図工の時間と電気工作クラブ | PRAINSのブログ

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1970年(昭和45年)4月に長浜小学校に入学し

1976年(昭和51年)3月に卒業した僕だが

国語、算数、理科、社会の所謂必修科目は苦手でもなかったが

体育、音楽、家庭科、図工の選択科目の方が好きだった

今になれば最低限の必修科目は社会生活を送る上で必要だとは思うが

個人的には今の趣味の分野は殆どが選択科目の中にあると感じる

まあ「好き」と言うのと「得意」というのはリンクするわけではないが

「好きこそものの上手なれ」という言葉もありますからね~

 

幼少の頃から絵を描くのが好きだった

そんなに上手いわけでもないが小学校1年生の時に描いた絵が

何故か中国新聞社主催の絵画コンテストで金賞になって

賞状とメダルを貰い母に凄く褒められたんですよね

親バカとはよく言ったもので、それから母は絵の先生を見つけ出し

僕は絵を習いに行かされるのだが才能が開花する事はなかった(笑)

決して下手ではなかったが僕より上手い奴がクラスに数人居ましたね

それでも学校の図工の時間は大好きだった

絵を描いたり彫刻をして作品を完成させる事でテンションが上がった

それがプラモデル作りにも繋がったし今の仕事にも通じてるんだと思う

 

高学年になるとクラブ活動の授業が始まったが僕は図工好きが高じて

「電気工作クラブ」に入部してラジオやインターホンなどを作るようになる

当時は長浜スポーツ少年団に入っておりバレーボールもやってたし

放課後には仲間とソフトボールや草野球にも興じたが

学校のクラブはソフトボールクラブには入らず電気工作クラブ

休みの日には当時呉市繫華街にあったアサヒ電気という家電スーパーに

基盤、抵抗、コイル、コンデンサー、ダイオードなどの部品を買いに行って

専門書や設計図を見ながらハンダコテを使ってせっせと制作したもんだ

自分で制作した電気製品が完成した時の喜びはひとしおだった

 

そのラジオでコッキーポップやサテライトNo1、ジェットストリーム

オールナイトニッポンなどを聴いていた昭和の時代

アナログだったが、いい時代だったと思いますね

ジャンジャン!!