自分のルーツを辿ってみる ⑥ 美容学校入学 | PRAINSのブログ

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時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
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これまで僕が歩んできた人生を振り返るこのシリーズですが前回9月23日の「美容師との出会い」の続きになります、前回の記事で僕はひょんな事から美容師という仕事に出会った事を書きました、先輩の面接について行って僕もそこで働くようになった、相変わらず私生活は乱れていたが仕事も楽しく周りからもよくしてもらってた
 
が、ある時お店の備品や商品が失くなったのを僕等のせいにされて喧嘩してお店をやめ元の風来坊に戻ってしまった、しかもヤクザな環境に入り込んで「ここは僕の心地いい世界ではない」と思い始めてたんですよね
 
その世界も最初は楽しいんですよね~、勿論正式に入ったわけではないけどそういった人達とツルんでいると
自分まで強くなったような錯覚に陥るんですよ、いきがった奴らが挨拶に来て頭を下げる、勿論僕にではないんですが錯覚するんですよね
 
でもだんだん「これは違う」と気づくんですよ、いろいろ裏を見ていたら自分には無理って思ってきたんですよね
この環境を変えたいと思っているんですがなかなか言い出せない、よくしてもらってましたからね~・・・
 
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この頃母は毎日針のムシロに座ってる思いだったと思いますね~ホントに心配かけていたと思います
事細かくは書けませんが本当にいろんな事があった
 
そうしたある日一番面倒を見てくれていた人がある事件を起こして逮捕された、環境を変えるにはこの時がチャンスと思ったんですよ、でも大義名分がいる、さてどうするか・・・
 
ここで僕は考えた「そうだ、学校に行こう!笑」いささか風来坊にも飽きていたし親を安心さすにもこの環境を変えるにもそれがいいと思ったんですよ、でも何の学校に行けばいいのか・・・そこで思いついたのが美容学校だったというわけです
 
当時呉の阿賀に「職業訓練校・美容科」というのがあったんですよ、何と授業料もタダ同然の学校だった
しかし授業料もタダ同然で失業保険も貰えるシステムの学校なので合格の倍率も高いという事だった
僕は当然失業保険はつかないけど授業料がいらないという事は親も助かると思ったんですよね
 
「落ちる」という事はまったく考えなかった、その諸を先輩に相談すると○○さんが刑務所から出てきたらワシが
ちゃんと言っといてやるけん安心して学校に行けと言ってもらった
 
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受験日当日に僕はこれからの人生で一生頭が上がらなくなる先輩のヒサシ君に偶然会った、
それまでは面識があった程度だったんですよね、彼の存在はこれからの僕の人生に大きく影響を与える事になるんですがその時はまだそんな事思いもしなかった
 
僕は受験日当日上下ジャージでツッカケを履いていた、ナメてますよね~、それを見たヒサシ君が言った
「オマエそんな恰好で受験して合格するわけないで・・・」
 
が、なぜか僕は合格した、笑 まあここだけの話試験の内容は幼稚園児クラスの問題に思えたんですよね
「この問題馬鹿にしとるんかの~、これが出来ん奴信じられん・・・」って正直思った事はよく覚えている
だから僕は「落ちる」という事はぜんぜん想定しなかった、当然と思ったんですよね
 
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晴れて僕は美容学校に入学しました、クラスは一クラスでたしか40~50人くらいだったと思う、
その中で男は5人、僕は男で一番若いという事で出席番号も1番で席も左端1番前だった
ヒサシ君も合格していて出席番号4だった
 
実は職業訓練校は美容科の他に理容科、機械科・・・よく覚えていないが沢山の科があったんですよ
この年偶然にも同級生の高校中退組が男女問わず集まっていたんですよね、理容科にはカツジがいた
後に僕らは「職業訓練校始まって以来の最悪の年」というレッテルを貼られてしまうようになるんですよね、笑
 
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今思い返せば学校は楽しかった、
そんなに真剣に美容師を目指したわけではないので高校生活がまた始まったような感じだった
 
それでなくても同類項の同級生が沢山いるのだ、毎日メチャクチャ、笑
 
このパターンは高校の時と同じでいずれクビになるパターンだったが高校の時と違う点があった
 
そう、ヒサシ君の存在だ、僕は当時17歳彼は19歳、手の付けられない僕たちを学校の先生がヒサシ君に頼むようになっていた
 
結論から言うと僕が何とか卒業できたのもヒサシ君の存在があった事が大きいと思う
ヒサシ君もそんなに意識はしていなかったかもしれないが僕はそう思っている
 
実際彼はカッコよかった、僕の好きな物がそこに存在する事に気づいていたのだ
だんだん僕は彼に心酔していった、ファッションも車も何がカッコいいのかを彼から全て学んだといっても過言ではなかろうと思う
 
そうは言いながらも歳はまだまだ17歳である、同級生はまだ高校生だ、族をやってる奴もごまんといる、
ファッションこそ徐々に変わっていったが行動は高校の頃とさほど変わってはいなかった事も事実だ、笑
 
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美容科は圧倒的に女性が多い、男は1番若い僕を含めて5人しかいない
 
呉工との違いはそこが大きく違った、女性は中学を卒業したばかりの人から40代の人までいる
 
僕はやんちゃしてたけど男で1番若い事もあって年上の女性にはよく可愛がってもらった
そんな環境も暴力教室のようだった高校時代との大きな違いでしたね
 
31年前のたった1年だったけど皆さんお元気なんでしょうかね~当時17歳だった僕が現在49歳になってるという事は当時40代だった方は70歳を過ぎているという事ですよね
生きていらっしゃるんでしょうかね?笑
 
写真は僕の記憶では春の遠足で宮島に行った時の物だと思います
 
こうして僕は一生の仕事となる美容師になるきっかけとひょんな事から出会い環境の変化を求め苦肉の策で入学した美容学校生活が始まったのである、ジャンジャン!!
 
 
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おまけ
 
当時僕は同級生が高校3年生だった18歳になる歳だったんですよね、
一つ下のウチの大明神は普通の公立高校の2年生だったという事です、
 
実は大明神には3つ上の兄がいるんですよ、兄は僕より2つ上の呉工の先輩だったんですが僕が入学した時には中退していていなかった、ニアミスだったんですよね
そんな経緯もありまだこの頃はお互いの存在も知らなかった、知り合うのはこれから約3年後になるんですよね
 
 
おまけのおまけ
 
先日の 「オザキさんを探せ!」今回の正解は二転三転しましたが写真8枚目のガラスの向こうの石と石の間から顔を出しているというのが正解です、これは超難問だったと思います、僕でもわからないと思いますもんね、笑