My Music Travel 42 女心の物語 | PRAINSのブログ

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さて、僕の思い入れがある昭和の楽曲やアーティストにスポットを当て
深く掘り下げ当時の世相や思い出を語るシリーズ「My Music Travel」

今回はちょっと趣向を変えて女性が女心を歌った僕が好きな曲を
僕流に物語風にしてお届けしようと思います



いつの時代も男と女には物語がある
その物語は時に幸せな喜劇にもなり、時に不幸な悲劇にもなる

1981年(昭和56年)
物語の主人公の彼女には結婚を前提に長く付き合ってた彼がいた

自身の花嫁姿を夢見て幸せに過ごしていた彼女だが
ある日突然彼女は奈落の底に突き落とされた

彼に他に好きな人が出来てしまい別れを告げられた彼女
それでも彼女は彼に未練があった

そんな彼女にある日彼から自身の結婚式の招待状が届く、戸惑う彼女
しかし彼女は彼の選んだ新婦の顔を見たくて結婚式に参列する事を決意する・・・





ウエディングベル/シュガー 1981
作詞・作曲 古田喜昭

ウエディング・ベル からかわないでよウエディング・ベル
本気だったのよウエディング・ベル ウエディング・ベル

オルガンの音が静かに流れて「始まる 始まる」
お嫁さんが私の横を過ぎる「ドレスがきれい」

この人ねあなたの愛した人は「初めて見たわ」
私の方がちょっときれいみたい「ずっとずっと きれいみたい」

そうよあなたと腕を組んで祭壇に上がる夢を見ていた私を
なぜなの教会のいちばん後の席に ひとりぼっちで座らせておいて
二人の幸せ見せるなんてひと言 言ってもいいかな くたばっちまえ アーメン

愛の誓いは耳をふさいでるの 指輪の交換は瞳をとじてるの
神父さんのやわらかな通る声が 遠くに聞こえて ふらつきそうだわ

そうよ あなたから指輪を受ける日を鏡に向い夢見ていたわ
素顔の自分に言ったの 幸せよって お化粧する娘はきらいだなんて
あの優しい瞳はなんだったの もいちど言ってもいいかな くたばっちまえ アーメン

祝福の拍手の輪につつまれて「私はしないの」
どんどん あなたが近づいてくるわ「私はここよ」

お嫁さんの瞳に喜びの涙「きれいな涙」
悲しい涙にならなきゃいいけど「そうねならなきゃいいけど」

そうよもうすぐあなたは私を見つけ無邪気に微笑んでみせるでしょう
そしたら こんなふうに言うのよ お久しぶりね おめでとう とても素敵な人ね
どうもありがとう招待状を 私のお祝いの言葉よ くたばっちまえ アーメン・・・


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1981年にデビューした笠松美樹、長沢久美子、毛利公子の女性3人で結成した
バンド・コーラスグループ「シュガー」のデビュー曲「ウエディングベル」は大ヒットした

元恋人が他の女性と結婚する事になり、その式場である教会に招待された
女性の心情を綴る歌詞になっている

新郎新婦への怒りを込めた「くたばっちまえアーメン」に代表される
皮肉たっぷりの歌詞と、3人の美しく、かわいらしいコーラスのギャップが受けて
レコードが約70万枚を売り上げる大ヒットとなった

僕はこの記事を書くまで知らなかったのだが「くたばっちまえアーメン」という歌詞が
当時日本のキリスト教の関係者から「キリスト教の冒涜」と非難されたんだそうだ

1981年と言えば僕は美容学校に行ってた年だが
特にシュガーのファンではなかったがこの曲は好きだった

当時僕は運転免許証取り消し中だったが尾崎さんの車で初めて聴いたような気がする
なぜか「オレたちひょうきん族」が思い出されるのだが僕の記憶では
この曲を聴きながら尾崎の車でマルちゃんの家に行き
「ひょうきん族」を見たような記憶がある 笑!

てか、この曲の歌詞にあるような事は現実的にあり得るかどうかは賛否あると思うが
実は僕的には男女逆バージョンではあるが何度か実際に経験してる 

呉は狭いですからな~
ま、僕は心が広いから「くたばっちまえアーメン」なんて思わなかったし
心から「お幸せに!」って思いましたけどね!笑!


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彼にフラれ残酷にも彼の結婚式にまで招待され「くたばっちまえアーメン」とまで思った
彼女だったが彼の事がどうしても忘れられない

時は過ぎ1982年7月になっていた

ー もし本当にこの世に運命の女神様がいるのなら・・・

彼の不幸を願うのは少し心苦しくもあったが、彼女は決心する・・・





待つわ/あみん 1982 
作詞・作曲 岡村孝子

かわいいふりしてあの子 わりとやるもんだねと
言われ続けたあのころ 生きるのがつらかった

行ったり来たり すれ違い あなたと私の恋
いつかどこかで 結ばれるってことは 永遠の夢
 
青く広いこの空 誰のものでもないわ 風にひとひらの雲 流して流されて
私待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが ふり向いてくれなくても
待つわ いつまでも待つわ 他の誰かに あなたがふられる日まで

悲しいくらいに私 いつもあなたの前では
おどけて見せる道化者 涙なんていらない
 
わかりきってる強がり 平気で言ってみても
一人ぼっちの時には そっと涙を流す

誰も私の心 見ぬくことはできない だけどあなたにだけは わかってほしかった
私待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが ふり向いてくれなくても
待つわ いつまでも待つわ せめてあなたを みつめていられるのなら

待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが ふり向いてくれなくても
待つわ いつまでも待つわ 他の誰かに あなたがふられる日まで



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1982年にデビューした岡村孝子加藤晴子の現役女子大生デュオ「あみん」のデビュー曲
「待つわ」は1982年のオリコン第1位を獲得するなど大ヒットとなった

しかし「あみん」はその後3曲シングルをリリースして翌年の1983年には活動休止した
他のアーティストからの提供曲も歌わせたいというレコード会社側の意向と
できるだけ多く自作曲を歌いたいという岡村さんの意向が衝突

更には加藤さんが「芸能界は私のいる場所ではない」と活動を辞める意思を示したのだ
あみん休止後、岡村さんはシンガーソングライターとしてソロ活動を開始したが
岡村さんは「待つわ」をソロで歌う事は一度もなかったそうだ

岡村さんは相手を変えて、あみんとしての活動を続行してはどうかと話があっても
加藤さん以外とやる事は全く考えていなかったらしい

2002年の岡村さん歌手デビュー20周年記念コンサート・ツアー最終日に
加藤さんがスペシャル・ゲストとして登場しおよそ20年ぶりに二人で「待つわ」を披露したそうだ
そして2007年に岡村さんに誘われ加藤さんが復帰してあみんは再活動を始めたそうだ

1982年と言えば僕はミヤニシに就職した年だ
シュガー同様僕は特にあみんのファンではなかったが大ヒットした「待つわ」は
いい曲だと思ったし岡村孝子さんは可愛らしいと思ってましたね~ 笑!


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彼女が「待つわ」と決めてから10年の歳月が流れた

そんなある日、彼女は運命の女神に導かれるように彼と偶然再会する

何と彼は奥さんと離婚して独り身になっていたのである
待った甲斐があったとばかりに(笑)運命の女神に感謝する彼女

そして、彼女は彼とついに結ばれる

彼との結婚式が間近に迫ったある日、彼女は彼にこう切り出した・・・





部屋とYシャツと私/平松愛理 1992
作詞・作曲 平松愛里

お願いがあるのよ あなたの苗字になる私大事に思うならば ちゃんと聞いてほしい
飲みすぎて帰っても 3日酔いまでは許すけど4日目 つぶれた夜 恐れて実家に帰らないで

部屋とYシャツと私 愛するあなたのため毎日磨いていたいから
時々服を買ってね愛するあなたのため きれいでいさせて

いつわらないでいて 女の勘は鋭いものあなたは嘘つくとき 右の眉が上がる
あなた浮気したら うちでの食事に気をつけて私は知恵をしぼって 毒入りスープで一緒にいこう

部屋とYシャツと私 愛するあなたのため毎日磨いていたいから
友達の誘うパーティー愛するあなたのため おしゃれに行かせて

大地をはうよな あなたのいびきも歯ぎしりももう暗闇に独りじゃないと 安心できて好き
だけど もし寝言で 他の娘の名を呼ばぬように 気に入った女の子は 私と同じ名前で呼んで

ロマンスグレーになって 冒険の人生突然 選びたくなったら
最初に相談してね私はあなたとなら どこでも大丈夫

もし私が先立てば オレも死ぬと云ってね私はその言葉を胸に
天国へと旅立つわあなたの右の眉 看とどけたあとで

部屋とYシャツと私 愛するあなたのため毎日磨いていたいから
人生の記念日には君は綺麗といって その気でいさせて


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シンガーソングライターである平松愛里さんの8枚目のシングル
1992年にリリースされた「部屋とTシャツと私」

1992年と言えば平成4年であり昭和の楽曲にスポットを当てるという
「My Music Travel」としてはコンセプトに反するんですがね 笑!

元々この曲は平松さんの3枚目のアルバム「MY DEAR」に収録されていた曲をシングルカット
1979年「さだまさし」さんがリリースして大ヒットになった
「関白宣言」へのアンサー・ソングとしても話題になった

関白宣言から13年経つと日本の男と女の価値観も大きく様変わりしたという事がよくわかる
昭和の時代は「女は黙って俺に付いて来い」って時代だったのに
平成の世になると「男だったらこれくらいの事はしてよね」って時代になった

肉食系男子は草食系になり、草食系女子が肉食系へと変貌していったという事でしょうな~


この曲のヒットは記憶にも新しいような気がするが平成4年と言ったら28歳の時か・・・
当時僕はすでに2児の父親だったが、まだまだ親としての自覚も持たず
バイクにスキーにゴルフに釣りにと、独身気分で遊びまわってたな~・・・ 笑!


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こうして夢にまで見た彼との結婚が叶った彼女だったが
彼女たち夫婦はその後どうなったのだろう?

彼は浮気をして毒入りスープを飲まされたのか?

結婚前は、その時は一緒に逝こうと彼女は言ってたが
亡くなった彼の保険金詐欺と殺人で彼女は逮捕されたかも知れない

ロマンスグレーになって脱サラして冒険の人生を選んだ彼に
愛想を尽かして離婚したかも知れない

更には大病を患った彼女の方が先立ったのかも知れないが
その時彼は「オレも死ぬ」と言ったのか?

もし言ったとしたら彼の右眉は上がったのだろうか? 笑!

それは誰にもわからない・・・ 笑! ジャンジャン!!


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