悟り人のつぶやき ~元塾講師が語る悟りの世界 山崎修一のブログ~ -20ページ目

悟り人のつぶやき ~元塾講師が語る悟りの世界 山崎修一のブログ~

悟り人を増やしたーい
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そんな動機で書いてます。

ウェルカム!

どうも、悟り人、修一です。

苦しい、辛い、って思いは、どこから来るのでしょう?

これ、思い通りにならなーい!ていうところから来てます。

理想と現実のギャップですね。

ただ、理想と現実のギャップがあっても、苦しくない状況もあるのです。
例えば、目標を掲げた時、とか。
さぁ、やるぞ、ってとき。

この違いはなんでしょう?

それは、その状況を、出発と捉えているか、終点と捉えているか、の違いです。

終わってしまった、と捉えたら、その事柄は、もう動かない、固定されたもの、動きのないもの、動かしようのないもの、死んだもの、と認識されますから、ギャップが埋まらないことを意味します。

それゆえ、苦しい、辛い現象として感じます。

これから、どうにかなるかも。いかようにでも、変わりようがある、と思えるならば、そこに希望を見出だすことが出来ます。

同じ状況であっても、動きと捉えるのか、結果が出た、と捉えるのかで、自分の中に生まれる感情は、希望と絶望の両極に分かれますね。

動きと捉えるコツ、ポイントは、
その事象は更に大きな事象の内の一部分である、と捉える事です。

その事象が全体、全てと捉えるならば、それはそれで完結し、終わったものとなってしまいます。

例えば、
受験に不合格だった、
好きな異性に告白したけど、振られた、
とか。
それを全てと思ったら、絶望的な気持ちになるでしょう。

けれど、人生が全体で、この出来事はその中の一部である、と捉えられたら、希望が持てませんか?

受験に落ちたら受験に落ちたなりの、人生があるはずです。そこに幸せはないなんて、誰に決めつけることができるでしょうか?
そう決めつけているのは本人ですよね。

その人に振られたからこそ、出会える新たな出会いがある、という発想も、そこを通過点と捉えられるからこそ、出来ることです。


また、悟った観点で言えば、
自分の体だけが自分の範囲だと捉えるのか、宇宙全てが自分であると捉えるのかでも、意識に大きな差が生まれますよね。

宇宙全てが自分の範囲だと捉えた場合、死すら、終わりではなく、通過点です。

個人としての人生は終わっても、個人が私ではなく、
宇宙全てが私であるから、
私の意志は引き継がれ、脈々と息づいていくでしょう。

その受け継がれた、過去全ての集大成が、今ここ、です。
そして、
今ここから生まれる未来全ての出発点が、今ここ、です。

今ここ、に生きられたとき、ワクワクするのは、いつも常に出発点に立てるから、と言えますね。