コーラ戦争 | PRAINSのブログ

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昭和40年代を代表する炭酸飲料水の代表格と言えば

個人的にはラムネとコーラだと思うのだがコーラの

二大ブランドがコカ・コーラとペプシ・コーラだった。

地域的な事もあったのか、僕の育った田舎では

圧倒的にコカコーラの方がポピュラーで馴染み深いが

実はペプシコーラが1956年(昭和31年)、コカコーラが翌年の

1957年(昭和32年)日本参入という事で僅かだがペプシの方が早いそうだ。

 

果汁風味のファンタとミリンダでもコカコーラのファンタの方が馴染み深い。

テレビCMの「ファンタスティック!」って言葉も流行りましたしね。

無色透明炭酸入り清涼飲料水のスプライトと7UPも同様だ。

まあ、このタイプはキリンレモンや三ツ矢サイダーなど

国産メーカーの物もメジャーでしたがね。

 

両社は創業当時からライバルとして露骨な競争を繰り広げていた。

同じような清涼飲料水のラインナップを揃え

世界各地で激しいマーケティング競争を繰り広げた。

 

日本では1965年(昭和40年)に缶入りコーラを先行させたコカコーラが

圧倒的なトップシェアを長く占めていたが、1967年(昭和42年)に

ペプシも缶入りコーラの販売をスタートし追撃態勢に入る。

コカコーラは1975年(昭和50年)頃に同社の各種商品名ロゴ入り

ヨーヨーを販売してヨーヨーブームを起こしヨーヨーが流行した。

僕もご多分に漏れずヨーヨーブームに乗った一人です(笑)

 

その後1980年代から90年代にかけて、お互いを標的とした

テレビCMおよび販売宣伝の比較広告活動が激しく繰り広げられた。

コカコーラのCMに永ちゃんが出たのは衝撃的だった。

 

 

しかし、1987年(昭和62年)にペプシコーラがマイケルジャクソンの

来日コンサートに協賛、1991年(平成3年)にMCハマーを

CMに起用するなどして健闘、1996年(平成8年)のペプシマン使った

一連のキャンペーンに成功し、認知度を高めた。

 

 

いや~、露骨なCMですな~(笑)

両社がそんなにバチバチ火花散らしてたなんて

気にもしなかったな~(笑)

ジャンジャン!!