前回5月29日の記事の続きです
何とか美容学校を卒業してミヤニシに無事就職した僕ですが まだまだ精神状態も未熟で本気で
美容師を目指しているというカケラもなかった、良き先輩や同僚、先生に恵まれ仕事もそれなりには
やっていましたが、まだまだ遊ぶ事に御熱心で私生活においては暴走族を兼任している状態だったんですよね
時は1982~1984年(昭和57~59年)ブラウン管の向こうではこんな曲が流れていた事をよく覚えています
お前にチェックイン/沢田研二 1982 作詞:柳川英己 作曲:大沢誉志幸
先のジュリーじゃありませんが時代は確実にビジュアル系へと変わってきた時代ですね
海外ではボーイ・ジョージのカルチャークラブやデビット・ボウイなど男性がメイクするのも珍しい事では
なくなり国内の男性ミュージシャンもビジュアル系の人が多く登場してきました
ブラックキャッツやザ・モッズ、ARBなどリーゼントに革ジャンというイメージのミュージシャンも
存在しましたが男の形も多種多様な時代へと変貌して行ったのもこの時期だったと思います
ロンドンではパンクというジャンルの人達も現れセックス・ピストルズ等も人気がありましたね
僕はと言うとその日の気分やTPOに合せてファッションも多種多様な物を楽しむようになりましたね~
ビジュアル系男子が出て来たと言っても男がメイクをするなんて事は一般ではまだまだなかった
ところが当時のミヤニシはとにかく流行の最先端を競うように模索しているという環境でしたから
どんな事にもチャレンジしていましたね~
そう言った環境を作っていたのはもちろん宮西先生ですが、それを牽引していたのが先輩のKIDO君でありZ君だったんですよね
私生活で仲間と遊ぶ時は僕もまだまだフィフティーズ的なファッションも好んでいましたがミヤニシの環境に感化され当時のDCブランドも着こなし
時にはパンクファッションも楽しむという多種多様な物を身に付けると言った時代でしたね
これらの写真は当時DCブランドで売り出していた
トラッドの当時版みたいな恰好でビジュアル系なメイクを施し遊び感覚で写真を撮った時の物です
お店ではこんな事しながら私生活ではシャコタンの車に乗って暴走している・・・そんな感じでしたね、ホンダ・シティーが売り出され大ヒットしたのもこの時期ですね、時代は70年代が終わりを告げ
80年代に入り確実に変貌して行った時代ですね
↑の写真、左からZ君、一人おいて僕、KIDO君ですが黒人の男性は店のスタッフではありません
撮影の合間にビールを買いに行った時声を掛けて意気投合して一緒に写真を撮ったんです
もともと色黒なKIDO君は違和感がなかった・・・笑
この写真は当時モノクロの拡大コピーをしてお店にポスターとして貼り出したんですよね
お客さんの若い女の子から「欲しい」と言われて何枚かプレゼントした記憶が残っています
当時、それくらいミヤニシの男性スタッフは若い女の子からも人気があったんですよね
カリスマ美容師ブームはまだまだこれから約18年も後の事ですからね~
さて、時代はそんな感じで、僕は美容師として働いてはいましたが将来の目標もなくただ単に
その日暮らしみたいに仕事をしながら日々が過ぎて行く毎日でしたね
朝から晩までのシャンプーボーイは2年目になり後輩が入ってきたという事で軽減されましたが相変わらず下働きの時代です、僕の同期の男性スタッフはそこそこ年齢もいってる事もあり早く技術者になりたいようでしたが
僕はそんな事全然思ってもいなかった、とにかく練習するのが嫌いだった 笑
僕達技術職は通常営業が終わって個人練習があるんですよね、「技術は見て習え・・・」って時代でしたからね
自分で練習しないと技術は身に付かない、練習しない僕は一向に技術が身に付かない・・・ 笑
美容師は業務内容的にサービス業ですから拘束時間が長いんですよね、しかも日曜日も仕事です
同級生の友人が平日も夕方に集まって遊びの相談をしてる・・・
僕も早く店を出て遊びに加わりたい・・・もう練習どころの話じゃなかった、一刻も早く帰りたかったんですよ
お店はそれなりに楽しくはあったんですよ、でもお店に遊びに行ってる訳ではないわけですからね~
お店のスタッフは同期を含め皆年上ばかりで最年少の僕は性格的にムードメーカーでもあり
みなさんから可愛がってもらってた、2年目になって同級生が入社して来ても僕は先輩になるわけです
まあやりたい放題ですよ、笑 友人と言えば皆ガラが悪い者ばかり、困ったもんですよね~
そこでついに先生の逆鱗に触れるわけです
当時美容界はインターン制度ってのがあって就職して1年が終了して国家試験を受けるようになっていた
僕も国家試験を受けるのですがまったく練習もしない、まだ技術者でもないから欲もない
下働きと言っても同級生の後輩が入って来てるので それほど重労働でもなくなった
楽なポジションに居座っていたんですよね、遅刻はする、週末に店を休む事もある、仕事が終わったら
さっさと帰る、練習しない、おまけに言動や態度は一番デカイ 笑
忘れもしない土曜日、お店はお客様でごった返していた
普段から先生は僕には特に厳しい態度をとっていた
そりゃそうですよね~ 笑
その土曜日に忙しくてイライラしていたであろう先生が僕に向かって
「おい、アンタ何しようるんな?ボケッとしとらんとシャンプー代ってやれ・・・!」
僕だって一年目に嫌と言うほどシャンプーをしたんです、誰も代ってはくれなかった
2年目になって後輩が入ってるんだから何で僕が後輩に代ってシャンプーしなくちゃならないんだ・・・
そう思った瞬間に考えるより先に言葉が出てしまった
「おい!オマエ誰に物言いようるんな、何でワシがシャンプー代わらんといけんのんな~ そもそもお前は何でワシばっかり目の敵にするんな~ちょっと裏まで来い・・・!」 爆!
今思い出したら穴があったら入りたいくらい恥ずかしい、確かにシャンプーを変わる必然はないと思う、でもそこに行きつくまでは数々の伏線があるんですよね、平生の僕の言動・態度に先生もイライラしていたのは明白ですよね
営業中のスタッフルームに二人で入って罵声の浴びせ合い、勢い余って僕は先生を掴んでしまった、僕の身長は181cm、先生は160cmまるで大人と子供! 笑
そして僕は啖呵を切った
「ワシ、辞めるけん、もうやっとれん、オマエ覚えとけ~よ・・・」
その後の状況はよく覚えていない、僕はお店を飛び出して公衆電話を探した・・・
と、言うのもその日僕を一番可愛がってくれていたKIDO君は風邪で店を休んでいた
さすがにKIDO君には状況を説明して辞める事を伝えておかなければと思ったんですよね
ところが自宅に電話を入れるとKIDO君は不在、何と遊びに行ってるという事だ
どうなん?・・・爆!
一旦荷物を取りに店に帰った時KIDO君から僕に電話が入った、当時は携帯電話などない時代ですからね
事の経緯を伝えるとKIDO君から意外な言葉が・・・
「話は分かった、でもお前絶対に辞めるな、辞めるという事は負けたという事で、このまま負けて逃げるんか・・・?」
「でももう辞めるって啖呵切ったしワシも先生の態度にはもう耐えられん・・・」
「今日はこのまま帰れ、でも明日必ず出社して来い、ワシが一緒に誤りに行ってやる
それでクビじゃと言われたら仕方ない、とにかく明日絶対に店に来いよ、約束せい!」
そう言われて僕は次の日出社した、やはり
KIDO君との約束は破れないと思ったし言いたい事を先生に言って少しはスッキリしたのかもしれない
出社した僕はKIDO君と共に社長室にいる先生を訪ねた、謝罪の言葉をKIDO君が僕の代わりに言ってくれた
僕が責任を持って指導しますから・・・とも言ってくれた、それを聞いた先生は僕を許してくれた
これに近い話は過去、高校をクビになる時担任の先生が庇ってくれた事、美容学校時代にHISASI君が僕を
導いてくれた事があるが、その何十倍もKIDO君がしてくれた事は僕の未来に大きく影響を及ぼす事だった
それを許してくれた先生の度量の大きさにも僕は救われた事になるんですよね
几帳面な性格の僕はこんな物まで残っている、 笑 僕の美容師国家試験の受験通知書だ
決して多大な努力をしたわけではないが運良く僕は美容師国家試験に合格した
とは言いながら今思えば当時まだまだ本気で上を目指していたとは言えない
本気になるのはもう少し後の事になるんですよね
という事で今現在も宮西先生にもKIDO君にも良い付き合い・・・てかお世話になりっぱなしです
僕の人生においてこの二人がいなかったら今の僕は存在していないと言っても過言ではないでしょう
本当に感謝してるし足を向けて寝る事など出来ません、今でも二人には冗談で悪態をついたりしますが
心から尊敬しているし感謝しています、という事で続きはまた今度、ジャンジャン!!
おまけ
お約束の大明神の当時の写真です
この後僕と結婚する彼女も僕同様お二人には大変お世話になる事になります
そんな大明神ですが実は今日、○○回目の誕生日なんですよ
さてさて、どうしましょうかね~ 笑