消えて行く物、生まれる物 | PRAINSのブログ

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イメージ 1呉には呉市が運営する路面バスがある。
毎日日常的に目にするものだが近い将来、来年位には どうやら民営化になるようである。
 
詳しくは知らないが民営の広島電鉄に身売りするらしい。
僕も詳しく調べた訳ではないが現在日本で運営されている路面バスで公営の物は京都にある物と呉の二か所しか無いそうである。
 
日本経済の破綻と共に公営事業がどんどん民営化されて来たし、これからも民営化されて行くことだろう。
 
 
これも時代の流れなのでいた仕方ないとは思うが呉市自体の経済破綻が叫ばれて久しいのに今まで公営でやって来たのはなぜなのだろうと少々疑問に思う所もある。
呉市のお偉いさん方の裏の事情を想像してしまう、、、。
 
僕の仲間にも沢山交通局に勤務する者がいるので気の毒にと思うのも素直な気持ちである。
民営化されれば勤務もおそらく厳しい物になるだろう事も想像される、皆頑張って貰いたい、、、。
 
イメージ 2
呉市交通局は明治42年に広島県初となる電車を開通した事から歴史が始まるそうだ。
 
大正8年に定期バスを運転開始している。
昭和42年に路面電車は廃止になり全面バス業務になったらしい。
 
僕は昭和38年生まれなので昭和42年と言えば4歳と言う事になるが微かに路面電車が走っていた記憶がある。
 
僕の育った長浜に祖父母が住んでいたので当時呉に居た僕達親子は電車に乗って終点であった長浜に行っていたのだろうと思われる。
 
右の写真のボンネットバス、イベント等では見た事あるけど実際に走っていたのを当時も見た記憶はない。
覚えてないだけかもしれないが乗った記憶が無い、何時頃までこのバスが走っていたのだろうか。
 
イメージ 3
左の写真の路面電車は微かに記憶がある、ボンネットバスと時代性はどうなんだろう。
 
僕は子供の頃乗り物酔いがひどかった。
当時のバスは車内の床が木で出来ておりワックスだか油だか知らないが独特の臭いが充満していた。
長浜から呉に出るのに死に物狂いだった事を今でも良く覚えている。
 
高校時代は通学でバスを利用していた。
長浜から学校のあった中畑までバイクで通いだすまでは毎日利用した(笑)
 
ミヤニシに入社した頃は免許証を一時的に国に返していた事があるので(笑)その間もバスで通っていた。
帰りはよく寝過して終点まで行っていた、その頃のお客さんだった運転手の N さんと N さんが運転手の時は助手席に乗って(笑)良く話をした、二人とも定年退職されたがお元気でしょうか?
 
僕と同年代の運転手の人達は定年まで10年余りだと思います、それぞれ色々あるでしょうが最後まで頑張って頂きたいと個人的に思っています。