♪サンドバックに浮かんで消える 憎いあんちくしょうの 顔めがけ
たたけ!!たたけ!!たたけ!・・・
1972年(昭和47年)頃、実家の裏山に創設された特設リングにおける
山下家タイトルマッチにてリングサイドで鼓舞したトレーナー「丹下段平」の
声援も虚しく保育園児の挑戦者である弟に敗戦を期した小学校3年生の僕(笑)
翌日から丹下段平の厳しい教えの元、過酷なトレーニングが始まった。
あしたのために(その1) =ジャブ=
攻撃の突破口をひらくため敵の出足をとめるため
左パンチをこきざみに打つこと。
ひじを左わきの下からはなさぬ心がまえで
やや内角をねらい えぐりこむように打つべし。
あしたのために(その2) =右ストレート=
左ジャブで敵の体勢をくずし 突破口を見いだせば
右ストレートを打つべし 、これ 拳闘の攻撃における基本なり。
右ストレートは右こぶしに全体重をのせ
まっすぐ 目標をぶちぬくように打つべし。
あしたのために(その3) =クロス・カウンター=
”打たせて打つ 肉を切らせて骨を絶つ 相打ちの必殺パンチ”
相手が全力で打ち込んでくるその腕へ
十字型にクロスの交差をさせ 同時に打つべし。
あしたのジョー / 尾藤イサオ 1970
作詞:寺山修司 作曲:八木正生
と、いう事だが親父がボクシング好きだったからか息子を強くしたかったのか
幼少の頃からボクシンググローブを買い与えられ、実家の裏山に
特設リングまで作ってボクシングの真似事をよくやらされた。
丸大ハムのCM「ワンパクでもいい、たくましく育って欲しい」という
事だったのか(笑)家にはサンドバッグまで設置されてましたからね~。
で、対戦相手は決まって4歳下の弟なのだが子供の頃の4歳という歳の差は大きく
そんなに体が大きくもなかった僕でも負けるはずもなく、いつもボコボコ。
それで弟が泣くもんだから親父が、わざと負けてやれと(笑)
まあ、その甲斐あってか中学の3年間で
25cmも身長が伸び180cm越えになり非行に走った僕は
170cmにも満たない親父とタイマン張っても負けないようになった。
親父にとっては本末転倒、身から出た錆だったようだ(笑)
ジャンジャン!!