<ジェームス藤木・談>
1982年(昭和57年)俺とフランクにスポンサーが声を掛けてきて
「ワイルドダンサー」という小さなブティックを始めた。
俺は主にデザインを担当したんだ、フランクの役割はマスコットで
服を着て店にいるだけで地方からやってきたファンに
サインするのが彼の役目だった。
主力商品のひとつが、シャンタンの開襟シャツ。
テロンとした風合いのシルクの生地。
お洒落なやつによく好まれたんだけど当時は生地が不足してたので
わざわざ生地から作ってもらったんだ、凝ってるだろう。
手間暇かけて本物志向のオリジナルに拘り過ぎただけあって
商品が高額になり結局は商売としては成り立たなかった。
当時クールスの先輩連中が軒並み洋服屋を営んでいたから
後輩の横山剣は気を使ってたね。
アルバム「ロックンロールジャンキー」のジャケット写真は
チョッパーとシャウトとワイルドダンサーのアイテムを
苦労して全部身に着けてるからね(笑)
ヒョウ柄、好きだったんですよね~。
17歳の時に着ていたのはプリントのヒョウ柄だった。
あの頃の呉でフェイク生地のヒョウ柄なんて見た事なかった。
穿いてるヒョウ柄のパンツは当時女の子に仕立ててもらった物。
いや~ ダサイ、自分の事ながら穴があったら入りたいくらい恥ずかしい(笑)
こちらは白ヒョウ柄のフェイクファーのシャツ。
てか、20代の終わり頃だったと思うがブルーベルベッツのブランド
ゴールデンロビーのレーヨンフェイクファーのヒョウ柄のシャツを買った。
40代になってもう着る事ないと思い処分したような気がする。
まさか還暦を前にした歳にまたヒョウ柄が気になるとは思いもしなかった。
で、ブルーベルベッツのカキちゃんに問い合わすと現在では
レーヨンのヒョウ柄の生地が品薄で手に入らないらしい。
てか、いつからかヒョウ柄とは言わず今ではレオパード柄と言うらしい。
ワイルドダンサーのレオパード柄のイタリアンカラーシャツが
たまたまネットのお勧めで出て来てついつい買ってしまった。
このアラ還のオッサンはいったいどこに向かってるのか?
迷走し始めたか血迷ったか?(笑) ジャンジャン!!