「自然の目から見るとそういうことの教えだな。」
「きつい薬の副作用とか、化学物質が原因で病気になる場合もあるが、そうでない場合は
本人の気持ち、心がけだ。」
「喘息という病気は苦しい。なった者でないと理解できない苦しさがある。」
「それは私も良く知っている、うちの家内も喘息を持っているんだ。」
「そうですか、奥さんも。」
「それじゃ喘息という病気は治らないという事ですか?」
「治るよ、いくらでも。ただ家内は私の言うことを聞かない。」
「だから私も力を貸すことが出来ないのだ。」
「自然は求める者には、与えられる。しかし、求めない者には与えられない。
いくら私が家内の病気を治したいと思っても、
本人が健康を求め、自然に対する心構えを変えない限り病気は治らない。」
「自然社会には掟というものがあるんだ。
私がどのように祈ろうと、夕方になれば太陽は沈んでいく。
一生に一度のお願いですから今日だけは太陽を3時間遅れて沈ませてください
と願っても、自然は待ってはくれない。これも掟だ。」
「それじゃ病気を治すにはどうすればいいのでしょうか?」
「それは、座ることだ。」
「5分間でいい。」
「どこに座るんですか?」
「どこでもいい。神棚の前でも、なければ壁に向かって座ってもいい。」
「毎日、朝起きたら5分間、夜眠る前に5分間座ることだ。」
「正座ですか?}
「そうだ、正座だ。」
「友達にそれを言ってあげなさい。
でも・・・・、しないだろうな、続かないだろう。」
と言って笑われた。
「家内にも過去に言ったことはある。
しかし、3日ほどはしていたが、途中でやめてしまった。」
「こんな3日坊主では駄目だな。」
「私がいいと言うまでずーっと続けるような根気があれば治るけどな。」
「わかりました、友達にそれを教えてあげます。」
電話を切って
自分を振り返った。そんなに感謝をしていないかな?
太く、短く、華々しく生きて
ポンと死んだらそれでおしまい。
後は無だ。
そんな考えを持っていたのだから
感謝とかしていなかったのだろうな?
誰でもそんなものではないかな
なんて思っていた。
まずは教えてもらった、正座をする事をやってみようと思った。
でも、そんな簡単な事で治るように思えない。
何度色々な病院に行ったことか。
病院はもとより、神社、仏閣、はては
ご祈祷、霊能力があるといわれる人達の所まで、
様々なところを
歩き回ったのだ、子供の頃から。
しかし、すべての期待は裏切られ20歳を越えてもまったく良くならず
同じ状態が続いていた。
この間に、自分の信念のようなものが出来た。
生きているうちに、したいことをしておこう。
死んでからでは遅い。
この世に人を救う神など存在しない。
苦しみを取り除いてくれる人もいない。
苦しみは他人に理解されず、ただただ耐えるだけだ。
限界になれば
強力な薬を使うだけだ。
太く、短く生きよう。変な信念に固まっていた。
頼りになるお医者さんとか、神様とか人間とかいない。
そこまで、心はすさんでいた。
なのに
正座をすれば治る、健康になる。
理解できなかった。
しかし、他に方法もない。
だまされたと思ってやるしかないか。
絶対に3日坊主にならないと決心した。
これは最後の希望だというような、
悲壮な覚悟でもあった。
その日から
朝と夜
正座をする事に決めた。
ばんしは、正座をする時、別に何も考えなくてもいい、
ただ座るだけでいい。
そう言っていた。
1ヶ月が過ぎた
毎日続けた、どんなことがあっても正座だけはしていた。
日記を書くことにして
どのくらい健康な日が継続するか
記録していった。
でも1ヶ月の間に
1回くらい発作の兆候があって
きつい薬でごまかした。
寝込むことはなかった。
数ヶ月続けていた有る夜
いつもの通り
正座をしていたら
腕が勝手に、少しずつ動き出したのだ・・・・・。