CAROOLS 70’s (9) Hello!Good-bye | PRAINSのブログ

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ティーンエイジの頃擦り切れるほど聴いたロックンロールバンド「CAROL」「COOLS」
その二つのバンド名を掛け合わせて僕が作った「CAROOLS」という造語

そんなCAROL&COOLSの70年代の楽曲にスポットを当てて当時の世相や
グループ・メンバーのエピソード、僕の思い出を書き記そうというシリーズ「CAROOLS 70’s」

今回はCOOLS編として舘ひろしさんが在籍した時代の最後のアルバムになった
1977年4月21日にリリースされた「Hello!Good-bye」を掘り下げてみたい

このアルバムは僕にとってとても思い出深いアルバムだ
中学2年生だった1977年に初めて買ったクールスのアルバムが
この写真のHello!Good-byeだった

いつ頃買ったのかはハッキリ覚えていないが同年6月にリリースされてるロカビリークラブの
ファーストアルバムがリリースされる前だったような気がするので晩春頃だったんだと思う

それまで主に歌謡曲やフォークを聴いていた僕はクールスのロックンロールに刺激を受けたし
アメリカンオールディーズナンバーを最初に知ったのもこのアルバムだった

奇しくも最初に聴いたクールスのアルバムが舘さん脱退のアルバムだったという事だが
この時から僕の脳は「ロックンロール=バイク=リーゼント」の図式がインプットされたのだった

クールスのロックンロールと資生堂MG-5のポマードの香りは
これから始まる13歳の少年の青い時代の予感を感じさせた


CAROOLS 70’sバックナンバー http://blogs.yahoo.co.jp/prains237/folder/523083.html


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Hello!Good-bye / COOLS 1977・4・21 キングレコード


Side 1
1、ロック・アラウンド・ザ・ロック 2、のっぽのサリー 3、行ってしまったあの娘
4、ハートブレイク・ホテル 5、恋の大穴 6、シンデレラ 7、アット・ザ・ホップ

8、ルシール 9、ロックン・ロール・タイム 10、ひろしメモリー(BGM セカンド・イズ・ユー)
11、ひろしメモリー(リトル・ダーリン) 12、紫のハイウェイ

Side 2

1、甘い暴力 2、リメンバー 3、バースデー 4、ルイジアナ・ママ 5、ジョニー・ビー・グッド
6、恋のテディーボーイ 7、恋のロックン・ロール・ウェイ 8、パティ・マイ・ラブ
9、カモン 10、明日に向かって 11、君に夢中さ 12、今は一人で


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クールスのリーダーでありメインボーカルだった舘ひろしさんがクールス在籍中の
最後のアルバムになった名古屋や東京でのライブ音源を元に制作された「ハロー!グッバイ」

そのコンサートは当時クールスの解散コンサートと言われたが実際にはクールスは
その後も活動を続けているので、舘ひろしさんの脱退コンサートと見る方が正しい

その辺りについて当時クールスのサイドボーカルだったムラさんは
雑誌のインタビューでこう語っておられます


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クールスは一切解散はしていない、あの時は舘が脱退しただけなのよ
でも、解散コンサートにしないとキングレコードとしてはおいしくないから
勝手にキングが解散コンサートにしちゃったのよ・・・


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1974年12月東京原宿、リーゼントヘアーに革ジャンパー
そしてサングラスという出で立ちの若者たちがいた

巨大なオートバイを乗り回していた17人の若者たち
そんな中からロックンローラーCOOLSは生まれた

全身で感じられる音、若さをぶつけられる歌、これこそCOOLSが目指す音楽だった
彼らは言う「ロックンロールこそ俺たちの青春をぶつけられる音楽」だと

オートバイの爆音のようにCOOLSの歌は若者たちをひきつけ
彼らは一体となって熱い血潮をたぎらした

そして今・・・


2枚組のアルバムであるハローグッバイの1枚目の冒頭はこんなナレーションで始まる
オールディーズナンバーやクールスの楽曲が勢いのある荒々しい演奏で続く

そして10曲目、五大洋光のペンネームで永ちゃんが楽曲提供した
「セカンド・イズ・ユー」のバラードに乗せて脱退するさんが語り始める




セカンド・イズ・ユー/COOLS 1975
作詞・たちひろし 作曲五大洋光

いつも いっしょに いたいのと あの娘は 言うけど 困らせないで
First is Machine and cecond is you・・・ 


今からちょうど・・・ いや、ちょうどって事もないか、2年前・・・ 原宿で12月13日の金曜日の
夜中の1時にみんなで小さな店に集まってクールスの結成式をやったんだよね

みんな、とにかく俺たちが一番カッコいいなんて思って
常にカッコいいチームを作る事ばっかり考えてて・・・ いい時代だったね・・・

それから、結成して2~3か月経っていろんな所に出入りしてるうちに
軒並みいろんな店から出入り禁止喰らっちゃって・・・

でもホント俺はあの時は生まれて初めて、ああ言う種類の悔しいって思ったのは・・・
それでとにかく「このヤロー、有名になってやろう」なんて思って・・・

で、ある時突然原宿の喫茶店にキングの某ディレクターが入って来て
「レコード出せ!」って言うんで「じゃあ、一応・・・」ってんでナメた気持ちでやってたね

(ここでオーディションという形で初めて録音したリトル・ダーリンが流れる)

でもいきがってたのだけは直んなかったね、みんなトッポかったよ、ホントに・・・ 

でも、こうやってクールス辞めてみて、やっぱり忘れられないのは、あの寒い夜の
みんなで集まった12月13日の事だと思うんだ・・・

でも何つ~の、たまに一人になって横浜まで明け方飛ばして行った事もあったし
太陽が昇る前に道路が紫色に見えるんだよね、忘れらんねーよ・・・





紫のハイウェイ/COOLS 1975
作詞・たちひろし 作曲・五大洋光

夜明け前の 紫の Highーway オレの心を 今 走らせ
Oh my baby yes my lover 会いにゆくんだ すぐに
I Love you with my heart 星さえ うすれて・・・

(中野サンプラザ フルバージョン映像 https://youtu.be/Z2zr94MJK40


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舘さん脱退の経緯の真相は僕にはわからないが、クールス関連の書籍やインタビュー記事
更には元メンバーのブログを読むと、前回のCAROOLSクールス編でも触れたように
舘さんと他のメンバーのボタンの掛け違いから生じた対立であろうと思われる

舘さんは雑誌のインタビューでこんな風に語っておられます

俺は歌の才能ないのも、芝居の才能ないのも自分で知ってたから
一生懸命パフォーマンスする事に(最初は)興味がなかった

人気なんか長く持つわけないと思ってたから、バンドで少しお金もらったら
引越し屋をやるとか、コーヒーショップ付のガソリンスタンドを皆でやりたいとか
(リーダーとして)そういう事を考えてた・・・

早く引退してメンバーをまとめて、皆を食わせていくかを考えてた
バンドCOOLSなんてどうでもよかった

何でもいいから皆でやれる場所、皆でお金を稼げる場所が
(タイミング的に)バンドCOOLSだった


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このカフェレーサー、ずーっと舘さんのZⅡだと思い込んでたけどよく見るとマッハじゃない!

バイクに乗ってるのは舘さんだと思うけど、クールスでマッハに乗ってたのはフランクさんだから
写真のH2はたぶんフランクさんの愛車だと思われますね

そっか~ だから以前フランクさんとマッハの話をした時に
フランクさんがハローグッバイのアルバムの・・・って言ってたんだ

話を戻します

しかし、そんな舘さんの気持ちはメンバーには伝わらず、映画「暴力教室」への
出演に端を発し不協和音が流れ始め、次作「男組 少年刑務所」への出演で決裂した

もちろん理由はそれだけではないとは思うのだが・・・

舘さん脱退の事を現クールスリーダーの佐藤秀光さんは
著書「ハングリー・ゴット」の中でこう語っておられます


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1977年4月に舘ひろしが脱退したが、俺たちからすればそれは自然の成り行きだった

クールスでメジャーデビューしたあとでも、舘が役者でやっていきたいという気持ちを
持っているのは俺たちも何となく感じていた

実際にクールスのメンバーが出演した「暴力教室」や「男組 少年刑務所」でも
奴だけは演技に対して飛び抜けた情熱を持っているのがわかった

舘の心の中で役者への興味が溢れてきた時に、クールスのボーカリストとの
掛け持ちは不可能になっていったんだろう

それがわかっているから俺たちメンバーはリーダーの脱退を黙って見送ったんだ


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実際に元メンバーのベーシスト、大久保喜市さんは著書「ストレンジ・ブルー」の中で
やはり秀光さんと同じように舘さんは主役を演じた2本の映画出演時は
バンドをやってる時と気の入れ方が違い全力で演技してたと語っている

更には、それら一連の流れにピッピさんとジェームスさんは不満をぶちまけ
「男組 少年刑務所」への出演を拒否している

しかしピッピさんは2008年の舘さんとの雑誌での共同インタビューで

大将(舘さん)はとにかく責任感強いからね
メンバーが(当時)何かしでかしても全部一人で責任とって言わないからね
俺は後から聞いて「本当にゴメン!」っていうのは結構あるよ

と、語っておられる

こうして各メンバーの発言を聞くと少々話がチグハグな部分もある
表には出てないし出せない事もあるのかも知れないが
やはりどちらが、良い悪いではなくボタンの掛け違いのような気がしますがね~

てか、もともと皆さん個性が強い「不良」ですから・・・! 笑!

そして1977年初頭、喜市さんの著書では原宿の「パレ・フランス」
ピッピさんのブログでは明治神宮前駅の近くのレストラン「コロンパン」で
(どちらが正しいのかはわかりませんが 笑)元キャロルのスタッフのM氏立ち合いの元
舘さん脱退の意向が自らメンバーに伝えられたそうだ


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(大久保喜市 ストレンジ・ブルーより)


「俺、クールス辞めるよ」 舘ひろしが言った、ピーンと空気が張り詰めた
誰もがその言葉を察していたが、実際耳にすると動揺を感じた

「俺はバイクのグループ作って、バンドを始め、俺らを世の中に認めさせようと
やってきたつもりだけど、もうこれ以上お前らとはやっていけないよ」

メンバーは黙って話を聞いた

「俺らってデビューする前はどこに行っても白い目で見られ
挙句の果てにはレオンまで出入り禁止にされて嫌な思いばかりしてきただろ

俺は悔しかった、だから世の中に俺らを認めさせようとしたのさ
これが俺のやり方だし、信用できないなら一緒にやるわけないだろ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「俺はバンドを辞める、後はお前らで好きにすればいい
今日集まってもらったのはその事を伝えたかったからだ

お前らがバンドを続けるのか解散するのかは知らないが
今後どうするか決めたら事務所に連絡をくれ」

舘ひろしはそれだけ言うと席を立って店を出て行った、沈黙が流れた・・・


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↑の「・・・・・・・・・・・・」は喜市さん的には誰も舘さんに対して面と向かって反論しない
状況という沈黙を表現されているのだと思うがピッピさんがご自身のブログに
綴っておられる状況はちょっとニュアンスが違う、ピッピさんは

「何言ってんだよ!俺たちはバンドやりたくて集まったんじゃないんだよ!
頭が辞めるって言ってるんなら、スパッと解散した方がカッコイイよ、それがCOOLSだよ!」

皆んなは、と見ると下向いたまま誰一人口を開こうとしないで黙り込んでる
沈黙のまま時は過ぎて行き、僅かな時間で解散しその場を後にしたと綴られている

ピッピさんは映画「男組 少年刑務所」の出演に対し不満をぶちまけ拒否し実際に出ていない
しかし当時のクールスを描いた遠藤夏樹さんの著書「原宿・ブルー・スカイ・ヘブン」では
ピッピさんは当時、舘さん寄りの立場で描かれている

この辺りのピッピさんの当時の本当の立ち位置はグレーゾーンだな~ 笑!
ま、この辺りが前記した「後から聞いて本当にゴメン!っていうのは結構あるよ」
って事なんだろうか?


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実際に遠藤夏樹さんの著書には神宮前にあったクールスの事務所グリースブラザース
舘さんは一人で泊まり込み経理の雑務をしたり、交渉事に出向いたりと粉骨砕身していたと
当時マネージャーだったサムさんが語っていたとの記述がある

映画出演に際し気合いを入れていたのもリーダーとしてや、主役としての
責任感からだったのかも知れないしクールスとして金を稼ぐチャンスを
次に繋げ広げるための舘さんのやり方だったのかも知れない

しかし給料をもらう立場のメンバーはリーダーだけが
オイシイ事をしているように見えたのかも知れない

「何で舘ばかりが主役なんだ?」「やはり主役はギャラがいいんだろう!」
「自分を売り込んでる・・・」

こんな妬み心が出ても不思議じゃないし、世の中こんな話は山ほどある

ここで舘さんも一人で背負い組むんじゃなく収支もオープンにして
メンバーとコミニュケーションを取ってたら違ってたかもね~

喜市さんの著書ではメンバーは当時地方公演が終わったらファンの女の子を
ホテルの部屋にお持ち帰りしていたという記述がある

しかし何かトラブルがあった時にリーダーの自分に非があったら困るから
舘さんはそんな時はメンバーとは行動を共にしなかったらしい

まあ舘さんは外国人女性好きだったそうだから他では遊んでもいたんでしょうけどね~
そりゃそうでしょうよ、元は不良なんですから 笑!


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さて、話をアルバム「Hello!Good-bye」に戻そう

2枚組のアルバム、ハローグッバイは2枚目のA面で
クールス7人としての最後の演奏になります

最後の曲を歌う前に舘さんのMCが入ります

と、いうわけでクールスの7人での最後のステージも後1曲になりました

いっぱい・・・ いっぱい色んな事があって
いっぱい色んな事を今日話そうと思って来たんだけど

何にも言えないよ俺・・・

最後に俺の一番好きな歌、聞いてください 恋のテディーボーイ




恋のテディーボーイ/COOLS 1976
作詞・たちひろし 作曲・大木トオル

赤い赤い バラを手もとに シャレたシャレた リボンでつつみ
いきな ダークスーツとブーツで そっとむかえに 行こうか
内気なお前の 心射止めた Oh Teddy BOY・・・


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皆さんもよくご存じのように、このアルバムを最後に舘さんはキングレコードに残りソロになり
クールスはクールス ロカビリークラブとしてトリオレコードに移籍して6人で再出発を図ります

しかし実際にはグループ名を改名したんじゃないとムラさんは語っています

本当はクールスでやりたかったんだけどキングレコードから名前を使うなと・・・
だからロカビリークラブってのは名乗ってないのよ本来は

本当は法的には何もなかったんだよね、(キングが)言っただけで
解散したのに何でやってんのかとか、クールスは一切解散してないわけだから・・・


キングに残った舘さんは同年ソロデビューアルバムをリリースしますが
2枚組アルバム、ハローグッバイの2枚目のB面には舘さんのオリジナルソロ曲が
舘ひろしとセクシー・ダイナマイツ名義で6曲挿入されています

そんな中から「ロックンロールウェイ」という曲をお届けして今日は終わりにしようと思います
次回「CAROOLS 70’s」いつになるかわかりませんがこうご期待! ジャンジャン!!




恋のロックンロールウェイ/舘ひろしとセクシー・ダイナマイツ  1977
作詞・たちひろし 作曲・田上正和

真っ赤なオープン飛ばしてルイジアナ 白いスーツのポケットにダイヤモンドリング
涙で震えた声の ゆうべのアイツの電話に 初めて感じた愛なんだぜ
飛ばせRock’n Roll way・・・


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