My Music Travel  30 ぶっちぎりRock’n Roll | PRAINSのブログ

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時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
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横須賀Baby/横浜銀蝿 1980 作詞・作曲 横浜銀蝿
 
 
今夜はお前と Baby 最後の夜になりそう 
空けちまったボトルをまくらに 瞳をとじれば 楽しかった 思い出だけが漂う
 
今夜はお前と Baby 最後の夜になりそう 
果てしない夢を 追いかける為 この街を去って行くお前
 
二人通った Discoteque SANTANA 肩で風切った ドブ板通り
そんな思い ふり切ってまで Oh good-bye yeh 横須賀 Baby
 
今夜はお前と Baby 最後の夜になりそう 
二人を冷たくつつむ この部屋に流れるメロディは 俺の Love Song
 
俺達とりまいてた おどけた奴ら 陽気なJimmyに あばずれJessie
そんなダチ公 ふり切ってまで Oh good-bye yeh 横須賀 Baby
 
Oh横須賀Baby…Fade.
 
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1980年(昭和55年)9月
 
この年の2月に呉工業高校退学になった僕は土木作業など複数の職を転々とし
ひょんな事から美容師という職に出会い、当時呉にあった「バラの舘」という美容室に勤めていた
 
度重なる素行不良で高校を退学になった僕は「これで晴れて自由の身になった」と錯覚し
社会に出たはいいが僕を待っていたのは作業服に身を包み安全靴や地下足袋を履いて
土埃に汚れながら汗水を垂らして働くという学生時代とは比較にならないほど過酷な生活だった
 
学生時代から汚れる事が嫌いだった僕だったが高校を中退した16歳の少年が
働ける場所というのは肉体労働するのが関の山という現実を目の当たりにした
 
そんな中、出会った美容室という職場は僕には性が合っていた
最先端の洋服に身を包み土埃や汗水で汚れる事もない
しかも店に来るお客様は女性の方が大半だ 笑!
 
僕はシャンプー技術を身に付けて毎日朝から晩までお客様のシャンプーを担当していた
そんなある日、店のBGMで流れてた有線からある曲が流れてきた
 
ーカッコいい曲だな~・・・
 
って思ったのが横浜銀蝿のデビュー曲だった「横須賀Baby」だった
 
 
ぶっちぎりRock'n Roll / 横浜銀蝿 1980 作詞・作曲 タミヤヨシユキ
 
 
走りだしたら 止まらないぜ 土曜の夜の天使さ
うなる直管闇夜をさき 朝まで全開アクセルOn
 
自慢のマシンを飛ばして 粋なHighway Dancerきどれば
マブイあの娘も ハコ乗り 今夜はSatisfy
 
走りだしたら 止まらないぜ 土曜の夜の天使さ
CASTOROの香りまきちらし 朝まで全開アクセルOn
 
ルームミラーにうかぶ 赤いシグナル背中にうけて
ホイルスピンをきめれば 今夜はSatisfy Ah yeah Hey
 
昨日と今日のすき間をぬけて 熱いハートを燃やすぜ
流れるテールを追いかけ 今夜はSatisfy
 
走りだしたら 止まらないぜ 土曜の夜の天使さ
うなる直管闇夜をさき 朝まで全開アクセルOn
 
(Thank you very much)
 
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横浜銀蝿はテレビの歌番組にも出演し始め僕の前に姿を現した
 
アフロヘアーを練りつけたリーゼントにキャッツアイのサングラス、Wの革ジャンに白いドカンパンツ
その暴走族のような風貌に僕はド肝を抜かれた
 
その頃大好きだったCOOLS永ちゃん、ジョニーの姿はブラウン管に映し出される事はなかった
当時ツッパリ色の強いミュージシャンでテレビの歌番組に出てたのは
リーゼントで白い作業ツナギに身を包んだダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドくらいのものだった
 
横浜銀蝿のデビューシングル「横須賀Baby」は哀愁漂う大人のロックというイメージだったが
B面だった「ぶっちぎりRock'n Roll 」を聴いて僕はぶっ飛んだ!
 
そりゃそうだ!美容室で働いていたとはいえ僕はまだ16歳のヤンチャな盛りだ
実際に現役バリバリの土曜の夜の天使でもあったのだ
 
同年1980年にデビューしたリーゼントにして顔を黒く塗ったシャネルズもインパクトがあり
僕は飛び付いたが当時の僕の精神状態や私生活は横浜銀蝿の世界その物だった
 
「♪うなる直管闇夜をさき 朝まで全開アクセルOn・・・」
 
当時の愛車だった直管集合管のHONDA CB400FOURで僕はまさに朝まで全開だったのだ 笑!
 
バイクの排気音&3連ホーンの音から始まる「ぶっちぎりRock'n Roll 」のオープニングの
バイクは何の機種なのかと当時僕達の仲間内で論議を呼んだ
 
おそらくKHサンパチ2サイクル3気筒の集合管の音と
ツインエンジンのスズキGSの集合管の音だと僕は今でも思っているのだが・・・ 笑!
 
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とうぜん僕はデビューシングル「横須賀Baby」と同時リリースされた
横浜銀蝿のファーストアルバム「ぶっちぎり」を即購入
 
横浜銀蝿が火をつけたツッパリブームにより「なめ猫」というツッパリ猫のキャラクターや
「ツッパリ君」というツッパリ学生をモチーフにしたキャラクターも大流行した
 
当時ヤンチャしてた人達に人気があった永ちゃんは渡米し ジョニー大倉さんは俳優に活路を見い出し
クールスはピッピさんが抜けてそれまでの勢いを失いつつあった
 
そんな時代に出現した横浜銀蝿は全国の不良ティーンエイジの心を鷲掴みにした
 
 
ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)/横浜銀蝿 1981 作詞・作曲 タミヤヨシユキ
 
 
(行って来まーす)
 
今日も元気に ドカンをきめたら ヨーラン背負って リーゼント
ツッパリ High School Rock'n Roll ツッパリ High School Rock'n Roll
ソリも入れたし 弁当も持ったし
 
可愛いあの娘は くるくるパーマに 長めのスカート ひきずって
ツッパリ High School Rock'n Rollツッパリ High School Rock'n Roll
お手々つないで 駅までしあわせ
 
駅についたら とっぽい兄ちゃんと ガンのくれあい とばしあい
ツッパリ High School Rock'n Roll ツッパリ High School Rock'n Roll
タイマンはりましょ 赤テープ同志で
 
(セリフ)
 
『かあちゃん そんなに心配すんなよ 勉強きらいな俺だけどさ
人にはそれぞれ あった道ってもんが あるんだよ
もっとやさしく大きな愛で ひ弱な僕を包んでほしいなァ
 
なんだよTAKU あそこにマブい女いるじゃんヨー
ダセェー男つれてんな あれ ジョニーじゃない』
 
電車に乗ったら 便所にかけこみひと駅だけの ハッピータイム
ツッパリ High School Rock'n Roll ツッパリ High School Rock'n Roll
火のない所に けむりを立てて
 
電車をとび降り 改札ぬけたら 学校までは 猛ダッシュ
ツッパリ High School Rock'n Roll ツッパリ High School Rock'n Roll
またまた遅刻で 今日も呼び出し (Thank you)
 
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そんな横浜銀蝿だったが銀蝿の人気が不動になったのは
デビュー翌年の1981年にリリースされたセカンドシングル
ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の大ヒットだった
 
当時僕はもう高校生ではなかったが同級生達は高校2年生であり
曲のタイトルであるツッパリHigh School Rock'n Rollの歌詞の世界がリアルだった
 
だから学生ではなかった僕も違う世界の事という実感もなかったのだ
 
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この写真のアルバムは、そのセカンドシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編」
同時にリリースされた横浜銀蝿セカンドアルバム「ぶっちぎりⅡ」
 
ガレージにディスプレイしてるそのアルバムに先日、銀蝿のさんにサインをいただいた
 
まさか16歳のガキの時に購入したレコードに36年後に翔さんご本人に目の前でサインをもらえるとは
当時の僕は夢にも思いませんでしたな~ 笑!
 
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先日のライブ当日翔さんは銀蝿のナンバーはツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)だけの披露で
後はジョニーさんの追悼ライブと言う事で全てジョニーさんの作品を歌われました
 
僕的には銀蝿のナンバーで最も思い入れのある「ぶっちぎりRock'n Roll 」が聴きたかったんですがね~
 
キャロルのナンバーの「レディー・セブンティーン」「ヘイ・タクシー」もよかったですが
個人的にはジョニーさんのソロサードアルバム「トラブル・メーカー」に収録されている
キャロル解散の事を歌った「4・13」が感動しましたね
 
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当時アフロヘア―を練りつけた鶏冠のようだったリーゼントは今ではすっかり影を薄めてますが(笑)
キャッツアイをかけた翔さんは当時とさほど変わってないように見えましたね
 
強面する顔つきの翔さんですがライブでのMCの話もとても楽しく
実際にお話しするととても気さくで陽気な人だというのにも驚きでしたね
 
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ライブ翌日の6月8日さんの57歳の誕生日だという事で
ライブ終了後の打ち上げでは誕生日ケーキのサプライズが用意されてました
 
縁あってライブの打ち上げに参加させていただいた僕達も
乾杯して翔さんのお誕生日のお祝いをしました
 
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今まさにケーキのロウソクの火を吹き消そうとしている翔さん、改めて
 
   「翔さん、お誕生日おめでとうございます!
いつまでもお元気でこれからも僕達オヤジが元気になるようなロックを歌い続けて下さいね!
 
あっ、そうそう!先日、翔さんが出てるテレビの番組見ましたが
              お兄さんの嵐さんにこれ以上心配かけないようにお願いしますよ!」 笑!
 
 
翔さんのステージが終わり次にステージに出て来られたのは元ヴィーナスコニーさんでした
 
明日はそのヴィーナスのコニーさんにスポットを当てた記事をお届けします
乞うご期待! ジャンジャン!!