写真上は昭和20年代中頃の本通7丁目付近
写真下は昭和30年の中通6丁目付近
個人的にはパチンコ屋の新装開店の宣伝が多かったような気がするが
昭和40年代の呉ではまだチンドン屋が練り歩く風景をよく目にしたものだ
幼い頃にチンドン太鼓や笛の音を鳴らしながら長浜峠を
上がって来るチンドン屋の一行を目にした事を今でもよく覚えている
チンドン屋とはチンドン太鼓と呼ばれる楽器を「チンチン・ドンドン・チンドンドン」と鳴らすなどして
人目を集め、その地域の商品や店舗などの宣伝を行う日本の請負広告業の一類型である
「馬鹿、カバ、チンドン屋、おまえの母ちゃん出ベソ・・・」
昭和の子供たちの定番の悪口言葉だが当時チンドン屋という言葉は
揶揄されたり、馬鹿にされるという意味合いでよく用いられた
「土方ー土木作業員」「キチガイー精神異常者」「乞食ー住所不定者」
「土人ー黒人」は今では差別用語とされるようだが
チンドン屋はれっきとした職業であり差別用語でも何でもないのだが・・・
チンドン屋がよく演奏する曲で個人的に思い出深い曲があるのだが
メロディーはわかるのだがタイトルが皆目見当がつかない (笑)
ジャンジャン!!