第四回 酔鴻忌 2014.1.25 京都・嵐山 大悲閣千光寺 | PERFECT PERSONAL WORLD

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西に東に、はてしない追っかけ日記

昨年、2013年の9月中旬の京都の水害。テレビに映し出された濁流に飲まれる寸前の渡月橋の映像が衝撃だった。同時に、大悲閣千光寺は大丈夫だろうかと心配になった。

心配したのは私だけではなく北森鴻さんのファンサイト・酔鴻思考の掲示板には、大悲閣を心配する多くの書き込みが寄せられた。私自身も酔鴻忌で知り合った、京都や大阪の友人と連絡を取り、現地の様子を聞いた。その友人経由で、また掲示板の書き込みによって、大悲閣千光寺のご住職と連絡を取ったカズさんから、大悲閣の無事を聞いて私だけでなく皆が胸を撫で下ろした事だろう。

酔鴻忌に参加している人達、北森鴻を愛する人達にとって、大悲閣千光寺が大切な場所である事の証に思えた。




そんな去年の京都の水害を思い出しながら、保津川沿いを歩いた1月25日。
今年の酔鴻忌は北森鴻さんの命日に行われた。

私は二回目の酔鴻忌からの参加なので、今年で酔鴻忌は三回目の参加になるが、まだ大阪に住んでいた第一回目の酔鴻忌の年の1月8日、その時点で酔鴻忌の参加が無理だと分かり、代わりにと初めて大悲閣千光寺を訪れているので、私にとっても「四回目」の酔鴻忌という気持ちが強い。

例年はJRや嵐電経由で嵐山入りをしてきたが、今年は初めて大阪から阪急で嵐山へ入った。京都の友人から、水害について「すっかり嵐山近辺は綺麗になってますよ」と聞いてはいたが、実際に川の氾濫等無かったかのように、道中は綺麗になっていた。ただ、渡月橋近辺は川の護岸工事が行われていて、そこに水害の痕を感じた。

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渡月橋から、保津川沿いの山道に入った時点で、酔鴻忌の開始時間が迫っていたので、急ぎ足になる。

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前を歩いていた女性を追い越すと名前を呼ばれる。大阪の友人のmiyukiちゃんだった。今回は二次会の幹事も務めるという。

いつもながら、最後の石段に苦労しつつも無事に大悲閣千光寺に到着。去年よりは息切れしていなくて、少しは体力が付いたのかな(笑)

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客殿の入り口では、カズさんが待ってくれていた。中には既に多くの人達が集まっていて。毎年来られている方達とは「お久しぶりです」と目で挨拶。今年の酔鴻忌も20人以上の方が参加された。
ファンサイト・酔鴻思考で案内された、渡月橋の側の待ち合わせ場所に集まられた方も10人程居られたようだが、特に毎年参加されている方は御自分で来られた方が多かったようだ。


私達の到着の直後くらいに、御住職の挨拶と共に読経とお焼香が始まる。
御住職から配られた般若心経のコピーを唱えながら、順にお焼香を。北森さんのお兄様に一礼して、北森さんの遺影に手を合わせる。毎年この瞬間は、きっと皆が神妙な気持ちになる。
全員のお焼香が終わった後に御住職が挨拶。般若心経、なかなか他では読んでくれないとの事で、そのお礼から(笑)北森さんの遺影の位置が下気味になってる事に対して、

「角倉了以さんを拝みつつ、そこから北森さんを拝んでます。角倉了以さんと北森さん、客殿の再建に出資された方が大悲閣の恩人です」

と御住職が説明される。また、「北森さんのおかげもあってか、現在は儲かってます!」との重大発言!に全員が笑ってしまう(笑)言われてる横で、客殿の外にも何人かの参拝客の姿を見つける。参加されたTAMAさんによると、昨年秋の「HANAKO」の京都特集で大悲閣が紹介されていたという。京都の友人によると、阪急の駅で大悲閣千光寺のポスターを見かけたという。大悲閣の認知度が上がってきているのだろうか。
「繁盛したおかげでこんな物も作りました」と御住職が床の間に飾られた算盤で作られた、見事な作りの五重の塔を指差す。北森さんがこれを見られたら、どう思われただろう?大悲閣の繁盛具合を喜ばれただろうか?

余談ながら、大悲閣千光寺は通常は400円の拝観料がかかるが、酔鴻忌では大悲閣の御厚意で、毎年無料で拝観させて頂いている。

続いては北森さんのお兄様のご挨拶。
今年も酔鴻忌に集まってくれたお礼を言われ、「両親の血で、私も弟も賑やかなのが好きでした。よければ、来年もお越し下さい」と、本当ににこやかに話されていたのが印象的。
私は北森さんが参加されたオフ会に出た事はないが、もし北森さんと御一緒する機会があったなら、こういう風に笑顔で迎えて頂けたかな?と思った。


そして、客殿の中央にテーブルを持ち出し宴の準備に。
それぞれが持ち寄った土産や食べ物、お酒を出し合う。参加された方には、おにぎりや自家製の漬け物、料理を持って来られた方もいて、このアットホームな雰囲気も相変わらずだ。
そこに「お酒が少ないな」とまさかの声。今年は、例年よりお酒を持参された方が少なかった様子。
そこに、御体調の都合で参加されなかった大阪のミステリ友人・紅葉さんが大悲閣に送られたお酒がある事が報告される。

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大悲閣下山後、私が代表してツイッターでお礼をお伝えした。
いつもながら全員で乾杯して宴が始まる。毎年来られている方も、初めて参加された方も打ち解けた様子でお話をされていた。

酔鴻忌は北森さんの法要ではあるが、「大悲閣千光寺は嵐山の山中にあるので、動きやすい格好、平服でお越し下さい」と案内される。山道を登るという物理的な条件の他に、参加される方々が畏まらず、気楽に語り合えるようにという配慮もあるのかもしれない。

私が持参した福岡のお菓子、チロリアンを見て北森さんのお兄様が「おお、チロリアン!」と声を上げられる。「ご存知でしたか?」とお尋ねすると「久しぶりだけど、山口でもCM流れてたし、食べた事がある」と。という事は、北森さんも食べられた事があるのかな?と嬉しい気持ちになった。

N市のAさんが北森さんの作品、雑誌でのインタビュー等を調査しリストアップ、網羅した小冊子「北森鴻 全仕事」を発表されて全員に配布される。個人的にそういう物を作られていると聞いてはいたが、実際に凄い情報量の上、Aさんが手掛けられた北森さんの「なぞがたりなばり」での講演会の講演録と、浅野先生の昨年の夏の山口県立図書館での講演会「北森鴻の足跡」での講演録も収録されているという豪華さ!

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Aさんが「この『北森鴻 全仕事』の内容に、誤りや不足があればぜひ知らせて欲しい」と呼び掛けられていたが来年の酔鴻忌ではブラッシュアップされ、Aさんの北森さんについて論考を加えた物が発表されるという。

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そして、恒例のプレゼント争奪のジャンケン大会。


浅野里沙子先生から、この時は発売直前の「邪馬台 蓮丈那智フィールドファイルⅣ」の新潮文庫版が提供される。浅野先生からの2冊は北森さんの落款入りで、多分北森さんのお兄様から同じく落款が入っていない物が3冊提供された。

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浅野先生からは、去年浅野先生が北森さんの講演会をされた際にそのきっかけとなった、浅野先生による北森さんの紹介記事が載っている小冊子「やまぐちの文学者たち」も提供された。こちらは去年講演会に行った時に頂いたので、「邪馬台」のジャンケン大会に参加!

結果、酔鴻忌参加して初めて、ジャンケン大会に勝利して、第一希望の落款入りの「邪馬台」を獲得!!!

初めて第一希望を勝ち取った嬉しさに、思わず「買わずに済んだ(笑)」と漏らしてしまい、大ブーイングを浴びてしまう(笑)スミマセン……
ちなみに、N市のAさん曰く「嘘でも買います!と言わんと」(笑)

後日ちゃんと買いました。(証拠写真)

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そういえば、ジャンケン大会の司会のカズさんが「(「邪馬台」を)皆、もうネット書店とかで予約したかもしれないけど」と言われた時、「本屋で買います!」と何人もの方が言われたのが、北森鴻のファンの集まりらしいと思った。

また、北森さんの母校・駒澤大学に勤務されているHさんが、北森さんの「琉璃の契り」の表紙に使われている江戸切子・華硝さんのぐい飲みを探されてきて、プレゼント大会に提供!こちらも大争奪に。本当に綺麗な切子で、勝ち取れなかった人達も、お店のアドレスを控えてられていた。

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その後も各々で歓談。私がJR博多駅で(ネタ的に)買ってきた、明太子の缶詰めを浅野先生や北森さんのお兄様らと試食。明太子のタレに焼きタラコを漬けてあるような感じ。生の明太子とは少し違う食感だったが、好評で一安心。
何冊か浅野先生の著作を持参してきていたので、それらの本に浅野先生からサインを頂く。先のジャンケン大会で勝ち取った「邪馬台~」の文庫にもサインを頂いた。N市のAさんが、御自分で作られた「北森鴻 全仕事」に浅野先生のサインを頂いていたので、私もそれに倣ってそちらにもサインを頂いた。


いつの間にか時刻は夕方に。酔鴻忌もお開き、二次会へという話に。一眼レフのカメラを持ってきていたN市のAさんが「その前に記念写真を撮ろう」と提案し、それが受け入れられる。私が参加した二回目以降で、記念写真を撮るのは初めて。「何で今まで撮らなかったんだろう」という声も。確かに今までそういう話が出なかった事が不思議だ。
客殿を出てすぐの京都市内へ向けた展望台的な場所で、途中で帰られた方々を除いた、残っていた16人と御住職、合わせて17人のメンバーで記念撮影。

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大悲閣の寺男さんがN市のAさんの一眼レフと、私のiPhoneのシャッターを押してくれた。中央に座ったmiyukiちゃんが、客殿に案内用に貼られていた「酔鴻忌」の掲示を持って、今年の酔鴻忌の記念となった。



そして、歓談しながら大悲閣千光寺から下山。阪急の嵐山駅に着いた時はすでに日も暮れていて。これも毎年の事ながら、日が落ちた後の嵐山駅のランタン状の照明が、どこか情緒的で。そのせいか、この照明を毎年写真に撮ってしまう。

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二次会はmiyukiちゃんが選んだ河原町の居酒屋さんで。
個人的にもmiyukiちゃんに大阪で店を選んでもらった事があるが、今回もわざわざ下見をしてくれたと聞き、相変わらずの行動力に頭が下がってしまう。
下山の後や、河原町までの阪急の乗り換えの駅で帰られた方もいて、参加したのは私を含めて13人。
何故か、男女が別々のテーブルについて(笑)北森さん以外の話題でも話が盛り上がる辺りに、毎年集まっている事の積み重ねを実感する。

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この二次会は酔鴻忌メンバーにとって、転機になったと思う。


カズさんからサイトのリニューアル案や、サイトを通じて北森鴻を発信していく事に対しての提案が求められ、それについて意見が飛び交った。
その中の一つ、「酔鴻忌とは別に、年にもう一度くらい集まれないか?」という提案は、今年の夏に行われた、京都での「酔鴻会」の開催という形で実現する事になる。
また、二次会の幹事を務めたmiyukiちゃんが会の幹事的な役割を果たす事になり、その場のメンバーが互いのアドレスを交換、それが縁となり春と夏には関東で飲み会が開かれた。
今年の酔鴻忌は、作家・北森鴻を語り継ぐ親睦団体への第一歩となったと思う。


二次会が終わり、そこで帰るメンバーもちらほらと。私も旅の疲れからか、気分が優れずここでお別れさせてもらう。
三次会はカズさんの行きつけのジャズバーで行われ、その後も何人かのメンバーで、遅くまで飲まれていたと後に聞いた。




旅行後、この日のメンバーの何人かに、私が撮った写真を送らせて頂いた。

そのお礼と共に、それぞれの方々が酔鴻忌を通して、ぞれぞれの旅を楽しまれた話を聞かせて頂いた。
また、三次会の後も飲み歩いた関西在住のメンバーも、ある者は終電を忘れ、ある者は記憶があやふやになるくらいに、夜遅くまで飲み歩かれたと聞いた。

参加した人達にとって、今年も楽しい一日となった事だろう。

作家・北森鴻の作品には必ずと言って良いくらい、旅と美味しいお酒と料理が出てくる。
その北森鴻の作品に魅せられて集まった私達が、毎年北森さんの命日を通して、旅と料理とお酒を楽しんでいる。
酔鴻忌は北森さんを偲ぶ場でありつつも、楽しい語らいの場となっている。


空の上の北森さんは、その事を何より喜ばれているかもしれない、と思った。

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