人間の基本それは目の力である。
目に力なくば、痛い目、辛い目、悲しい目、
駄目、落ち目とマイナスの目は数多くある。
目に力あって、人はいい目にも合わせてもらえる。
目に力があれば
目プラス力=助(たすける)の文字になる。
あらゆる自然の力がその人を助け
周りの人々もその人を助ける。
目に関連して、手の力があり
足の力がある。
(目の力)1.辛抱、心棒、信奉の心を持つ。
(目の力)2.人間の生きる原点を考え、見。
空気に次ぐ水を我が命と心し、和を乱さない。
空気とは目に見えないが、無いと生きて行かれない存在。
神仏を尊ぶ心。
(目の力)3.人の思い上がりは現今最も強し。
人の思い上がりは、自然の掟をこわす。
掟をこわせば菩薩、最低の線上に降ろす。
(目の力)4.こだわりはゴミ、因縁を作る。
こだわりを明日に持ち越すと、菩薩精神の安定を与えず。
(目の力)5.気づき、考えつき、思いつく
勇気と素直な行動が無ければ菩薩、後悔を与える。
この努力が
目の力を作るのだよ。
現代の人を木に例えれば
背の高い細い細い木だな。
頭を使い、知識を増やして木はどんどん上に伸びる状態のようだな。
色々な体験を積んだり、心を強くするような
苦難を乗り越えることをしていくと
木の年輪、太さが増していくんだ。
しかし、体をあまり使わず、頭ばかりで知識ばかりをため込むと
高さは高いが細くて、ひょろ長い木になってしまう。
「頭はいいのだが、体が弱くって」というような
ひょろ長い木。弱い人間ができる。
「あまり賢くはないが、いつも元気です」というような
背の低い幹の太い木。
いつも元気な人間になることも必要だな。
現代人はひょろ長く上に上に伸びた木のような人間が多いな。
高さだけでなく、太さを増すことも大切だな。
そうでないと、ある時突然倒れる。
じゃあ幹を太くするには
どうすればいいですか?
質問しました。
「普段の生活の中で、何か困難があっても、
弱気や弱音を吐かずに、こんなことは何でもない。何くそー。
という根性。
この根性が幹を太くするやり方だ。」
「口に出す言葉は、
意地でも強気の言葉を出す努力だ。」
「山の木はどの木も
弱気、弱音は吐かないのだ。」
「雪でも、雨でも、風が吹いても
本気に生きているのが、山の木なのだ。」
夢に向かって、じっと耐える心
根気と根性が人間を太くするのだよ。
何か困難があっても
「何くそー。」と言えばいいのだ。
ばんしは
「自然からも人の世の全てからも、必要と望まれる
我を成し、我が家を成し、我が子孫を成す。」
と書いて壁に貼ってあった。
意味を尋ねると 「人はこの世に何も持たずたった一人裸で生まれてくる。
そして死ぬ時もたった一人であの世に行かねばならない。
何も持たずに生まれて、生きて行けるのは多くの人々の愛に支えられているからだ。
その愛に報いるには少しでも誰かの役に立つ自分となることだ。」
そう語っておられた。
誰かの役に立つ自分になろうとするとき、
この世に生まれた意味があるのではないか。
誰の役にも立たず、人から嫌われるような言葉を口にして、
人から嫌われるような行動ばかりをする。
これをゴミと言う。 人間ゴミになってはおしまいだ。
どんな形でもよいから少しでも世の中の役に立つような
自分となろうとすることが人間の目標ではないかと。
ところが現代はゴミが増える一方だ。
不平と不満をしゃべる。
それを聞いて又別の人が入って来て、さらに不満を言い合う。
このような事を続けるとゴミはゴミを呼ぶといって、
回りからどんどんその人の所にゴミを持って集まって来るものだと。
そうすると、悪い事ばかりがその人に続くようになる。
不運は自分で呼び込んでしまうこともあるのだと。