CAROOLS 70’s (2) 黒のロックンロールクールスの世界 | PRAINSのブログ

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ティーンエイジの頃擦り切れるほど聴いたロックンロールバンド「CAROL」「COOLS」
その二つのバンドの名前を掛け合わせて僕が作った「CAROOLS」という造語
 
そんなCAROOLS70年代の楽曲にスポットを当て当時の世相やグループやメンバーのエピソード
僕の思春期の思い出等を書き記そうというシリーズ「CAROOLS 70’s」
 
前回1月11日の第1回目はキャロルのデビューアルバム「ルイジアンナ」にスポットを当てたが
第2回目の今回は時代的には前後しますがキャロル解散後の1975年9月にデビューした
クールスのデビューアルバム「黒のロックンロール/クールスの世界」にスポットを当ててみた
 
 
と、言う事だがアルバムを紹介する前にロックンロールバンドCOOLSがデビューした
1975年9月当時の初期のクールスに在籍したメンバーの紹介をしておこう
 
写真上段左から 舘ひろし(Vo)、佐藤秀光(Dr)、村山一海(Vo)
2段目左から 飯田和男(G)、大久保喜一(B)、水口晴幸(Vo)3段目 ジェームス藤木(G・Vo)
 
以上7名はクールスファンなら誰でも知ってるメンバーだが実はクールスがアルバムデビューした
1975年9月には梅村光男さんというギタリストがもう一人在籍していた
 
デビュー直後になぜかクールスを脱退したそうで後にクールスに在籍したCKBの横山剣さんが
おっしゃっるには現在梅村さんは金沢で実業家として活躍されているそうだ
 
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                          黒のロックンロールクールスの世界 1975・9・21 キングレコード
 
                         side A
 
              ドント・ゲット・ホット・クールス 作詞:たちひろし 作曲:ジョニー・大倉 編曲:近田春夫
              愛しているなら 作詞:たちひろし 作曲:ジョニー・大倉 編曲:近田春夫
              涙のウェディング・ディ 作詞:たちひろし 作曲:ヨモ・ヨシロー 編曲:近田春夫
              グッドバイといわないで 作詞:村山一海 作曲・編曲:近田春夫
              あの娘はステディー・ガール 作詞:たちひろし 作曲:ジョニー・大倉 編曲:近田春夫
              恋の炎は燃えて 作詞:たちひろし 作曲:ジェームズ・藤木 編曲:近田春夫
 
                         side B
 
              紫のハイウェイ 作詞:たちひろし 作曲:五大洋光 編曲:近田春夫
              シンデレラ 作詞・作曲・編曲:近田春夫
              ワン・デイ 作詞:たちひろし 作曲:ジョニー・大倉 編曲:近田春夫
              言えなかったんだ 作詞・作曲・編曲:近田春夫
              行ってしまったあの娘 作詞:たちひろし 作曲:五大洋光 編曲:近田春夫
              セカンド・イズ・ユー 作詞:たちひろし 作曲:五大洋光 編曲:近田春夫
 
 
ちなみに前出の梅村さんはアルバムジャケットの写真の左前方で革ジャンを肩にひっかけ
キャッツアイをかけて一番目立っているけど帯で切れている人です 笑!
 
 
紫のハイウェイ/クールス 1975 作詞:たちひろし 作曲:五大洋光 編曲:近田春夫
 
夜明け前の むらさきのHigh-way オレの心を今走らせ
Oh my baby yes my lover 会いにゆくんだすぐに
I love you with my heart 星さえうすれて
 
背中にうける オレンジの輝き お前のもとへと 心走らせ
Oh my baby yes my lover 会いにゆくんだすぐに
I love you with my heart 全てを忘れて
 
Oh my baby yes my lover 会いにゆくんだすぐに
I love you with my heart 全てを忘れて
 
どこまでつづく 一人のHigh-way 黒いMachineに命あずけて
Oh my baby yes my lover 会いにゆくんだすぐに
I love you with my heart この手にお前を
 
Oh my baby yes my lover 会いにゆくんだすぐに
I love you with my heart この手にお前を
 
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往年のクールスファンはよく御存じだと思うがクールスが最初に公の場に出たのはデビュー前の
1975年初頭に発売された「mc Sister」という女性ファッション誌のフィフティーズ特集での記事でした
 
黒い革ジャンにリーゼントを決めて黒い大型バイクに跨る黒い集団クールス
ポニーテールに50’sファッションで身を包んだ女性モデルと共に誌面を飾った
 
その後同年4月13日に親交のあったキャロルの解散コンサートの親衛隊を務め
世間から注目を浴びる存在となりキングレコードバンドデビューを持ちかけられる
 
そして元キャロルのジョニー大倉さんがプロデュースしたアルバム「黒のロックンロール/クールスの世界」
ペンネーム五大洋光事、矢沢永吉さんに楽曲提供されたシングル「紫のハイウェイ」
同年9月にほぼ同時にリリースしてデビューを果たしたのです
 
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と、言うのがクールスのデビュー前後の経緯だがそもそも彼等はバイクチームであり
クールス結成前後の事を遠藤夏樹さんが描いた「原宿ブルースカイヘブン」という本には
「職業として弾き語りをやってたジェームス意外は音楽は素人だった」・・・と書かれている
 
しかしグリースアップマガジンという雑誌のインタビューに答えているジェームスさんは
「(デビューの話が来る前から)バンドは自分達で遊びでやっていたんだよ・・・」と答えている
 
ルート20のリーダーだった遠藤さんもリアルタイムに間近でクールスを見てきた人だし
本を書く上でメンバー各人に取材もしてるだろう
 
方やジェームスさんはクールスと言うバンドの屋台骨であり当人であるわけだ
 
僕が思うにどちらが本当でどちらが嘘という事でもないような気がします
クールスというバイクチームに属していたメンバーの内外で後にデビューするメンバーとは別に
ジェームスさんと共に遊びでバンドをやってた人もいたんだと思う
 
実際にCOOLSバンドデビューに当たりさんが選んだメンバーにベースを弾ける人がいなかったから
バイクチームCOOLSには属していなかった大久保喜一さんにジェームスさんルートで声をかけ
大久保さんをバンドCOOLSに加えてデビューしたという事は「ストレンジ・ブルー」という喜一さん自身が
自身のクールス時代を綴った本にも書かれている
 
デビュー前のクールスが遊びでバンドをやっていたならベースマンがいないというのは可笑しな話だ
この事などが僕がいつも言う「人の記憶は曖昧で立場が変われば記憶も違う」と言う事なのだと思います
 
 
シンデレラ/クールス 1975 作詞・作曲・編曲:近田春夫
 
 
まっ赤なドレスで どこ行くの おどりに行こうよ Rock’n Roll
オレの自慢の車をとばして おどりに行こうよ year year year
 
シンデレラじゃあるまいし 時計なんて みないでみないで
シンデレラじゃあるまいし 時計なんて みないでみないで
 
夜は長いんだぜ 何するの おどりに行こうよ Rock’n Roll
本当はオレの事好きなんだろう わかっているのさ year year year
 
シンデレラじゃあるまいし 時計なんて みないでみないで
シンデレラじゃあるまいし 時計なんて みないでみないで
 
シンデレラじゃあるまいし 時計なんて みないでみないで
シンデレラじゃあるまいし 時計なんて みないでみないで
 
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クールスというグループはバイクチームとしてもバンドとしても結成当時舘ひろしさんがリーダーだが
クールスというバイクチームが伝説の血判状に捺印して結成した1974年12月13日当時
1950年3月31日生まれのさんは24歳と言う事になる
 
遠藤氏の本によれば当時舘さんはデザイナーモデルをやっていたという事になっているが
雑誌「FREEDAMNED」のインタビューでは舘さん御本人が大学生だったと発言されている
 
クールスというバイクチームは不良バイカーのカリスマ・レジェンドというイメージがあるが
よくよく考えてみれば24歳の大学生が暴走族やってたって事はどうなんだろう? 笑!
 
しかも24歳にしてナイフで自らの指を切り血判状に血判を押すというのも些か幼稚なような気もする
不良が大学に行ってるってのも不思議な気もするし24歳で暴走族というのも大人げない気もする
 
確かに当時クールスはスタイリッシュでクールなイメージだったし中坊だった僕は憧れもしたが
当時メンバーの年齢や学歴、職歴などを考えた事もなかった
 
しかしこうして大人になって彼等の事を知るに連れてどうしてもその辺りの事が不思議に思えるんですよね
24歳と言えば僕は結婚して長男が生まれて独立して店を開業した年齢ですぞ
24歳時に僕も大型バイク(KAWASAKI Z750FXⅠ)には乗ってましたが暴走族は遙か昔に卒業してましたぞ
 
聞く所によるとバイクチームCOOLSのサブリーダーだった岩城滉一さんも
後にクールスのリーダーになるドラムス秀光さんも大学に行っていたそうな
 
親に学費を払ってもらいながら大型バイク買って卒業もせず24歳にもなって暴走族をやってる・・・
う~ん当時のメンバーの状況や世相がよく分かりませんが考えてみれば???だらけですな~ 笑!
 
それらの事についてジェームスさんはインタビューで
「暴走族って言われる事に抵抗があった、だって22,23だぜ!
            ヒロシは子供っぽい(血判状)とこがあったね・・・」って語っています
 
だからジェームスさんはバイクの免許も取らなかったのか?!
 
さんは幼さと責任感という両極端な性格を持ち合わせた人だったんでしょうな~
それに尚且つロマンチストでもありナルシストでもあったような気がしますね
 
 
あの娘はステディー・ガール/クールス 1975 
作詞:たちひろし 作曲:ジョニー・大倉 編曲:近田春夫
 
 
Baby踊ろよ Rock’n Roll リズムに合わせて dance with me
いかした あの娘は sexy girl
 
波間にゆれる surfin board 白いビキニで swim with me
真夏の あの娘は surfer girl
 
パーティー終わって go with me 二人だけの海辺
かがやく星さえ 今夜はかくれてる
 
夜風にゆれるよ Pony tail 左の指には College Ring
みつめる あの娘は steady girl
 
パーティー終わって go with me 二人だけの海辺
かがやく星さえ 今夜はかくれてる
 
夜風にゆれるよ Pony tail 左の指には College Ring
みつめる あの娘は steady girl
 
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と、言う事で今回のテーマであるクールスのデビューアルバム
「黒のロックンロールクールスの世界」から少し話が逸れましたが話を戻します
 
 
キャロルのラストコンサート親衛隊を務めてくれたお礼やメンバー同士の交友から
ロックンロールバンド「COOLS」のデビューにはキャロルのメンバーだった
永ちゃんジョニーが大きく関わっています
 
永ちゃんは「五大洋光」というペンネームで
「紫のハイウェイ」「行ってしまったあの娘」「セカンド・イズ・ユー」
の3曲を楽曲提供してるしジョニー大倉さんは
「ドント・ゲット・ホット・クールス」「愛しているなら」「あの娘はステディー・ガール」「ワン・デイ」
の4曲の楽曲提供とアルバムプロデュースを引き受けています
 
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「おはよう」 キングレコードのスタジオのドアが開いて矢沢永吉が入ってきた
髪をボサボサにした矢沢永吉は色褪せたブルージーンズに赤いチェックのジャケットを着ている
ステージで見る革ジャンを着た矢沢永吉とはまったく違った印象だ
 
「ウィーッス!」 (クールスの)メンバーが挨拶をした
 
「久し振り」 プロデューサーチェアーに座っていたジョニー大倉がイスを回して矢沢永吉を見た
「ああ・・・、元気?」 矢沢永吉は予期せぬ相手に出くわしたような戸惑いを見せた
 
気まずい空気がスタジオに流れた、ジョニー大倉と矢沢永吉の不仲は聞いていた
キャロルを解散して二人は別々にソロ活動をしている
 
キャロルの事務所にいたスタッフも矢沢永吉とジョニー大倉の事務所に別れた
二人の間に何があるのか分からないが解け合わない物をお互い持ち合わせているのは分かる
 
「じゃあここは作曲者のイメージもあるだろうから お任せするかな」
ジョニー大倉がプロデューサーチェアーを立ち上がってソファーに座った
 
「OK!」 矢沢永吉がプロデューサーチェアーに座った・・・
 
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キングレコードと契約したクールスはジョニー大倉のプロデュースでデビューアルバム
「黒のロックンロールクールスの世界」のレコーディングをしていた
 
曲はジョニー大倉、矢沢永吉、近田春夫、ヨモ・ヨシロー、ジェームス藤木が書き
詩は舘ひろし、村山一海がつけた
 
「紫のハイウェイのリズム・トラックを聴いてみますか?」
ディレクターが矢沢永吉に言った、これから矢沢永吉が作曲した紫のハイウェイのヴォーカルを録る
 
「ヨロシク」矢沢永吉は正面を見据えて耳を澄ませた・・・
 
「これさあ、コーラス入れたらいいと思うのね」矢沢永吉が体でリズムを取りながら言った
「デュワッ、デュワッ、みたいなコーラスを入れたらよくなるわ」矢沢永吉が口づさむ
 
「いいね!」舘ひろしが言った・・・
 
「じゃあヴォーカル録ってみようか?」ディレクターが言った
「ドキドキするなー」舘ひろしが煙草を吸いながらブースに入った
 
「大丈夫よ、ロックンロールはノリだから!」矢沢永吉が励ました・・・
 
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以上の文はクールスベーシストだった大久保喜一さんが自身のクールス時代の事を書いた
「ストレンジ・ブルー」という本の中に書かれている一節だ
 
こうして音楽ド素人バイク集団だったクールスはバンド結成後たった3ヶ月でデビューし
1975年9月21日「黒のロックンロールクールスの世界」は世に出たのである
 
1975年9月と言えば僕は小学校の6年生でありクールスの存在さえ知らなかった
その頃の僕と言えば念願のカープ初優勝に向けて毎日カープの勝利の為に声援を送っていた
 
僕がCAROOLSのリアルタイムに追いつくまでにはこの時から約2年の月日が必要だったという事だ
 
以上が今回のテーマ「黒のロックンロールクールスの世界」だが
岩城滉一さんや玉川雅巳さんの事など書き足りない事は山ほどある
 
まあそれはまた追々とシリーズと共に書き綴っていこうと思います
 
最後に申しあげておきたいのは本文はあくまで僕の所有するCAROL・COOLS関連の書物
並びにこれまで見て来た事、聞いた事をベースに構成しています
僕は当事者ではないので真実は解からないという事をご了承ください
 
さてさて、次はいつになるか? 僕もこのシリーズを書くのは楽しいです!笑!ジャンジャン!!