的なブームを巻き起こした

アーティストは数あれど個人的にB級というイメージが拭えない

アーティストが少なからず居る事は確かだ。

その一つが今日取り上げる「ボニーM」というグループだ。

 

 

確かに当時のディスコミュージックを語る上でボニーMは外せない。

全盛期には先日取り上げたアース・ウインドウ・アンド・ファイヤーや

アバ、クィーン、ビージーズにも匹敵するほどのレコード売り上げを誇ったが

個人的には、どうもキワモノというイメージを持っていた。

 

ボニーMは西ドイツのミュージシャンであるフランク・ファリアンが

メンバーを集めた上で1975年から活動を始めたグループ。

1976年にリリースした「ダディー・クール」は

ドイツで1位、イギリスでもトップ10に入った。

 

しかし当時中学1年だった僕はまだディスコデビューに至っておらず

中3になってボニーMを知った時は彼らのビジュアルも知らず

キワモノというイメージはまだ持っていなかった。

 

 

セカンドシングル「サニー」に至っては1977年にデビューする

同じく西ドイツ出身のアラベスクがカバーしており

もしかしたらアラベスクバージョンの方を先に聴いた

可能性もあるが今聴いても良い曲だと思う。

 

ボニーMがB級と言われる理由として彼らが西ドイツ出身であるという事

世界最大の音楽大国アメリカで成功しなかった事

プロデューサーのフランク・ファリアンが事件を起こし悪評があった事

衣装やジャケット写真が奇抜なビジュアル・イメージだった事

フランク・ファリアンの露骨な商業主義については批判も多かったそうだ。

 

それでも1978年にリリースした「バビロンの河」はイギリスを含む

全ヨーロッパでナンバー・ワンを獲得するという快挙を成し遂げた。

 

 

1978年にリリースされたボニーM最大のヒット曲「怪僧ラスプーチン」

この頃僕はやっとボニーMという名前と楽曲、ビジュアルがリンクする。

アラビアンナイトの世界のような奇想天外なシルエットの衣装は

ある意味インパクトがあったし1980年前後に原宿ホコ天で活動した

竹の子族はこれらのボニーMなどの衣装を模したんじゃなかろうか?

 

個人的には黒人音楽はファンキーというイメージがあったが

ボニーMにはファンキーをまったく感じなかったのは

当時ディスコで流行ってたキャンディーポップを

商業主義に捉えるという戦略が透けて見えたからだと思う。

その辺りがアメリカで成功できなかった理由のような気がする。

 

個人的にはそんなイメージがあるボニーMだが

あの時代のディスコシーンでは欠かせないアーティストだったし

今彼らの曲を聴くと当時が思い出され懐かしく思いますね。

ジャンジャン!!